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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十一章 最後の手段
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(154)

 地上の惨状と、盧生と侯生の旅立ちです。

 最後の策のため、二人は懐かしい東の海岸に向かいます。


 そしてその補助として、麻薬中毒になっていたかわいそうなあの人にも仕事が与えられます。しかし、研究ではもはや役に立たぬ者に仕事……嫌な予感しかしない。

 それから地上ではますます、人の暮らしが苦しくなっていった。

 本格的に匈奴への侵攻と長城の建設、阿房宮の工事が始まり、また全国から人が集められて方々へ送られた。

 そのため国全体で働き手が不足し始め、そのうえ税は重くなったため各地で困窮する者が増え、民の不満が高まった。

 しかし始皇帝や李斯はそれを認めず、これで国が豊かになったと喧伝した。

 確かに匈奴を追い払ったことで、秦の領土は広くなった。そして新しい土地で薬草の麻黄がよく採れ、高騰していた値段が下がった。

 これは素晴らしい成果だと、大々的に発表された。

 しかし、これが民のためになる訳ではない。

 いくら領土が広くなっても、北の荒れ地にはほとんど人が住んでおらず作物も育たない。そのため、新たに得られる税収はない。

 逆にそこで戦争をしたりそれを支える者たちの生活に莫大な金がかかる。

 食料も日用品も、もちろんそこでは生産できない。そのため他の土地から運ぶのだが、距離が遠すぎて輸送費がすさまじい。

 一石の穀物を運ぶために、その数十倍の穀物が必要なほどだ。するともちろん、現地の穀物の値段は送り元の数十倍になる。

 そんな状況で、働かされる民や刑徒たちの帰りの食糧は自分持ちだ。

 まともに考えて、帰ってこられる訳がない。

 それでも何とか金を稼いで生き延びるために、北に行かされた者たちは必死で麻黄を採って売る。そうしなければ、生きられないからだ。

 麻黄の供給が増えたのは、そういう理由からである。

 領土と麻黄は増えたが、民や国にはその何十倍も害が出ている。

 しかし今国の中枢に近い官僚たちの中で、その事実を始皇帝に告げて諫めようとする者はいなかった。

 理由は簡単、諫めれば排除されるから。

 非暴力で清く正しい君主であれと説いた儒者たちと公子たちは、官職をはがれたり軟禁されたりひどい場合は北へ送られてしまった。

 始皇帝の意に沿わぬ意見をすれば、自分もそうなる。

 それを恐れた官吏や官僚たちは、自分と家族を守るために法と命令の通りに動くだけの人形となり果てた。

 それでも政務と関係がない学者たちは今の政治を非難し、自分たちの学問に基づいて独自の理想を論じていたのだが……。

「国の役にも立たぬくせに民を扇動するとは、許しがたい!」

 それも、始皇帝と李斯の怒りに触れた。

 この二人や秦の中枢にいる法家の官僚たちにとって、正しい学問はこの国を成功に導いてきた法家の思想のみである。

 他は、失敗者の誤った学問とみていた。

 そんなものに国を乱されるのを、見過ごす訳がない。

「巷にあふれている間違った学問のせいで、我々の偉業が悪く言われるのだ!」

「そうだそうだ、あいつらは事あるごとに昔は良かったなどと言って今の政治をそしる。戦乱の昔の方が今よりいい訳がないのに!

