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ついに韓衆が抱いた疑問を皆にぶちまけ、突破口が開かれます。
尸解の血と人食いの病、徐福たちが犯していた最大の過ちとは。
自分たちが一番知っていると思うほど、こういう盲点はありますよね。
韓衆が研究に参加して二日後、徐福は研究に携わる主な者を集めて討論会を開いた。
韓衆が研究について学んでいる間に抱いた疑問を、どうせなら皆で吟味してみようというのだ。
「そんな質問など、誰かが答えて済ませればいいでしょうに。
我々には、他にやらねばならぬことがたくさんあるのですから」
煩わしそうにそう言うのは、盧生と侯生だ。
一方、尉繚は賛成だ。
「その今用意されている答えが本当に正しいか分からぬのだから、一度皆で考えてみるのには意義がある。
固まったままの考えでいくら実験を重ねても、その結果の中にある真実を拾えるとは限らん。そこを打開するために外部の人間を招いたのだ。
ここは下手に決めつけず、正直にどう思うか聞いてみようではないか!」
下っ端の中でも、意見が分かれた。
「参加させてやって早々、我々の発見してきた真理を否定するとは!」
「研究の大元を疑う輩が、研究で使い物になるものか!」
そう怒りの声を上げるのは、元死刑囚の助手たちだ。
彼らは助手として選ばれたことで命を救われ、長く研究の主力となってきた。ゆえに徐福の説を疑うなど神の言葉を疑うくらいおこがましいと思っており、さらに今基本になっている知識は自分たちが発見したという自負がある。
それを疑われたことで、自分たちがやってきたことが侮辱され否定されたと思っているのだ。
しかし工作部隊はそうではなかった。
「いやいや、己の目に映るものだけが真実とは限らぬ。
真実や真理とは、いろいろな面から見て全てひっくるめて判断しなければ分からぬものだ。やる事が正しくあってほしければこそ、疑う者の言に耳を貸すべきだ」
工作部隊は尉繚の失敗によって半強制的に研究に参加させられてから、自分たちのやることは本当にこれで正しいのかと不安を抱いていた。
従うしかないからやっているものの、自分たちの手で暴いた訳でもない押し付けの知識にとりあえず従うのは不安なものだ。
彼らは、自分たちの信じている事が正しいのだという証明がほしかった。
いや、たとえ間違いだと証明されても構わない。真実がどうか分からないまま進み続けるよりは、その方がはるかにマシだ。
徐福も、工作部隊や尉繚と同じ意見だ。
大切なのは今の知識を守ることではなく、真実を引き寄せて不可解な感染の謎を解くこと。でなければ、安全に先に進めないのだから。
徐福は、ともすれば韓衆の質問以前に大激論になりそうな部下たちを黙らせ、韓衆に発言を促した。
「まずお聞きしたいのは、尸解の血は体質なのか、ということです」
韓衆は、大勢の視線にも物怖じせずにそう言った。
その質問に、大部分の者は意味が分からず首をひねる。
「は……体質なのか、だと?
蓬莱人にしかみられない性質の元で、怪異とかそういうものでもなさそうだから、体質としか言いようがないと思うが……」
盧生が、戸惑いながらも自らの答えを口にする。
すると韓衆は、静かに首を横に振って言った。
「いえいえ、これが神秘ではなく理に類するものだとは思っております。
ですが、何か原因があって人体に特異な性質が出るのは、何も体質……その者が元から持つものからだけではありますまい。
外から来るもの……病によっても、人の性質は変わります」
その意見に、徐福はうなずいた。
「ああ、人食いの病はまさにその典型例だな。
病によって人間の体を不老不死という性質に変える、それが我々の最終目標だ。我々もそれを分かったうえで、研究しておる」
それを聞くと、韓衆は徐福にこう質問した。
「では、なぜあなた方は、尸解の血を体質だと決めつけたのですか?」
「何?……そうではないとすれば……」
「小生が言いたいのは、尸解の血は体質ではなく病ではないかということです」
その一言に、一同は面食らった。
率直に言うと、その発想はなかった。
尸解の血というのは一部の人間のみが持つ特殊な性質だから、体質なのだと信じて疑ったことがなかった。
それを持っている蓬莱人たちも、体質だと認識していた。
持っていても生きている間は痛くも苦しくもない。ただ死後奇妙なことになるだけだ。
ただ他の病と重なると厄介なことになるため、この特殊な体質のせいでこんな離島に閉じ込められたと嘆いていた。
