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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二十六章 嵐の後
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(126)

 ひとまず感染爆発は防ぎましたが……これで何事もなかったように日常に戻れる訳がありません。

 世界の命運をかけた一夜の攻防は、あまりに多くの人を巻き込みすぎていました。その後処理をしなければなりません。


 日頃方士たちを良く思っていなかった周囲は、ここぞとばかりに盧生と侯生を攻撃しますが……まずここで耐えきらないと、未来がないのです。

 その日、咸陽は朝から大わらわであった。

 いや、朝からではない……正確には前日の夜からだ。

 昨日驪山陵で始まった刑徒たちの暴動は、一応日の出までには鎮圧された。暴動に加わった刑徒の多くは殺されるか降伏するかし、暴れ回る集団は見た目上いなくなった。

 しかし、全てを管理下に置けた訳ではない。

 数万の暴徒のうち、一部は秦軍の包囲を破って逃げ出してしまった。その数は、少なくとも数千であろうと見積もられている。

 その逃げた残党を狩るために、咸陽の周りでは朝から秦軍が駆けまわっている。

 市街地でも逃げた刑徒を警戒して、各所に兵士が立ち人々の動きに目を光らせている。

 それはお世辞にも清々しいとか落ち着いたとは言えぬ、不穏でものものしい朝であった。


 始皇帝は、日が昇る前から王宮の執務室に出てきていた。

 昨日の暴動で盧生と侯生と連絡が取れなくなったと聞いてから、不安で夜明けまで一睡もできなかったのだ。

 そこに、ようやく二人の消息を知らせる伝令がかけつけてきた。

「お二人の身柄、無事確保いたしました!」

「おお、それは良かった!

 すぐ医者に診せて休ませてやれ」

 始皇帝は安堵したが、伝令は何となく歯切れの悪い顔で続けた。

「ですが、その……暴徒鎮圧の作戦において、お二人に軍法違反があったとかで……蒙恬将軍が軍法会議を要求してございます」

「そんなものは午後に回せ!

 今はとにかく、二人の体が第一じゃ」

 始皇帝は、苛立ちをぶつけるように伝令を怒鳴りつけた。

 とはいえ、法に違反することがあったなら会議を開いて審議せねばならない。厳格な法治国家である秦においては、全てのことを法に従って処理せねばならない。

 始皇帝のお気に入りである盧生と侯生といえど、それは避けられない。

 またどんな厄介なことになったのかと頭を悩ませながら、始皇帝はいつも通り午前の政務に取り掛かった。


 日が中天を過ぎた頃、ようやく軍法会議が始まった。

 首都で起こった一大事ということもあり、そこには当事者以外に丞相の李斯や馮去疾などの文官も参加している。

 全員が揃うと、さっそく暴徒鎮圧の総指揮官である蒙恬が立ち上がった。

「本日は、陛下より賜った命を果たせなかったこと、まずはお詫び申し上げます。

 しかし作戦の失敗は理由あってのこと、どうかお聞きください」

 そう言って深く頭を垂れ、そして憮然とした表情で盧生と侯生をにらみつける。

 責任はおまえたちにあるのだから、潔く裁かれろと言わんばかりだ。

「我々は陛下のご命令に従い、最善の手を尽くしました。暴徒共をせん滅し、そこのお二方を救出せよと。

 しかし、そこのお二方は我が配下の兵に従わなかったのです。

 配下の兵がお二方を救出しようとしたところ、お二方は逆にそれを拒み暴徒の方に突っ込んでしまいました。そのためお二方を追いかけて包囲陣は崩れ、そこを暴徒共に破られました。

