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世代交代作戦が失敗してしまった徐福にひたすら責められる韓衆。
しかしいくら人を責めたところで現実は変わらず……。
韓衆はまだ駒は揃っているから大丈夫と言いますが、この失敗した作戦によって始皇帝は……取り返しがつかないとはこういうことです。
始皇帝が四回目の巡幸から帰ってきて、咸陽は再びにぎやかになった。
王宮ではたまっていた仕事を片付けようと官吏たちが忙しく走り回り、始皇帝もいつもの執務室で後回しにしていた仕事の決裁を始めた。
巡幸前と何も変わらない、平和な日々であった。
その間にも、咸陽とその周辺では計画されていた工事が次々と始まる。全国から徴用された民も次々と到着して工事に取り掛かっている。
その様子を眺めて、始皇帝はどっしりとした満足感を覚えた。
この国は確実に、いい方に変わっている。自分が治めている……これから永遠に治める事になる国の形が、出来上がりつつある。
何もかも、うまくいっている。
後は仙人の手がかりと仙薬さえ手に入れば文句はないのだが……。
こればかりは人が決められる領域ではないらしいので、人事を尽くせる限り尽くして天命を待つしかない。
それ以外に始皇帝を害するものは、もはやないかに見えた。
一方、地下では大嵐が吹き荒れていた。
「どういう事だ韓衆!!うまくいっておるのではなかったのか!?」
徐福が、鬼の形相で韓衆を怒鳴りつける。
それもそのはず。韓衆は天下万民を救うために己に課せられた使命を果たせず、最大の好機を投げ捨ててしまったのだ。
おかげで、始皇帝は世を滅ぼす爆弾を身の内に抱えたまま天下の頂点に君臨し続けている。
巡幸の間に反体制派を集めて始皇帝もろともその爆弾を処理するという救国の策は、何の成果もあげられぬまま灰と化した。
韓衆が扶蘇を傷つけたくないという情に流されて、武力蜂起を止めさせてしまったせいで。
これで怒るなという方が無理である。
「全く、おまえには失望しかない!いや、絶望だ!!
あれだけしっかりと俺の目を見て必ずやり遂げますと言っておいて、途中で尋ねても大丈夫だと言いきっておいて、蓋を開けてみればこの体たらくだ。
せめてこいつなら嘘はつかぬだろうと信用していたものを……貴様の口はいつから詐欺方士以下に成り下がったのだ?
いや、むしろ……貴様こそが世界で最悪の詐欺方士だ!!」
徐福は烈火の如く激しく韓衆を責めるが、韓衆ははらはらと涙を流しながら言い返す。
「そうですね……嘘は、ついていました。
しかし、扶蘇様はご自分のやり方で陛下を隠居させると申しておりましたので、小生は扶蘇様がやってくれるならとお任せしたのです。
たとえやり方は違っても、結果が似たようなものならばと……」
「どう考えても陛下に通じるやり方ではないだろうがぁ!!」
今度は、侯生が突っ込む。
「確かに、武力蜂起以外のやり方はある。だあがな、あんな甘っちょろいやり方で同じくらい成功する訳がないだろ!
今回の作戦は、失敗すれば世が滅ぶ危険を放置し続けることになる。天下万民を守るために、是が非でも失敗は許されなかった。
なのにそれを、代わりのやり方も聞かずに……本当に救う気あったのか貴様は!!」
「そ、それはもちろん、あります!
扶蘇様だって、他の公子の方々にも誘いをかけて、しっかりした学のある儒者の方々ともよく打ち合わせていらっしゃいましたし……」
「他の公子は皆世間知らずの子供だし、儒者は理想しか語らない無能集団だろうが!!
その時点で俺には嫌な予感しかせぬわ!!」
つまり、韓衆は扶蘇が自分なりに事を起こそうとしているのを知り、それが成功すると信じ込んで詳細も聞かずに任せてしまった。
他の後継者候補と力を合わせて、古よりの額に通じる格式高い儒者たちの意見も聞いているし、何よりこんな素晴らしい人のやる事だからきっと大丈夫だと。
しかし、結果は失敗。
始皇帝とそれを取り巻く体制は何一つ変わっていないし、始皇帝の心は少しも動かせていない。
その結果も、徐福と侯生から見れば当然だ。
始皇帝は何でも自分の考えが一番正しいと思っており、他社の意見に耳を貸さない。これまでの容赦ない行いと近頃の圧政を見れば分かることだ。
なのに、扶蘇が頼みとしていたのはそんな世情に疎い子供たちと、それを見てなお理想にこだわることしかできない儒者たち。
どう考えても、失敗は必然だ。
徐福は、物分かりの悪い子供を見るような目で韓衆を見つめて言った。
「全く……その状況だけでも報告してくれれば、すぐにやめさせて別の手を打ったものを。貴様が報告すら怠ったせいで、その余地すら失われてしまった!
そもそも、おまえは報告すればそうなると踏んで、報告しなかったのだろう?
