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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二十九章 止められない
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 初めはそんなつもりじゃなかったのに、いつの間にか大逸れたことをしないとどうにもならなくなっていることって、ありますよね。

 それが国家、世界規模ならなおさら、決断の躊躇は許されません。


 ついに、大きな決断をした徐福に、盧生と侯生はさらにとんでもない策を捧げるのでした。

「なるほど、陛下の隔離はうまくいったか」

 徐福たちは地下で、盧生と侯生の報告を聞いていた。ひとまずうまくいったらしいが、盧生と侯生の顔色はさえない。

 その理由を聞くと、尉繚はあからさまに顔をしかめた。

「陛下のためだけに、全ての道を二階建てもしくは専用道つきだと!?

 馬鹿げている……そのためだけにどれだけ人手と金がかかると思っているんだ!ただでさえ大事業ばかりして、民まで徴用しているのに。

 二人が考えたように、陛下の移動範囲を限れば良いではないか!

 何を考えてるんだ李斯は!!」

 始皇帝の隔離という目的は果たした。しかしまた例によって、こちらが望みもしない天下を圧迫する大工事が始まってしまった。

「わ、私たちが言ったんじゃない……。

 なのに、なのに……!」

 半泣きになる盧生と侯生を見ていると、もはや哀れに思えてくる。

 いや、被害者はここにいる全員だ。ちょっと始皇帝の行動を抑えてほしいだけなのに、始皇帝に絶対忠誠の高官たちによってやることがことごとく大事業に化けてしまう。

 それで生じた天下の恨みを全てこちらに向けられたら、たまったものではない。

 それに、こんな事がこれからも繰り返されたら国と民が疲弊する一方だ。この大帝国が崩れる危険が、現実味を帯びてくる。

「そんな……せっかく国が統一されて平和になったのに……」

 韓衆が、呆然として肩を落とす。

 徐福も、悔しそうに首を横に振った。

「ああ、全くもって洒落にならんな。

 これでは最悪、研究が完成する前に国が潰れかねん。もしそうなって感染した後宮の女や陛下が民に紛れたら、取り返しがつかん。

 そうなる前に、何とかせねば……」

 徐福は少しためらって、観念したように暗い天井を仰いで言った。

「本格的に、この研究をたたむことを考える頃合いかもしれんな」

 その瞬間、そこにいた全員が息を飲んだ。


 ついに、徐福本人が研究の中止を口にしたのだ。

 これまで脇目も振らず、不老不死を求めて突き進んできた徐福が。そのために倫理を踏み越えて幾多の成果を上げてきた徐福が。

 雲を掴むような話だった仙人伝説と不老不死の尻尾を掴み、理を求めて筋道を立て、研究のためにここまでの体制を築いた徐福が。

 これまでの、いかなる困難にも決して屈しなかった徐福が。


 予想だにしなかった発言に、石生が目を白黒させて言い募る。

「そ、そんな……ここまでしたものを、やめてしまうのでございますか!?

 せっかく、夢物語が現実になる道が開けてきたのに……到底人ができると思えなかったことが、できかけているのに……。

 そんな素晴らしい研究にこの身を捧げられること、我々は誇りに思っておりますのに!」

 石生や古参の助手たちにとって、この研究はもはや彼らの生きる目的になっていた。

 死刑になって終わるはずのところを救われ、研究を通して自分の手で理を明かしていく楽しみを知り、この研究に全てを捧げようと誓った。

 たとえ自分が犠牲になっても、怖くないとすら思い始めていた。

 だというのに、その素晴らしい研究を取り上げられてしまうなんて……。

「嫌です、やめるなんて……むしろ早く不老不死を完成させる方に力を注ぎましょう!

 いえ、それが難しければ治療薬の方を研究しましょう。治療できるようになれば、世が滅ぶのを心配しなくてよくなります!」

 すがるようにそう言う石生に、徐福は苦々しい顔で言った。

「それができれば、一番なのだがな……現状では非常に難しい。

 我々はこれまで、治療よりも不老不死を目指す方に重きを置いて研究してきた。おかげで、治療に関する研究はあまり進んでおらぬ。

 工作部隊が来てからはたまにやってみるようになったが……うまくいった例がないのは、おまえもよく知っているだろう」

 そう言われて、石生の顔が絶望に歪んだ。

 助手が謝って感染してしまった時から、治療実験はたまに行われてきた。工作部隊の医薬の専門家が、手を尽くして治そうとしてきた。

 しかし、治せたことは一度もない。

 人食いの病に感染した者は皆発症して死に、人食い死体となって起き上がる。死後に起き上がらないようにするにも、頭を潰すか焼くしか手がない。

 できたのは、発症と死亡を少し遅らせることだけ。

「症状から治療の方向を推測しやすい人食いの病ですら、この有様だ。まして症状のない尸解の方は、どう手を付けていいか全く分からん。

 特効薬を探すにしても、砂漠でたった一粒の米を探すようなものだ。

 それほどの研究が、今の縮小した体制でできると思うか」

 不老不死を求めるにしろ治療薬を探すにしろ、前の感染拡大で痛手を被った今の体制では確実に前より遅くなる。

 研究を取り巻く状況は、明らかに前より切迫してきているのに。

 ここで突き進むことがどれだけ危険かは、徐福にもよく分かっていた。

 こうして助手たちが黙ると、韓衆がしんみりと呟いた。

「それでは……やめるということは、全てを処分するということ。

 処分なさるのですね……陛下を」

 その言葉に、周囲はまたしても息を飲む。

 研究をやめるということは、そういうこと。後に危険を残さないために、始皇帝も含めて全ての感染者を殺さねばならない。

 ここでの研究をたたんでも、そこを放置すればいずれ地上で人食い死体が発生する。それだけは、防がねばならない。

 徐福は、わなわなと震えている尉繚に声をかけた。

「……できぬか?この期に及んでも、陛下の方が大切か?

