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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十二章 終の旅路
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(157)

 始皇帝の、最後の巡幸開始です。


 その巡幸の中で、始皇帝は前にも訪れた場所を再び訪れますが、その時と今では何が変わったのでしょうか。

 じりじりと、精神的に追い込まれていく始皇帝。

 そして、ついにあの人が始皇帝と再会を果たします。

 巡行は、まず長江の近くを通って東へ向かうところから始まった。

 東のどこに邪魔者がいるか分からないので、まずだいぶ南から東の海岸に出て、それから北上し海岸辺りをしらみつぶしに調べようというのだ。

 そうして長江を下っていく途中、一行は湘山の近くを通りかかった。

 湘山といえば、始皇帝が二回目の巡行でさんざん荒らした場所である。

 その時湘山の近くまで来て暴風雨に遭った始皇帝は、湘山に祀られている女が自分の邪魔をするのかと怒りを爆発させ、湘山の木を切ってさらに方士たちに呪いをかけさせた。

 その傷は今も癒えておらず、湘山にはまだ低木と草しか生えていない。

 その様子を目にすると、始皇帝の胸に後悔が湧き上がってきた。

(……もしや、あの時の行動が天の機嫌を損ねたか?)

 湘山に祀られているのは、神となった古の名君である堯の娘で、同じく古の名君である舜の妻である。

 この女を貶めたことで天の不興を買ったのかと、始皇帝は怖くなった。

 堯や舜ほどの名君であれば、死後も天で大きな力を持っていてもおかしくない。その二人を怒らせたら、仙人への道を阻まれることは十分考えられる。

 もしかしたら、それが東の邪魔者なのかもしれない。

 始皇帝は背中に冷や汗を流しながら、命じた。

「せっかくここまで来たのだ、九疑山に舜を祀れ」

 舜が葬られたという九疑山は、湘山のさらに南にあった。始皇帝はわざわざ巡行の足を止め、使者を出して丁寧に舜を祀らせた。

 二回目の巡行では止められたことに腹を立てて湘山にあれほどひどい仕打ちをしたのに、この変わりようである。

 あの頃の始皇帝は、世界の全ては自分の思い通りになると思っていた。

 しかし、今は違う。あの時から今までいろいろやっているが、仙人にはなれず、助けてくれる二人はいなくなってしまった。

 そして、始皇帝本人も年を取った。すると、人の定めである死が近づいてくる。

 怖くなったのだ……このまま仙人になれず死ぬことが。

 だから、天の機嫌を取るためなら何でもならないと落ち着かない。

 誰が自分の登仙を阻んでいるか分からないから、そうかもしれないと思った者は排除するか、それができなければ媚びるしかない。

 すっかり卑屈になった始皇帝を、趙高は内心嘲笑ってた。

(ホッホッホ……天下人ともあろう者がこんなに怯えて!無様ですな!

 我々のいたずらが、相当効いたようですな)

 そう、巡行前に起こった不吉なできごとは、始皇帝を怖がらせるための趙高と徐福の策略であった。

 怖がらせれば、登仙のためと言えばこれまで以上に何でもするようになるから。

 隕石と華山の鬼神の件は、二人の策を工作部隊が実行したものだ。長江に沈められた璧は、盧生と侯生が何かに使えるかとその直後に回収していた。

 始皇帝は、まんまとその二人の手の上で踊らされていたのである。


 舜を祀り終えると、始皇帝の一行は長江を下って海に向かった。

 その道中でも、始皇帝は古の名君を祀ったり石碑を立てて自分の業績を喧伝したりと忙しかった。

 東に来ても邪魔者の正体がさっぱり分からないので、逆に不安が増したのだ。

 いくら東に出向いてみても、相手が何者でどこにいるか分からなければ決定的な手を打ちようがない。

 不確かだがやった方がいいことを、できる限りやることになる。

 そうして国費を湯水のように使いながら、巡行は進んでいく。

 やがてもう少しで海に出るというところで、知らせが入った。

「徐福様が、お帰りになられました!

 琅邪でお待ちするとのことです」

 それは始皇帝にとって、待ちに待った知らせであった。一日千秋の思いで待ち続けた、徐福の帰還であった。

「おお、ようやくか!

