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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十二章 終の旅路
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(156)

 研究の主要メンバーがいなくなってしまった咸陽で始皇帝は不安に苛まれ、それを解消するためにまたもや巡行を計画します。


 歴史に詳しい方なら、分かるでしょう。

 最後の巡行です。

 始皇帝には、どんな運命が待っているのでしょうか。

 それから始皇帝は、ただ盧生と侯生の知らせを待ち続けた。

 待てど暮らせど、二人や徐福からは何の音沙汰もない。押し潰されそうな不安と空虚さの中で、いたずらに時が過ぎていく。

 その間に、始皇帝の不安を煽る不吉なことがいくつも起こった。

 まず、空に流星が現れ、東の方の村に落ちたと噂が立った。役人に調査させたところ、そこには確かに異質な石があり、こんな文が刻まれていた。

『始皇帝死して、地分かたれる』

 なんと、天から飛来した隕石が始皇帝の死を予言したのである。

 始皇帝は表ではそんなものに負けぬと息巻いていたが、内心は戦々恐々としていた。仙薬が手に入る前に死んだら、仙人になれないからだ。

 そして、盧生と侯生の言葉を思い出した。

 二人は東に邪魔者がいると言って、東に向かって行方不明になった。その隕石が落ちたという場所も、咸陽からだいぶ東だ。

(もしや、その近くに邪魔者がいるのか?

 あの二人は、そこで邪魔者の手にかかったというのか?)

 始皇帝の胸の中は、そんな疑念で一杯になった。

 そして疑念を覚えたら、何か行動せずにいられないのが始皇帝の性分である。さらに大切な二人が関わっているかもしれぬとあっては、行動は過激になる。

 もし二人を害した者が近くにいたらと思うと許しがたく、ついにそこから一番近い村に兵を派遣して拷問の末皆殺しにしてしまった。

 そういう事をすると、天下の民はますます始皇帝を見限る。

 民の不満がいつまでも表に出ない訳がなく、ついに始皇帝の悪口が書かれたビラや立札が見つかるようになった。

『始皇帝は姿を隠せば仙人になれると思っている間抜けだ。そうして世の本当の姿を見ず血迷った政治を行って、天に気に入られる訳がない。

 それを諫めない大臣どもは、うなずいて身を守ることしか考えない無能だ。こんな君主と臣下で、国が長久である訳がない。

 これほど民を自分のための大工事につき合わせて、誰が田畑で作物を作るのか。そのうち民が生きるための食糧もなくなって……』

 それはまさしく、民から見たこの国の現状である。

 しかしどこまでも自分が正しいと信じる始皇帝には、認められないことだった。

 すぐに捜査が行われたが犯人はなかなか見つからず、たまに見つけて処罰しても次々と似たようなのが現れる。

 この状況に、始皇帝は恐怖を覚えた。

(な、なぜこんなにも朕を貶めようとする者がいる!?

 このような悪口が天に届いたら、仙薬をもらえぬではないか!

 朕がこんなに国のために働いておるのに、それが分からぬか!!

 ……もしや、東の邪魔者とやらが民の心まで惑わしておるのか?それを何とかせぬ限り、朕は仙人に……!)

 もちろん、民に見放されるのではなく仙人になれない恐怖である。

 始皇帝は東の地方に何か怪しいことがないか調査させたが、埒が明かない。調査しろと言われても、そんな得体の知れない者をどう調べたらいいか分からないからだ。

 そのうち始皇帝は東のことで頭がいっぱいで、居ても立ってもいられなくなった。

 そんな始皇帝を見かねて、趙高が進言する。

「それほどお気になさるのでしたら、東に巡行なさってはいかがでしょう?

 いくらここで思い悩まれても、遠くのことはよく分かりませぬ。

 それに、陛下が向かわれれば、遠いのをいいことに怠けている当地の官吏どももしっかり働くようになるでしょう」

「そうか、その手があったか!」

 始皇帝はすぐさまその意見を取り入れ、巡行を決めた。

 他人に任せてどうにもならないなら、自分が行くしかない。それに東の邪魔者とやらも、自分が行けば正体を現すかもしれない。

 始皇帝にとっては、それが唯一の解決策に思えた。

 しかし巡行の準備をしている間に、またしても怪しい事件が起こる。

 東へ出した使者が、咸陽から東にある華山という場所で怪しい者に出会ったというのだ。そいつはこんな予言をした。

『今年、祖龍が死ぬだろう』

 これに、始皇帝はますます気分が悪くなった。祖は最初の、龍は皇帝を意味し、つまり始皇帝の死の予言と取れるからである。

 さらにその怪しい者は咸陽にある有名な池の神を親し気に呼び、宝物の璧を届けるよう頼んできた。

 その璧を調べさせたところ、二回目の巡行で長江に沈めた璧だったのである。

「……となると、やはり人間ではないのか?」

「地元の人間によると、山鬼(低級な山の神)ではないかと」

 神を祀るために人の手の届かぬところにささげた璧を持っていたということは、そういうことだ。

 それでも、始皇帝はかぶりを振った。

「山鬼など、たかだか一年先のことも読めるものか!