それでは俺たちは納得せぬと、気づいていたのではないか!」
そう追及された韓衆は、蚊の鳴くような声で答えた。
「はい……」
そう、徐福たちが認めてくれると本当に心の底から思ったのなら、計画を変えたことと現状の報告ができないはずがない。
できなかったのは韓衆自身が、このやり方を認められないだろうと気づいていたからだ。
「……で、おまえは俺たちより己の判断を優先した訳だ。
この研究の最高責任者であり現状のまずさを誰よりも分かっているこの俺よりも、清く正しく現実離れした己の考えを!!」
そう怒鳴りつけられて、韓衆は縮こまった。
正直、その通りだった。
扶蘇に任せて偽りの報告をしている間、韓衆は徐福のことを見くびっていた。世の中にはもっといいやり方があるのに、あの残虐で冷たい男はどうせ認めないんだろうと。
だったら、扶蘇様が事をなすのに任せておいて、あんな血生臭いことをしなくても物事は解決できるのだと教えてやろうとすら思っていた。
それが誤りだったと気づいたのは、失敗に終わってから。
始皇帝の兵士たちが一言の返事もなく扶蘇たちを道からどけるのを見て、何が何だか分からなかった。
(あれ……あれ?なぜ?
自分の子供たちがあんなに訴えているのに、武器も持たず話し合いの姿勢を見せているのに、何も間違ったことを言っていないのに……。
こんなに清らかで正しいのに、何で何でナンデ……)
親子の絆も、非武装の誠意も、儒者たちの学も……何の役にも立たなかった。
始皇帝の行列が何事もなく動き出したのを見て、ようやく韓衆はぐらぐらするような眩暈とともに悟った。
徐福や尉繚の言う通りだったと。
きれいに正面から誰にも迷惑がかからぬやり方で力を尽くせば、いつでも報われる訳ではない。
認めたくなかった現実が、そこにあった。
失敗した。やり方を誤った。何も変えられなかった。
どんなに今きれいごとを喚こうと、この事実は変えられない。だから韓衆は、自分の失態については素直に受け入れる。
しかし後悔しているかと言われると、それはまた別の話だ。
「……徐福殿の言われる通りです。小生は皆さまのご期待に応えられませんでした。
このうえは、いかなる処分でもお受けします。
小生の身はどうなっても構いません、ただ……扶蘇様にはもう手を出さないでくださいませ。後世のために、あの方の清らかさを守れたのであれば……」
そう言う韓衆の目は、キラキラと輝いていた。
自分はどうなっても、扶蘇のきれいな心を守れたのだからそれでいい。もう完全に、悲劇の忠臣気分に酔いしれている。
どんなに貶められようとも、決して後悔しないとばかりに。
徐福と侯生は、呆れ果てて顔を見合わせた。
「……どうするよ、こいつ。この心根は死んでも治りそうにないぞ」
「こんなになってしまったら、もう殺す意味もないでしょう。
しかし研究においては惜しい人材ですし、また有効に使える別の機会もありましょう。生かしておいて、研究だけでも手伝わせては……」
結局、殺す価値もないということで、韓衆はタダ働きさせて生かしておくことにした。
その決定に、韓衆は平伏して感謝する。
「寛大な処置、ありがとうございます!
このうえは、治療法発見のために身を粉にして働きます!
なので外の作戦の方は、小生抜きで進めてくださいませ。扶蘇様以外にも、同じように使える公子の方はまだたくさん……」
「何を言ってる?できる訳ないだろ」
徐福に突っ込まれて、韓衆は困惑した顔を上げた。
だって、自分は失敗したがまだ駒は無傷で残っているではないか。もう一度同じことをやろうとすれば、できるはず……。
なぜなのかと首をひねる韓衆に、徐福はうんざりしたように指摘した。
「あのな、相手はあの始皇帝だぞ。
自分の意のままにならぬ勢力がすぐ側にいると分かって、何もしないで放っておく訳がないだろう」
その瞬間、韓衆の目の前が真っ暗になった。
韓衆の一度の失態は、この計画の生命線そのものを断ち切ったのだ。
徐福の思った通り、始皇帝は李斯を呼んで今後の事を話し合っていた。
「まさか扶蘇や将閭があのように思い上がった行動に出るとは……これからはあやつらも、不穏分子として警戒せねばならぬ」
すると、李斯も深刻な顔でうなずいて言った。
「さよう、しかし公子様方だけではあのような考えは浮かびますまい。
必ず、公子様方に入れ知恵した何者かがいるはずでございます。あの妨害に加わった儒者以外にも同調した者がいないか、徹底的に調査いたしましょう。
二度と、このような事が起こらぬように」
今回の計画失敗は、これまで潜伏していた不満を持つ者たちの存在を始皇帝や李斯につきつける結果になってしまった。
当然、始皇帝はそういう者たちを不穏分子として取り締まり、取り締まりを逃れた者も表立った活動ができなくなる。
こんな状況で、同じことをもう一回やれるはずもない。
それどころか、扶蘇の交友関係を探られれば、韓衆まで捜査の手が及ぶことも有り得る。
「扶蘇め……あのような事をされたら、朕の統治がうまくいっておらぬと見られて、仙人に見限られるではないか。
父にそのようなことをすればどうなるか、思い知らせてやるぞ!」
始皇帝は獰猛な肉食獣のような視線を、自らの後宮に向けた。