 明らかな命令違反の上この損害、どうか正当なる沙汰を」

 蒙恬の言葉には、恨みがこもっていた。

 当然だ。二人の勝手な行動で、蒙恬は将軍としての実績に泥を塗られたのだ。

 秦の天下統一にも大きく貢献し、自他ともに認める名将である蒙恬にとって、これは屈辱だ。自分の実力ならやれることを、妨害されたのだから。

 おまけに、そのせいで数千の暴徒が野に放たれてしまった。

 これは、内政で国を安定させる文官たちにとっても大きな懸念である。控えめに言っても、心証はよろしくない。

 蒙恬の弟で文官の蒙毅が、厳しい口調で兄を援護する。

「それは大変な失態ですな。この国の治安を乱します。

 しかも、退けという陛下の命令があったのにそれに背いたと?これはもう陛下の命令をないがしろにしたも同じ。

 地位はく奪のうえ、投獄もやむを得ぬかと」

 丞相の李斯と馮去疾も、これには反論できず黙っている。

 結果として国を乱してしまったのは確かだし、何より始皇帝の下した命令に違反したというのはかばいようがない。

 かばえば、自分たちも二心ありと判断されかねないからだ。

 集まった他の将軍や文官たちからも、二人を嘲笑うささやきが流れてくる。

「はっ、これであいつらも終わりだな!」

「戦を知らねえくせに、陛下のお気に入りってだけでつけ上がりやがって。これでいなくなれば、せいせいすらぁ!」

「元より怪しい術を売りつけるだけの方士ども、信じたのが間違いだった」

「それが今証明された。これで陛下も目を覚まされるであろう!」

 二人の味方になったり、気の毒に思ったりする者すらいない。

 二人が日頃どのような目で見られているか、分かるというものだ。

 李斯は苦しい顔で、他の者たちを黙らせて言った。

「静粛に!ここで議論すべきは感情論ではなく、法に則った裁きである。そして、判断を下すのは我々ではない。

 以上の事実を踏まえまして、陛下、お沙汰を!」

 部屋の空気が凍り付いたように、しーんと静まり返る。

 それぞれの息遣いのみが響く中、始皇帝がいかめしい顔で場を見下ろした。


 始皇帝は怒っていた。

 盧生と侯生に対してではなく、この二人の重要性を全く分かっていない他の臣下たちに対してである。

 あいつらはこの二人を怪しいとか信用できないとかさっさと追い出せとか言うが、この二人が自分の悲願のためにどれだけ働いているか知っているのか。

 二人を追い出して、他に不老不死をもたらせる者がここにいるのか。

 できなかったことばかり論い、二人にしかできないことを認めようともしないで。

 とんでもない頭でっかち共だ、と憤慨していた。

 天下は既に統一された。取るに足らぬ暴徒数千が逃げ出したとて、すがれる他の勢力もない。いずれ捕まるか殺されるかのたれ死ぬのが関の山だ。

 そうなるのが当たり前のような統治と治安維持を命じてあるのはあいつらなのだから、これで国が乱れたらそれこそあいつらの怠慢ではないか。

 己の職務も分からぬ無能どもめ、と失望していた。

 そう、始皇帝は初めから二人を助けようと決めていた。

 だって二人は、自分が人を超えるという偉業を果たすのに不可欠だから。

 そのうえ、今目の前にいる盧生の状態がその感情に拍車をかけた。

 盧生はここに担架で担ぎ込まれ、医者に付き添われてぐったりしている。それを悲痛な表情で見つめる侯生がなお痛々しい。

 どうも、盧生は無事ではないのだ。

 蒙恬には、二人の救出を最優先にしろと命じたのに、一人傷ついてしまったではないか。

 これでよく二人の違反を責められたものだ、とますます怒りが燃え上がる。

 これはもう蒙恬からすれば完全な逆恨みでしかないのだが、それを法より優先させるほど始皇帝は二人に執着していた。

 始皇帝は、黄泉の王の裁きのように大口を開けて言った。

「審議は、双方の意見を聞くのが原則である!

 それに、盧生が無事でないのが貴様らには分からぬのか!?そのせいで命令に従えなかったのであれば、責めるに値せぬ!」

 その瞬間、始皇帝と方士二人以外の全員があっけにとられた顔をした。

 つまり、始皇帝の対応は完全にこの有能な臣下たちの予想を裏切ったということだ。

 蒙恬が、慌てた様子で口を開く。

「いえ、陛下……そのようなことは!

 我が配下たちが追っている時点で、盧生は元気でした。そう報告を受けております。そもそも、元気でなければあんなに逃げ回れるはずが……」

「おぬしには聞いておらぬ!!」

 蒙恬の発言は、始皇帝の一喝で遮られた。

 驚いて目を白黒させる蒙恬の前で、始皇帝は大切な方士たちの発言を促す。

「さて、盧生、侯生よ。

 将軍どもはああ申しておるが……申し開きすることがあるなら、申してみよ」

 すると、侯生が平伏して言った。

「誠に、事実に相違ありませぬ!

 我々は混乱の中、陛下のご命令を本物と思えず軍律を乱してしまいました。これに関しては、申し開きはいたしませぬ。

 それと、盧生が倒れたのも本人のせいでございます。軍から逃げている時に少々強力な術を行使いたしまして、その反動で……」

「術だと?」

 思わず興味を引かれる始皇帝の前で、一人の将軍が声を荒げた。

「おい、それは我が部隊の者を何人も動けぬ身にしたあれか!?

 貴様らが余計なことをしてくれたせいで、我が部隊の名だたる精鋭と馬が使い物にならなくなっちまった!」

「何と、そんな力が!」

 驚く始皇帝と周りの者たちに、侯生は悲痛な面持ちで告げる。

「ここで捕まっては我々の使命を果たせぬと、追手から身を守るために使いました。

 人間が動物の精気の流れを狂わせ、力を奪い動けなくする術でございます。ただし、未熟な者が乱発すると自らも精気を消耗して力を失いますが……」

 盧生も担架の上で力なく顔を動かし、かすれた声で訴える。

「申し訳……ございません……。少々、力を使いすぎたようで……ございます。やはり、私めが使うには……この術は強すぎた……ようで……」

 聞きながら、始皇帝の目はらんらんと輝いていた。もっと知りたくてたまらない方術の一端に触れて、胸が高鳴っているのだ。

 しかし、将軍は激昂して叫ぶ。

「ふざけるな、どうせインチキだろうが!

 そいつも仮病に違いない、化けの皮をはいでやる!!」

 将軍は動けない盧生に駆け寄り、力任せに蹴りつける。

「ぐえっ!?」

 盧生は抵抗できなかった。蹴られても踏まれても、避けるための寝返り一つ満足に打てずぐったりしたままだ。

 側にいた医者が、腰を抜かしながらも制止する。

「ああっ何ということを!おやめなされ!

 本当に手足が麻痺し、介助なしでは動けぬのですぞ!」

 本当に弱っていると分かりはっと我に返った将軍に、始皇帝が押し潰すような重い声で言う。

「宮中で、正当な理由もなくこのような暴行……許しがたい!!将軍の地位をはく奪し、刑に処せ!連れて行け!」

 哀れ、短慮な将軍は罪人となってつまみ出された。

 これには、盧生と侯生を責めていた周囲も胆を冷やした。始皇帝の前でうかつな行動を取れば、自らの墓穴を掘る。

 今の流れで、始皇帝の心は二人に沿うように動いた。

(さて、ここからだ……!)

 侯生は、口の準備を整えるように舌を唇に滑らせた。

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