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地上回、盧生と侯生が検査のために動きます。
後宮といえば男のロマン、皇帝の非常にプライベートな場所です。
そこの女子供を検査するために、二人はどんな理由を用意したのでしょうか。久しぶりに、二人の詐欺の腕前が冴えわたります。
地上に戻った盧生と侯生は、すぐに動き始めた。
といっても、あからさまに人目を引くような慌て方はしない。いつも通り、始皇帝に謁見を願い出て待った。
感染を調べるのは確かに急いだ方がいいが、一刻を争うほどではない。
なぜなら、多少調べるのが遅れても感染が広がる範囲は限られているから。
地上で感染源となるのは、始皇帝ただ一人。そして始皇帝と交わる女は、基本後宮にいる女ばかりだ。
後宮の女は万が一にも皇帝以外の男の種を宿してはならないため、他の男が近づかないように厳重に管理されている。
そのため、そこから他の男への感染はほぼ起こらない。
これは、始皇帝ならではの事情であった。
(地上での最初の一人が、陛下で良かった……!)
盧生と侯生は、このことに心から感謝した。
もしこれが一般であれば、不貞を働く者がいたり金で女遊びをしたりしてどこまで広がるか見当もつかない。
だが、皇帝なら感染する人数は増えれど外に広がることはない。
二人はできるだけ心を落ち着かせて検査の口実を考えながら、宮廷から迎えの使者が来るのを待っていた。
予想通り、謁見はすぐに行われた。
「おうおう、おぬしらはまた何か良いことを思いついてくれたのか?」
始皇帝は、ニコニコと笑いながら二人に話しかける。
始皇帝は最近、二人に会うのが待ち遠しくてならなかった。特に暴動の一件で処罰を下してからは、二人に嫌われたのではないかとやきもきしていた。
その二人のせいで自分の体に何が侵入したかなど知る由もなく、始皇帝は二人が口を開くのを待つ。
盧生と侯生は、少しすまなさそうな顔になって切り出す。
「実は、少々無礼な話になるかと思われますが……陛下のお側に置く女の話を」
「ほう……女だと?」
それだけでは話が見えず、始皇帝は二人に続きを促す。
「は、我々が心配になったのは、地下に入られてからの陛下のことでございます。仙人となられた陛下は、地下で人を遠ざけて暮らしていただくことになります。
しかしそれでは、陛下をお側でお慰めする者がいなくなります。
それをどうにかするために、一つ提案がございます」
「おおっ何とかなるのか!?」
切り出された話に、始皇帝は目を丸くして身を乗り出した。
実のところ、始皇帝も気にしてはいたのだ。
仙人になれば、他人の邪気で力を失わぬよう他人と離れて暮らすことになる。もちろん、今夜ごと楽しんでいる女たちとも。
それは、味気ない生活になるだろう。
しかし不老不死のためならその程度の犠牲はやむを得ないと考え、仙人になれば欲もわかなくなるだろうと想像して己を納得させていたのだが……。
「連れて行けるのか、女たちを」
実に人間臭く目を輝かせる始皇帝に、盧生と侯生は言った。
「もちろん、全てとはいきませぬ。
というより、それができる女が後宮にいるかどうかをまず調べさせていただきたく存じます。できるかどうかは結果を見なければ何とも……」
「かいつまんで申しますと、仙才の高い女がいるかどうか調べたいのでございます。
人間に男女がいるように、神や仙人にも男女がございます。つまり女の中にも、仙才の高い者はいるのです。
そのような女が見つかれば、陛下が仙人となった後も仙女となって寄り添うことができるでございましょう」
その提案に、始皇帝は喜色満面となった。
「なるほど、その手があったか!
それならば、朕は地下でも寂しゅうない」
大きな目標のためにしぶしぶ手放すものを取り戻せる、これは嬉しい。それが本能に直結するものならなおさらだ。
「素晴らしい、ぜひやってくれ!!