「……病、か。なるほど、そういう考えもあるか」
徐福が、やっとのことで状況を確認するように呟いた。
韓衆はそれを受け入れてもらえたととったのか、少し早口になって続ける。
「はい、小生が研究記録を呼んだところ、尸解は体質ではなく病の要素が強いように思えたのです。
その最たるものは、他人にうつせるという点です。尸解の血が体内に入るようにすれば、尸解の性質そのものがうつると。
病は他人にうつるものが多くございますが、果たして体質が他人にうつりますか?」
「むむっ確かに!!」
鋭い指摘に、徐福は目を見開いた。
言われてみればその通りだ。病の中には他人にうつるものが多いが、体質は個人又は一部の集団のもので普通他へはうつらない。
だというのに、徐福は蓬莱の民が体質だと言うのを鵜呑みにしてそうだと思い込んでいたのだ。
そもそも、蓬莱の民の言う事が全て本当だとは限らないのに。嘘をついているつもりはなくても、自分たちのことを全て正しく知っているとは限らなかった。
「……で、病だったらどうなるというのだ?」
尉繚が、韓衆に質問する。
すると、韓衆は少し心配そうな顔になって言った。
「病はうつるもの、尸解の性質も血を介してうつることが分かっております。なれば……その他の方法でうつることもあるのではと。
確か、人食いの病は血と唾、交合でうつるのでしたね?」
その瞬間、徐福の頭の中に稲妻が走った。
噛み傷も出血も介さない、交合にしても辻褄が合わない謎の感染。
その形で感染していた者たちは皆、人食いの病の症状が出ていないのに検査液が感染が進んだ色……鮮やかな朱色になっていた。
(もしうつっていたのが、ただの尸解の血であったとしたら……!!)
そんな徐福の予感をなぞるように、韓衆はさらに続ける。
「それに、人食いの病と尸解の血は同じ薬液で検査するのでしたね?
なれば、検査された者にうつっていたのが尸解の血でも、見た目上人食いの病の感染者と同じ結果が出るはず。
違うがあるとすれば、症状の有無でしょうか。
今までに見たことがあるはずですよ?尸解の血だけうつして、症状がないのに検査液が赤くなっていた者を」
それを聞いて、今度は盧生と侯生、助手たちがはっとした。
そうだ、自分たちは尸解の血をうつすのが成功したかどうか、まさに同じ検査で確認していたではないか。
その中で、何十回も見た。
見た目上元気なのに、検査液だけは深い感染を示す赤に染まるのを。それが、尸解の血を持つ検体として使えるようになった目印だった。
盧生と侯生は、もっと重大なことを思い出した。
(陛下……!!)
それは、他でもない始皇帝に尸解の血を与えた時。
儀式を行って三か月後くらいに、実感がわかない始皇帝の目の前で作ったではないか。彼自身の血を使った、仙紅布を。
仙紅布の色……それはまさに、人食いの病の感染が進んだ色と同じだ。
(な、なぜ今まで気づかなかったのだ!?)
盧生と侯生はこんなにも目立つ印があったのに気づかなかった己に驚愕し、酸欠の魚のように口をぱくぱくさせた。
「……では、あの経路が分からなかった感染者たちは、尸解の血のみがうつっていた?」
「おそらく。それならば、説明がつくでしょう」
徐福も頭の中で、急速にその仮説を組み上げていった。
感染経路が分からなかった娼姫たちは、尸解の血を持つ安息起と情交するのが仕事だった。歌妓に手を出した助手たちについても、歌妓が尸解の民である男の検体の慰みものだった。
尸解の血が病で、交合により感染するとすれば、全て説明がつく。
不可解な謎は、どこにも残らない。
これまで研究に携わっていた者たちは、皆真っ青になって黙り込んだ。
自分たちはこれまであんなに尸解の血と人食いの病を扱ってきたのに、誰よりも知っているはずだったのに……こんなのは考えたこともなかった。
尸解の血は体質で、人食いの病は病。疑うことなく信じていた。
しかし、どうやら真実は違った。尸解の血も人食いの病も、病。
血と傷もしくは男女の交合で感染し、うつった者の体を変質させるもの。仙黄草による検査で同じように検出される、二つの病。
誰も、そんな風に考えたことなどなかった。
誰もが徐福の言うことを頭から信じ、徐福も蓬莱の民の言うことを疑うことなく信じてしまっていたから。
その大元が間違っているとは、誰も考えなかった。
あまりの衝撃にお通夜のように静まり返った一同に、韓衆は言った。
「皆さまの反応を見ますに、小生はご期待通りの働きができたのでしょうか?
これで人と世を守れるならば、光栄でごさいます」