 その怒りに任せてここで俺を殺して、世を救えるか?」

 尉繚は全身に怒りをみなぎらせ、火を吐くような声で、しかし否定した。

「……やれぬ訳が、ないだろう!俺は天下の民が、平和に豊かに幸せになる事を願って陛下を助けてきた。そのためならば……たとえ陛下であろうとも。

 もしここで陛下を守ったら、うなずくしか能のない高官どもと同じだろうが!!」

 己の未練を断ち切るように、尉繚は叫んだ。

 本当は、始皇帝を守りたくてたまらない自分がいる。願いを託した始皇帝を惑わし害するこいつらの首をはねろと、心の奥が叫んでいる。

 しかし、それでは世と民を滅ぼしてしまう。

 始皇帝に願いを託して身を粉にして働き、ようやく平和に導いた人々を。

 それだけは、どうあっても尉繚の望むところではなかった。

「いいのだ、陛下は……今の陛下とこの国は、もう民を幸せにできる存在ではない。今の体制を守り続けても民に未来はないと、俺にもよく分かった。

 陛下は天下のために自分が強くなるのが一番だと思い込んでいて、それを諌める臣はもはや残っていない。

 周りにいるのは、陛下のことしか考えていない李斯のような連中ばかり。

 民を思う心ある者も、それを表に出し過ぎると首が飛ぶ」

 尉繚は、涙をこらえて自らの思いを語った。

 初め、尉繚はここの方士たちが惑わしたから始皇帝がおかしくなったのだと思っていた。だからこいつらを討たねばと、過激な攻撃をかけたりもした。

 しかしこちら側から見てみて、そうではないと分かった。

 徐福たちはただ研究を完成させたいだけで、必要以上のものをせしめて天下の富を吸い上げようとは思っていない。

 そのための要求を何十倍もの大事業に化けさせて民を苦しめているのは、他でもない始皇帝と周りの高官たちだ。

 むしろここが、悪の根源。

 逆に今は、明るい未来のためにここを潰さねばと思うことすらある。

 始皇帝を処分するのに、異論はない。

「……ですが、問題はやり方です。

 陛下から他への感染を防ぐために陛下を隔離したことで、我々も陛下に手を出しにくくなりました。刺客を放っても、成功する前にこちらが捕まるかも……」

 ここでまた、韓衆が心配そうに呟く。

 ただでさえ強固だった始皇帝の安全体制がさらに強化された今、始皇帝を殺すことは非常に難しい。

 だが、盧生と侯生には一つの策があった。

「何、外から狙えなければ内から狙えばいいのだ。

 それに、陛下を殺してもすんなり帝位が次に引き継がれれば戦乱は起きない。むしろ、これを利用して民心を安定させることもできる」

「ほう、それはどういうことだ?」

 思わぬ提案に目をぱちくりする徐福に、盧生は額に汗を浮かべて言った。

「公子の扶蘇様を立て、世代交代する形で陛下を殺させるのです!

 暴君を倒すという大義を掲げさせれば、今なら民も騒ぎますまい」

「!!」

 しばし、部屋が静寂に満たされる。これまでいろいろと衝撃的なことを見聞きしてきた面々も、これには二の句が継げなかった。


 扶蘇を新たな帝に立て、始皇帝を暴君として討つ。

 これなら余計な戦乱は起こらないし、民の心にも適っている。天下には、広く受け入れられるだろう。

 しかし、これは……子に、父を殺させるということ。


「なる……ほど……うまい手を、考えたな……」

 徐福が、やっとのことで途切れ途切れに言葉をこぼす。一応肯定はしているが、その声にいつもの覇気はなかった。

 続いて、韓衆が半狂乱になって叫ぶ。

「なりません、そんな残酷な策は!

 元はといえばこちらが悪いのに、何の罪もない扶蘇様にそのようなことを……!」

「なら、おまえは世の滅びを受け入れるか?研究を続ける方に賛成するか?」

 徐福が、韓衆の肩を強く掴んで低くささやいた。そう言われると、韓衆は愕然とした顔で口をつぐむ。

「元はこちらがまいた種、それは分かっておる。

 しかし今は、天下万民を終わらせぬために最善を尽くさねばならん。これ以上に犠牲の少ない策が他にあれば良いが……現実的に考えて、どうだ?」

 韓衆は、答えられなかった。

 彼の目に映る事実が、動かしようのない状況が、それが最善だと訴えている。現状を分析すればするほど、反論できなかった。

 他にも、反対意見を述べる者はいなかった。


 かくして、恐るべき計画が動き出す。

 今や簡単に殺せなくなった始皇帝を殺し、天下に安全と平穏を取り戻す作戦。うまくいけば、世の滅びも国の滅びも回避できる。

 しかし、それを成功させるにはいくつもの壁が立ちはだかっている。

 これがうまくいくかは、まさしく神仙のみぞ知るところであった。

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