 頭がおかしいのか!?」

「いや、本当におかしいのだ。そういう奴らが民もおかしくするのだ」

「陛下に奏上し、そやつらを排除しなくては!」

 自分たちの誤りを認めない官僚たちは他の思想家たちを諸悪の根源とみなし、排除するよう始皇帝に進言する。

 なかなか仙人になれず焦ってきていた始皇帝は、それを受け入れた。

「なるほど、その不届き者どもが間違いと混乱を生み出し続けるから朕の統治が天に認められず、仙人になれぬのか。

 ならば、国のためすべてを消し去るまで!!」

 すぐに、実行の命令が下された。

 法家以外の学問は全て違法とされ、農業、占い、医薬以外の書は集められて焼き捨てられた。他の思想を守ろうとした者にも、厳罰が下された。

 民が学んでいいのは法学だけになり、これまで学んでいた礼や徳などは否定された。

 要は、人間性を否定し法にのみ従順な家畜になれと強要したのだ。

 民は恐れおののき、これまで以上に心細くなって混乱した。世の中に当たり前にあった心の支えや生き方の規範を奪われたのだから、当然だ。

 しかし始皇帝は、これで世の中がよくなると信じて疑わなかった。

 自分は正しい。これまでずっとそうだったから、これからもそうに違いない。

 それでも具体的にどこがどう悪いのか分かりやすい数字を出してくる者がいれば、現実を見て少しは考えたかもしれないが……。

 もはや、馬鹿正直にそんなものを見せに来る者はいなくなっていた。

 始皇帝と李斯は偏った思考のみの臣下に囲まれ、彼らが持ってくる偏った情報だけを見てそれが現実だと思い込んでいた。


 見ようによっては、始皇帝自身の行動が周囲の望むままになってきたともとれる。

 こうして頂点に立つ者に本当の世情が見えなくなるような体制を一番望んでいるのは誰か、もうお分かりだろう。

 こうしておけば、皇帝は一部の者が与える情報にしか従えなくなるのだから。


 その始皇帝にとって信用できる一部の者から、気になる情報が入った。

「占ってみましたところ、どうも東に邪魔者がいるようです」

 仙人となるために全幅の信頼を寄せている盧生と侯生が、こんなことを言ったのだ。二人は、深刻な顔で続けた。

「この邪魔を除かぬ限り、陛下に仙薬が届くことは困難です」

「ゆえに、我々が東に参ります。

 海の果てで徐福様が頑張っていらっしゃるのに、我々がここで指をくわえて見ている訳にはいきません!」

 始皇帝は、胸のつかえが下りると同時に、二人の勇気に感謝した。

 どうして仙人になれないのかと最近は不安が多かったが、明確な原因があるならそれを取り除けば済むことだ。

 しかも、盧生と侯生が自ら行ってくれるという。

 これまでこの二人は始皇帝にいろいろ進言してくれたが、口ばかりではない。きちんと目的のために身を張ってくれる、勇気ある男ではないか。

 始皇帝は、さっそく二人に通行証と旅先での便宜を図る書簡を渡した。

「ううむ、別れるのはつらいが……頑張って来い」

「は、こちらも全力を尽くします!」

「うまく邪魔者を排除できれば、徐福様にも会えるでございましょう。

 その時を、楽しみにお待ちください」

 盧生と侯生は、きびきびとした足取りで去っていった。

 始皇帝はその後姿に一抹の不安を覚えたが、すぐにこれも登仙のためだと思い直した。あの二人が、自分に悪いことをする訳がない。

 それに、あの二人にはしばらく会えないが、そのうち徐福に会えるならそちらの方が大事だ。

 よもや忠実な方士の言っていることが本当は嘘で、そのうえ彼らに忠誠心なんてものが元からなかったなどと……気づく由もなかった。

 盧生と侯生は、もう二度と会わぬつもりで始皇帝に背を向けた。


 東に旅立つ許可を取ると、盧生と侯生はすぐに旅支度を整え始めた。馬車ではなく、馬に積めるだけの簡素な荷物で、身軽に動けるようにしておく。

 徐福は、そんな二人に念を押すように告げた。

「東の海岸までは、むしろ跡を残しながら行け。そして所定の場所についたら、さっと隠れるのだぞ。