 きっとそいつも、東の邪魔者とつながっているに違いない。このうえは朕が出向いて、そいつも除いてやるぞ!」

 始皇帝の不安を反映するように、巡行は大規模な計画がなされた。

 今回はいつも同行する李斯だけでなく、宦官の長である趙高と、そして一番かわいがっている公子の胡亥も同行することになった。

 始皇帝にとっては、まさに己の命運を懸けた巡行であった。


 地上がその準備に忙しい中、趙高も水面下で自分のための準備を始めていた。

 徐福たちがいなくなった地下に入り、そこをまとめている石生にとある薬を用意させる。それは、人食いの病にかかった者の延命薬であった。

「なぜこのようなものを?」

「いえね、巡行に出かけるとなると、陛下の感染防御を都のように厳しくできません。

 万が陛下が旅先で天然痘の病毒に触れてしまい人食いの病にかかってしまった時に、これでどうにか徐福殿が治療法を持ち帰るまで延命できぬかと。

 巡行をやめさせる訳にはいきませぬし、ないよりはましでしょう」

 それを聞くと、石生は一応納得して薬を渡す。

 始皇帝が巡行で都から出るということは、感染防御の対策が薄くなるということ。趙高の言うような懸念は確実にある。

 さらに、別の危険もある。

「しかし、逆に陛下から他の者への尸解の感染はもっと危険です。

 そこはどうか、趙高殿のお力で防いでいただきとうございます」

「もちろんですとも、そのために同行するのですから」

 そう、始皇帝が旅に出るということは、旅先で他の者に尸解を感染させる可能性が生じるということだ。

 そうなれば、把握できないところで人食い死体が発生しかねない。

 これを防ぐために、趙高が同行して目を光らせるのだ。

 世の滅びを避けるために……趙高がこれから胡亥を操って支配する、趙高の大事な世界が失われないように。

 石生は、趙高に持たせる薬を包みながら、注意事項を説明する。

「これを使うのは、人食いの病がかなり確定的になってからにしてくださいね。具体的には、他の薬で体の冷えが散らせなくなってからです。

 ……この薬、副作用がかなり強いです。

 心臓に負担をかけて長い目で見れば命を縮めるうえに、精神を高揚させるのがクセになって依存性まであるのです」

「ほほう、それでは疑わしい段階での投与は危険ですな。

 もし人食いの病でなかったら、かえって心身をおかしくして命を縮めてしまう」

「ええ、どうにかそこも改善できれば良かったのですが……」

 人食いの病の延命薬はあれからも改善され続け、感染してすぐ投与すれば三週間近く発症を抑えられるようになった。

 発症してからの余命も、だいぶ延びている。

 しかし、どうしても発症を防ぐことはできない。

 それでも今回の巡行に非常手段として持たせる意味はあると、石生は思っていた。

 人食いの病の感染源は、主に血液と体液。感染しても肌や粘膜がただれてくるまでは、血以外の体液ではあまり感染しない。

 つまり、この薬で進行を抑えることにより、肌のただれや出血を遅らせて感染力が低い状態を長く保つことができる。

 始皇帝から他への感染を防ぐ手段として、ある程度有効なのだ。

 副作用の関係で始皇帝には発症してからでないと投与しない方がいいが、それでも病毒が垂れ流し状態になるのを遅らせてその間にしっかり感染防御できる場所に担ぎ込むことはできる。

 旅先でこれができるのとできないのとでは、大変な違いだ。

 だから石生は、趙高に言われるまま薬を渡した。

「ここから出られぬ我らに代わり、どうか世をお守りください」

「ええ、分かっておりますとも。必ず世は守りますぞ」

 そう約束した趙高の口元には、不気味な笑みが浮かんでいた。

 しかし、己の手元しか見ていない石生はそれに気づかない。いや、気づいてもどうにもならなかったであろう。

 石生の手を離れてしまった薬をどう使うかは、趙高次第なのだから。


 趙高は、世を守ることは約束した。

 しかし、始皇帝を守るとは一言も言っていない。


 地上に戻ると、趙高は胡亥のもとへ向かった。

 今回初めて巡行について行けるというので、胡亥はうきうきして旅支度を始めていた。そんな胡亥に、趙高はさらに楽しくなる言葉をかけた。

「旅の間はいろいろと不自由でございましょうが、この旅は必ず胡亥様にとって実り多きものとなりましょう。

 旅を通して成長されたあなた様に、天下は必ず寄って参りますぞ」

 それを聞くと、胡亥は楽しそうに笑って返した。

「へえ、そういうものなのか?

 なら、そうなるようにきちんとおまえも働けよ!」

「は、御意に!」

 趙高は、笑い返して頭を下げる。

 この旅でどうして胡亥がそうなるのか、そのために趙高は何をするつもりなのか、詳しい事は何も言わなかった。

 胡亥はその辺りに考えが及ばず、ただどんな楽しいことが起こるのかと他人任せにわくわくしている。

 もはや、趙高の野心を止められる者はいない。

 世が終わらずとも、国と始皇帝の終わりを導く旅が始まろうとしていた。

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