 すぐ会いに行かねば、急げ急げ!!」

 始皇帝は狂喜し、北へ向かって急がせた。

 自分が皇帝なのだからこちらへ呼びつければよさそうなものだが、始皇帝はそうしなかった。

 徐福が待つと言っているのは、そこを離れられないからかもしれない。だとしたら、呼べば登仙が遠のくかもしれない。

 そんなところまで、方士に気を遣うようになっていた。

 始皇帝はついてくる臣下や兵士たちをも付き合わせて、急ぎに急いで北上した。ついてくる者たちは疲れ切ったが、そんなことは知ったことではない。

 そしてようやく懐かしい琅邪まで来ると、知らせ通り徐福が待っていた。


 かつて二人が初めて顔を合わせた琅邪の丘の上で、二人は再会した。

 そこには始皇帝の命令で休憩所が建てられ、地元の住民によりきれいに管理されている。そこから臨む海の景色は、昔のままだった。

 しかし、二人はともに年を取った。

 特に始皇帝は最近思い悩むことが多かったため、顔には深くしわが刻まれ、髪はだいぶ白が混ざって肌は艶を失いかけていた。

 一方、徐福は年を取ってますます盛んとでも言うように、筋骨たくましく肌は脂がのってつやつやしている。

 その差を目の当たりにして、始皇帝はますます徐福がただ者ではないと感じた。

 こんな風に衰えることなく年を重ねられたらと、切に思った。

 ……もっとも、そう見えるのは徐福の努力の賜物である。

 今日そういう風に見せるために、そして蓬莱を制圧しさらなる冒険に耐えられるように、徐福は旅立ってから肉体の鍛錬を欠かさなかった。

 そのうえ徐福はかなり長いこと地下にいて日の光を浴びていなかったため、肌があまり傷んでいない。

 徐福の若さには、そういうからくりがあったのだ。

 しかしそれを知らない始皇帝は、これも神気の強さかと勘違いした。

 始皇帝は気おされながらも、肝心のことを聞いてみた。

「それで、仙薬はもらえたのか!?」

「は、それが……少しならあるのですが……」

 そう言う徐福の表情は、曇っている。

 それを見て、いくつもの感情が目まぐるしく始皇帝の中を駆け巡った。

 徐福は今、少しならあると言った。つまり、もらえることはもらえたのだ。これは何をおいても喜ぶべきことだ。

 しかし、徐福は浮かぬ顔でまだ何か言いたそうにしている。ということは、仙薬はあってもまだ何か問題があるということか。

 喜びと期待と不安と恐れで言葉が出ない始皇帝に、徐福は言った。

「率直に申しますと、量が足りませぬ。

 今持ち帰った量では、仙人にはなれませぬ」

「な、何と!?」

 始皇帝は、奈落の底に落とされた心地だった。

 そう、どのような薬でも効果を得るためにはある程度の量が要る。どんないい薬でも、足りなければ病は治らない。

 これは始皇帝にとって、死刑宣告と同じだった。

 かといって徐福を責めることもできない。徐福は、仙薬を手に入れろという命令はきちんとこなして帰ってきた。

 何とも、中途半端な結果である。

 ますます混乱する始皇帝に、徐福は苦々しい顔で告げた。

「前の贈り物を受け取られた安期生様は、手持ちの仙薬をくださいました。

 しかしあいにく、人一人を仙人に変えられるほどの手持ちがなく……足りぬ分を取りに天界に昇ったのでございます。

 ですが、そこに帰りを阻む邪魔者が現れました」

「何、邪魔者だと!?」

 始皇帝は、横っ面をはたかれたように我に返った。

 邪魔者……そう、始皇帝は東の邪魔者を探して退治しようとここまで来たのだ。徐福の言う邪魔者が、それのことではないか。

「それで、邪魔者とはどのような奴じゃ?」

「この東の海に住まう、海神でございます」

 徐福はそう言って、海の方を見つめる。

 始皇帝もつられてそちらを向くと、見渡す限りどこまでも青い海が目に飛び込んできた。

 そうか……と、なぜか納得してしまった。

 東の邪魔者と聞いて陸でのことばかり気にしていたが、何のことはない。この東の果てに広がる海も、東だ。

 しかも、人の住めぬ水の世界がこれほど深く広くあるのだ。どんな人知の及ばぬ者どもが潜んでいてもおかしくない。

 むしろ、これほどの魔境になぜ気づかなかったのか。

 そもそも仙人の島は、この海に囲まれているのに。

 わなわなと震える始皇帝に、徐福は続ける。

「陸に住む者の勢力が増すことを恐れたのでございましょう……島の周りを手下で囲み、仙人が島へ帰れぬようにしてしまったのです。

 何とか追い払おうとしましたが、相手は多くの海の妖怪を従えた神。

 盧生と侯生を呼び戻しましたが、二人の力をもっても私がここに帰る道を開くので精一杯でございました」

 徐福はそう言って、始皇帝に頭を下げた。

「あの数の敵を相手にするには、こちらも相応の数と武器が必要です。

 どうか、ご協力いただきたい!」

 それを聞いて、始皇帝の心に光が差した。

「人の手で、退治できるのか?」

「海神そのものは無理でも、手下どもを除くことはできます。そうして不利を悟らせれば海神は去り、仙薬が手に入るでしょう」

 その言葉に、始皇帝の心はさーっと晴れ渡った。

 倒すべき邪魔者は分かった、徐福はきちんと仙人に話をつけてくれた。後は自分が力を貸せば、仙薬は手に入るのだ。

 そして、自分は不老不死になれるのだ。

 始皇帝は、ずっと霧の中探し求めていたものが目の前に現れたような心地だった。この世のものならぬ力が、すぐにでも手に入ると信じられた。

 それが海の蜃気楼と同じような幻だなどとは、夢にも思わなかった。

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