して、どのように調べる?」
「以前陛下にいたしましたのと同じことでございます。
後宮にいらっしゃる女たちとその子供の血を少し採ってもらい、それで仙紅布が作れるかどうかを試します。
後のことを考えますと、陛下のお子様たちも調べた方がよろしいでしょう」
「なるほど、高い仙才を得た朕の子なら高い仙才を得るかもしれんな」
始皇帝が感心して呟いた一言に、盧生と侯生は思わずぎくりとした。
そう、尸解の血は蓬莱の民の間で代々受け継がれてきた。それが遺伝ではなく病だとしても、親から子へ感染するのは確かなのだ。
幼子のうちは子が母の乳を吸ったり母が子の血に触れたりすることが多いため、始皇帝を感染させる前の子でも油断はできない。
そのため二人は徐福から、女だけでなく子も調べるよう言われていたのだ。
二人は内心の動揺を悟られぬように、頭を下げて話を続ける。
「つきましてはこの王宮と、それから滅ぼした六国の宮殿と他にも女を囲っていらっしゃる離宮、全てを調査させていただきます。
すべて同時にやるのは無理なので、日時を決めて血を受け取りに参ります」
「血はどなたのものか分かるよう、所属と名前を記しておいてくださいませ。
それと、これからは女の移動などあまりなさらぬよう、しっかり管理していただきとうございます。
もし一部の女が陛下にいつまでも連れ添えると分かれば、そうでない女が嫉妬して害したりすり替わろうとするかもしれません。
ゆえに、結果は陛下が仙人となられる時にお教えします」
調査しておいて結果を知らせぬというのもおかしな話だが、盧生はうまく理由をつけてごまかした。
実際、後宮の女たちは始皇帝の寵愛を受けるためなら何をしてもおかしくない。それを考えると、この理由は現実味があった。
さらに、二人は追加で進言する。
「それから、できれば陛下がお楽しみになった女は記録しておいていただきたいと。
万が一そのような女が陛下からの刺激で仙才に目覚め、お払い箱となった後に子を生むと厄介の種になりますので」
「そうですな、一度でも交わった女は後宮に留め置いてください。
仙才があっても仙薬には限りがあるでしょうから、陛下に連れそう女を選ぶ時の参考にいたします」
少々理由が怪しいが、もう始皇帝には気にならなかった。
仙人となった後も女といられる、それで頭が一杯だ。
それに男というものは、基本的に一度手に入れた女を他の男にやりたくないものだ。二人の提案は、始皇帝のそんな気持ちに合致していた。
始皇帝は一も二もなく二人の言葉を受け入れ、さっそく実行するよう官吏たちに命令を下した。
「そうか、後宮の検査は実行できるか」
地下で報告を聞き、徐福たちは胸を撫で下ろした。
盧生と侯生の手腕に、韓衆は半ば呆れてぼやく。
「必要なことのためとはいえ、よくもそんなありもしない言い訳を……これまでも何かあるたびにそんな言い訳をしてきたのでしょう。
これは傍から見れば憎まれても仕方ありませんよ。
それに、これでまた行政府にどれだけ仕事が増えるか……どれだけの女が結婚して子をなすことなく終わるか……」
裏事情が分かったとはいえ、やはり韓衆は人をだますのに乗り気でなかった。
このために天下の民から集めた税がどれほど使われ、一度手をつけられただけの女がどれだけ寂しく枯れていくのかと思うと、不快感がこみ上げてくる。
しかし、徐福はそんな韓衆にぴしゃりと言い放った。
「ほう、ならそれと世界の安全とどちらが大事だ?
こいつらを批判するなら、おまえは正面突破でこれを解決できるのか?」
「それはっ……!」
こう言われると、韓衆は黙るしかない。
清く正しくやるのは美しく理想的だが、これで全てがうまくいく訳ではない。迅速に安全に事を進めるために、多少汚い手は必要なのだ。
それでも嫌な顔をする韓衆に、徐福は内心ため息をついた。
(こいつは思考力と探求心は一流だが、性格が清廉すぎる。謎を解いてくれたのは嬉しいが、この研究には向いておらぬ。
何でも正直に開けっ広げにやっていると、逆に災いを呼び込むこともあるというのに……。
こやつの気質が、何か要らぬものを呼びこまねばいいが)
やはりこういう秘密の多い研究には向き不向きがある、と徐福は改めて思う。
何か問題があった時にここの事情を漏らさずうまく外を動かして対処できるのは、やはり元詐欺方士の盧生と侯生なのだ。
韓衆のやり方では、逆に速やかに情報が漏れて世界が滅ぶかもしれない。
だが、かといって今韓衆を切ることはできない。韓衆はもう事情を知ってしまったし、研究を進めるうえで手放すには惜しい人材だ。
徐福はにらみ合う三人の気を逸らすように、パンパンと手を叩いて言った。
「さあ、これから忙しくなるぞ!
まずは後宮の姫妾たちの検査、結果によってはさらなる感染対策を考えねばならん。
人食いの災いの元が世界に広がるかどうかの瀬戸際だ、全員一丸となって正確な検査をするように!」
「はっ!」
三人は、すぐに真剣な顔になってうなずいた。
どれだけ考え方が違おうとお互いに不満を持っていようと、今からやらなければならないことは変わらない。
世を滅ぼさないためにできる事をやる、それは全員同じだ。
目標を明らかにして剣呑な空気を散らすと、徐福はふと思い出した。
「……検査と言えば、蓬莱の方も仙黄草を送って検査待ちだったな。
あちらの大陸人の死体が起き上がった件も、韓衆の仮説に当てはめれば説明がつく。
……ともかく、検査の結果を見れば韓衆の仮説が正しいか杞憂かが分かるであろう。杞憂であることを祈りたいが、現状を見ると厳しいか……」
もうすぐ、検査の結果が真実を見せてくれる。
そこには、正体不明の怪物の顔を直視するような恐怖と安心への欲求……相反する二つの感情が雷雲のように渦を巻いていた。




