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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第三十一章 最後の手段
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(152)

 今度は盧生と侯生のパートです。

 二人は感染防止に必要以上の隔離を進言しますが、それにはどんな裏があったのでしょうか。


 趙高と胡亥の関係、そして韓衆がかわいそうなことになっています。

 趙高の上役を動かす技術は化け物クラス。

 盧生と侯生も、最近は趙高のいいように使われていた。始皇帝に謁見しては、自分たちに何の得にもならぬ嘘を吹き込む。

「体内の邪悪の気が退くと、真人になると申します」

「真人とは、火にも焼けず水にも濡れず長久の命を持つ存在です。また、心には余計な欲が湧かずいつも晴れやかであると」

 ありもしないそれらしい話で、また始皇帝を誘導する。

「しかし、陛下はまだその域に達していません。

 お姿を見せぬのはもちろんのこと、今後は会って話される人間を今以上に少なくしてくださいませ。下々の者が思いを向けるだけでも、邪気となります」

「陛下が他の者の言にお心を乱されるのは良くありません。

 心を乱し欲をかきたてる人を、遠ざけてください」

 その進言に、始皇帝はうんうんとうなずく。

「なるほど、確かに周りに人が多くそやつらのことをいちいち考えていると心が乱れて定まらぬからな。

 これからは国のことも、最低限の人数で決めるようにしよう」

 こうして、政策を話し合うのに接する人数をどんどん絞っていく。

 本来なら丞相の李斯が止めるところだが、李斯は何も言わない。李斯自身、自分たちのやることにケチをつける下の者たちを煩わしく思っているからだ。

 それに何より、始皇帝を誰よりも崇拝する李斯にとっても、始皇帝が真人となり仙人となることが最重要だ。

 正直それ以外のことなど、始皇帝以外の努力でどうにかなると思っている。

 国の頂点がそんななので、盧生と侯生の言うことは通って通って仕方がなかった。

 たとえそれがその二人自身も心の中でやめてくれと叫んでいる、二人の意志にすら沿わないものだとしても……。


 二人が謁見を終えて帰途に就くと、途中で趙高が胡亥を教育しているのに出くわした。

 趙高はそろそろ仕事を知る歳になってきた胡亥に王宮での仕事を見学させ、小生意気な小僧にこうささやくのだ。

「これだけの者たちが、御父上のご命令で働いているのです。

 胡亥様も意見を聞く者と働かせる者はきちんと分けて、御父上のような威厳ある人物になるのですよ」

 その言葉に、盧生と侯生は胸が悪くなった。

 趙高の教育とは、口先だけだ。

 いろいろな仕事場を見学させながら仕事は欠片ほども教えず、ただ父である始皇帝の偉大さだけを吹き込んでいる。

 皇帝は偉いのだ、おまえもそうなるのだとばかりに。

 もちろん胡亥の外にもまだまだ公子はたくさんいて、胡亥が皇帝になると約束されたわけではない。

 それでも胡亥にこう言うのは、胡亥をその気にさせて自分のいいなりにするためだろう。胡亥を次の皇帝にしてみせるという、趙高の自信の表れでもある。

 そう、趙高は胡亥を次の皇帝に据え、操り人形にしようとしている。

 もちろん、始皇帝のように自分で何でも決める皇帝になってほしくはない。

 自分で何でも決めているつもりで、実は趙高のいいように動いてくれる皇帝……それが趙高の理想なのだ。

 そのためには、どうするか。

「……おやぁ、盧生殿に侯生殿」

 趙高が、二人に気づいた。

「お二人とも、此度の進言はいかがでしたかぁ?」

 趙高は、寒気がするような気持ち悪い笑顔で尋ねてくる。

「それはもう、すんなり受け入れていただきました。さすが陛下、人の意見をよく聞く名君でございますな」

 せめてもの皮肉に、盧生も歯の浮くような賛辞を添えて答える。

 それを聞くと、趙高はまた胡亥にささやく。

「ほら、御父上はきちんと人々の声を聞き、天下のために物事を判断しているのです。

 しかし、野放図に誰のいう事でも聞けというのではありません。性悪な人間もおりますからな、あくまで信用できる者の意見だけを聞くのです。

 また、聞くにしても直接顔を合わせたり声をかけると威厳が薄れますゆえ。

 御父上がそうならぬよう、注意を促してきたのですよ」

「ふーん、そうなのか」

 胡亥は趙高の言うことを、何も考えずに聞いている。

 そうして、趙高の扱いやすいように洗脳されていくのだろう。

 すなわり、信用できる者……趙高の意見だけを聞き、趙高のくれる情報だけを基に物事を判断するように。

 盧生と侯生が始皇帝にあまり人に会わないよう進言してきたもの、その準備だ。

 今の始皇帝の代から皇帝とはそういうものだとしておけば、胡亥は何の疑問も持たずにそれを受け入れるだろう。

 そのためだけの、本来不要な隔離。

 本当に必要な感染を防ぐための隔離はそこまでやらなくていいのだ。尸解や人食いの病は、体液を介しないと感染しないのだから。