 隠れ家は、工作部隊が用意してある。

 出航まで少し時間がかかるだろうが、辛抱強く隠れて待っていてくれ」

「は、必ずやお待ちしております!そちらも、うまくやってくださいませ」

 出発の準備が済むと、徐福は最後の準備のために立ち上がった。

「よし、ではあいつを迎えに行くか」

 それを聞くと、盧生と侯生の顔が憎らしげに歪んだ。これから迎えに行くのは、二人も徐福も心の底から憎んでいる人物だ。

 離宮の独房の鍵を開け、青白い顔でうわごとを言って震えているそいつに薬を飲ませる。

 少しすると、そいつの震えが治まり、目の焦点が合った。

「あ、う……小生は……!」

「仕事だぞ韓衆」

 ぶっきらぼうにそう言って、そいつの手かせについた鎖を壁から外してやる。

 徐福たちが迎えに来たのは、韓衆だ。お人よしすぎて二度の致命的な失敗をし、今はすっかり麻薬中毒になってしまった韓衆。

 本人はまだ働きたい役に立ちたいと言っているが、もうとても研究には参加できない。

 阿片がよく効いている時は眠っているか、何とかなる大丈夫とヘラヘラしている。正気に戻ると、まだ役に立てるとか償いたいとか胡亥に会いたいと訴える。そのうち悲観的になってきて何で皆優しくないんだと泣き叫び、禁断症状に苦しんで我慢できずにまた阿片を飲む。

 その繰り返しで、どんどん正気の時間が短くなっている。

 そんな廃人寸前の韓衆に、徐福は最期の役目を与えた。少数の工作部隊とともに、夜闇に紛れて一緒に咸陽を出る。

「こんな小生にまた仕事をお与えいただき、感謝いたします!

 次こそは、次こそは間違えずにやり遂げますので!!」

 まだそう喚く韓衆に、徐福は静かに言った。

「ああ、そこは大丈夫だと信じている。

 だが念のため、おまえの何が悪かったかは言っておこう。

 おまえははっきり目に見える物事を理論的に分析するのは得意だな。目の前の現実に素直というのか……おかげで尸解の血の真実に気づけた。

 しかしその反面、目に見えぬ人の悪意などを考え見抜くことができない。目の前の優しさが全てだと信じて、その裏にあるかもしれない危険を予測できなかった。正しいことをしても正しく報いない人間の性質を理解していなかった」

 そのせいで扶蘇のやり方の欠陥に気づけず、目の前に与えられた優しさを信じ切って趙高につけ込まれてしまった。

 要するに、実験結果を相手にするのは得意でも、人間相手はそうでなかったということだ。

「返す言葉もございません。

 しかし、徐福殿はまた仕事をくださいました。やはり世の中捨てたものでは……」

「こんな所でどんな仕事をするのか、考えられないのか?」

 一行が馬を止めたのは、咸陽郊外の森の中。自分たちの松明以外には明かり一つなく、他の人は誰もいない。

「え……あれ、そう言えば……」

 状況のおかしさに戸惑う韓衆の前で、徐福、盧生、侯生がすらりと短剣を抜いた。

「皆様、何を……」

「まだ分らぬか……やはりダメだ、扶蘇のことで失敗したときに殺しておけば良かった。そうすれば、趙高の介入は防げたものを。

 遅きに失したが……まあ言うなれば、死ぬことで果たせる仕事もあるということだ!」

 未だに事態が飲み込めぬ韓衆を、三本の短剣が貫いた。それに毒は塗っておらず、痛みにのたうち回る韓衆に何度も振り下ろされる。

 これまでの恨みをぶつけるように、しつこく、何度も何度も。

 そうして韓衆が動かなくなると、徐福は盧生と侯生に言った。

「これでしばらくは、別の方士どもの介入を防げるだろう。

 では、達者でな!」

「はい、お先に失礼します!」

 もはや足元の韓衆には目を向けることすらなく、盧生と侯生は別れを告げて去っていった。徐福はどうか無事であれと祈りつつ、二人を見送った。

 これから行う最後の策は、まさに闇の中の道を進むがごとしであった。


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