 十分に距離を取れるなら、襲われて傷つかないなら、多数と話してもいいのだ。

 しかし趙高はその距離を取る進言を肥大化させて、皇帝に直接意見できる者を絞りにかかった。

 全ては、自分と胡亥の未来のために。

 そこに、世を思い人を思う心はない。

 だから盧生も侯生も、こんな進言をするのは嫌で仕方なかった。

 自分たちの始皇帝からの信頼は、新たな理を手に入れる研究と、それによる害を抑えるためにあるのに。

 今、二人の信頼は趙高の私欲のための謀に使われていた。。

 逆らうことはできない。まさに人と世を、人質に取られているから。

 ただ一人胡亥だけは、立場的に抗えたかもしれないが……。

「胡亥様、このままではあなたはあなたのものでなくなりますぞ!」

 盧生は一度、胡亥が一人の時にこう言ってみたことがあった。

 しかし胡亥は馬鹿にするように笑い、こう答えた。

「そんな訳ないだろ、趙高はいつだって僕のために動いてくれるもん。その忠誠が分かんないとか、おまえら頭腐ってんの~?

 趙高に任せとけば、何でもうまくいくの。ずっとそうだったの。

 あっもしかして、おまえら趙高と僕を仲たがいさせようとしてる?

 残念、その手には乗りまっせぇ~ん!ちゃんとそういうのに気をつけろって、趙高が言ってくれたも~ん」

 胡亥は既に、趙高を信じ切っていた。

 幼い頃から趙高に世話と尻拭いをされていたせいで、趙高を疑うなんてことができなくなってしまった。

 それに、言葉の後半のような意図を盧生が少なからず持っていたのはある。

 趙高にとってそれは致命的となるため、きちんと胡亥に注意を促していた。

 しかし、これでは本当に心から世を思い胡亥自身のことを思う人が諫めても、胡亥は同じように答えるだろう。

 もはや、趙高と胡亥の間に他人が割り込む隙はない。

 胡亥はどこまでも心地よく趙高に言われるままに流され、皇帝になれば趙高のためだけの政治を行うのだろう。

 盧生と侯生も首根っこを掴まれていては、止めることができなかった。


 二人が地下に帰ると、胡亥も一緒についてきた。

「はぁ~暇だからまたあいつでもからかいに行こう!」

 そう言って、実験区画とは別の方に駆けていった。こいつに実験区画に入られるととてつもなく神経を使うので、その方がありがたい。

 しかしその先にいる者を思うと、二人はまた気分が悪くなった。

 地下離宮の奥にある感染者のためではない独房……そこには、この地下にとってとんでもない罪を犯した者が入れられていた。

 その名は、韓衆。

「お~い、公子様が来てやったぞ!」

 胡亥が声をかけると、韓衆ははっと顔を上げた。

「これは胡亥様、お待ち申しておりました!」

 その目には、場に似つかわしくないほどのやる気と希望が満ち溢れている。どうやら今は、うまくキマッてだいぶ正気らしい。

 胡亥が側によると、韓衆は意気込んで声をかけた。

「さあ、今日こそあなたに徳というものを理解していただきますよ!

 子曰く、君子というものは……」

 鉄格子にかじりつくようにして、儒教の説く君子の姿について熱弁を振るう。礼や徳を教え込み、胡亥を君子にふさわしく教育しようとする。

「アハハッ聞こえませ~ん!」

 胡亥はケラケラと笑うが、韓衆は諦めない。

「ちゃんと聞いてください!聞こえるまで、何度でも言いますよ!

 いいですか、あなたは御父上に代わり、人と世を救う者となるのです。あなたにはそれができるのです!やってもらわないと困るのです!

 子曰く……」

「勝手に困っててくださーい!アヒャヒャヒャ!」

 胡亥は面白がって笑うばかりだが、韓衆は必死で声を張り上げる。おそらく、胡亥が去るか禁断症状が襲ってくるまでやめないだろう。

 自分を助けてくれた趙高と胡亥が自分のことしか考えない悪人だということを、韓衆は認められなかった。

 認めたら、自分が信じてきたものやってきたこと全てが否定されてしまうから。

 だから韓衆は、胡亥が来るたびに必死で礼や徳を説いて、胡亥を君主にふさわしくしようとする。

 そして、自分が潰してしまった世代交代の策を胡亥でやろうとしている。そうすれば、まだ挽回できると信じて。

 胡亥の方はそんな韓衆を馬鹿にして嘲笑って見世物のように楽しんでいるのに。

 周囲もみな、そんなことは無理だと分かっているのに。

 この胡亥が世のため人のために行動する訳がないし、たとえそうなったとしても趙高に潰されて挿げ替えられるだけなのに。

 帝位を世を守れる人物に継がせるのは、もう不可能だ。

 盧生と侯生も、このままでは趙高の駒にされるだけだと痛いほど分かっている。

 ……かといって、いいようになる気はない。

「万が一のためにと俺が調べておいたこと……こんなに早く役に立つとは」

 趙高や胡亥に聞こえないようにぼそりと呟いて、盧生は自分が東の沿岸で作った極秘資料に思いをはせた。

 すぐに使うはずではなかったあれを使う時は、ひたひたと近づいてきていた。


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