(122)
押し寄せてくる暴徒たちに、離宮出口はどうなっていたでしょうか。
さすがに工作部隊長の尉繚さんは簡単には崩れません。
しかし、ピンチを脱したと思ったのも束の間……「やったか!?」やってません。
味方に悪意はないんですけどね。いろいろ裏目に出るのはゾンビのお約束ですから。
もう何人の暴徒を斬り捨てたのかは覚えてもいない。
目の前の敵と戦う以外の全ての思考を排除して、尉繚は向かってくる暴徒たちをひたすら殺し続けていた。
周りには、暴徒たちの死体が折り重なるように倒れている。
尉繚たちはそれを障害物代わりに、離宮出口を囲んで輪になって守る。
今のところ輪は破れていないが、だんだんと押し込まれて小さくなってきた。一緒に防衛に当たっていた警備兵が命を落として減ったせいだ。
じりじりと離宮出口に近づく尉繚たちの背を、熱気がなめる。
離宮出口は、今もごうごうと燃え盛っている。
辺りには、人の肉や髪が焼ける嫌なにおいが漂っていた。火を消さぬよう、殺した暴徒を薪代わりに投げ込んだせいだ。
いや、生きたまま投げ込まれた者もいるかもしれない。
倒した敵を火の中に投げ込むのに、生きているか死んでいるか確認などしていない。する必要も余裕もないのだから。
火に投げ込まれた体がぐねぐねと動きながら燃え上がる様は、頭に血が上った暴徒たちにもおぞましく見えただろう。
おかげで、尉繚たちに突進してくる暴徒はさっきより減った。
皆、誰か先に行く者はいないかと視線を交わし合って遠巻きにしている。
勢いに任せて突っ込んでも死ぬだけだと、分かったからだ。
暴徒たちはそもそも無意味に殺されるのが嫌で蜂起したのだ。自ら進んで死地に飛び込みたい訳がない。
そんな暴徒たちの死への恐れが、尉繚たちの命をつないでいた。
「皆、急いで刃に毒を塗り直せ!
投てき用の毒粉も、用意しておけ!」
部下たちに指示を飛ばしながら、尉繚は自らも刃に毒を塗り直す。
ここまで尉繚たちが善戦していられたのも、この毒のおかげだ。傷つけた相手を速やかに昏倒させる、蓬莱の神経毒だ。
様々な毒を扱う工作部隊たちも、この毒の強さには舌を巻いていた。
そして、自分たちの装備にも取り入れていたのだ。
しかし……あまりに多くを相手にしすぎて、その牙も折れかけていた。
(くっ……もう塗り直す毒もあまり残っていない。
それに、塗って乾かす前に使うとすぐ毒がはげてしまう!)
尉繚は、自らの毒瓶を見て舌打ちした。
さっきから何度も塗り直しているせいで、もう中身がほとんどない。これが切れてしまったら、毒刃はただの刃となる。
毒刃は、そもそもあまり多くの敵と戦うためのものではない。
逃がしたくない敵を一撃で葬るためにあるのだ。
何度も塗っては乾かして仕込んだ毒も、多くの敵を斬ればはげてしまう。その場で塗り直しても、数人分でまたはげてしまう。
それでも交代で塗り直しつつ戦って、尉繚たちの手持ちの毒は底をつきかけていた。
(このままではまずい、このままでは……)
じりじりと苦しくなる戦況に、尉繚は炙られるような焦りを覚えた。
毒が尽きてなお暴徒たちが退いてくれないと、自分たちが全滅するのは時間の問題だ。そうなれば、滅びは自分たちだけの問題ではなくなる。
(何とかしなければ……)
「てやああぁ!!」
思案する尉繚に、一人の暴徒が襲い掛かる。
尉繚は無言で思考を切り替え、突っ込んできた暴徒の武器をくぐって素早く斬りつけた。その浅い傷から血がにじみ出る頃には、暴徒は力が抜けたようにどさりと倒れ込んだ。
「ひぃっ……ま、また一撃だぞ!」
それを見て、周りの暴徒たちが怯えてまた少し下がる。
尉繚はそいつらの目の前で、今倒したばかりの暴徒を火に近づけ……その体に火が燃え移ったところで投げつけてやった。
「ほらよ!」
「うわああっ!?」
燃え上がる仲間に恐怖をこらえきれず、暴徒たちが輪を広げるように退く。
それに気づくと、他の工作部隊の仲間たちも次々と死体に火をつけて暴徒たちの方に投げ始めた。
あっという間に折り重なっていた死体に火がつき、吐き気を催す悪臭を放って燃え上がる。
その様子は、暴徒たちの目に地上の地獄と映った。
目の前にいる者は、もはや人間ではない。何の情けもなく人間を殺して業火にくべる、地獄の鬼だ。
自分たちは生きようとしたはずなのに、間違えて地獄に来てしまった。
そんな錯覚さえ起こさせた。
「む、無理だ……勝てねえ!」
「何でこんなとこに来ちまったんだよ!さっさととんずらしてれば……」
戦意が揺らぎ始めた暴徒たちに、尉繚は声を張り上げて言う。
「はっはっは、残念だったな!
貴様らはここに同志がいると聞いて来たのだろうが、もうそんなものはおらぬ。我々がここを固めている時点で、全滅したと思わなかったのか?
おまえたちのここでの戦いが報われることはない。
おまえたちはここに集められ、包囲されて逃げられずに死ぬのだ!」
それは尉繚のはったりであったが、暴徒たちへの説得力は十分だった。
生きるために立ち上がったつもりが、噂につられてこんな山の上にいる。ふもとを包囲されてしまったら、逃げられないではないか。
それに、同志がいると噂の離宮出口は燃え盛っていて、誰も出てこない。表には、化け物のように強い部隊が待ち構えていた。
これは、罠ではないか……そんな疑念が暴徒たちの間に広がっていく。
そこに、尉繚は駄目押しの一言をかけた。
「で、次に死にたいのは誰なんだ?
来ればすぐ、生きる苦しみから解放してやるぞ」
その一言と尉繚の残虐な笑みが、暴徒たちの心を決壊させた。
「う……ひいいいぃーっ!!!」
暴徒たちは、雪崩のように逃げ出した。恐怖に駆られて陵を駆け下り、転んだり踏まれたりもみくちゃになりながら退いていく。
尉繚と工作部隊たちは、ホッと胸を撫で下ろした。
「よし、これで後は逃げるに任せるだけだ」
ひとまず、離宮出口に突っ込もうとする暴徒はいなくなった。後は、このまま暴徒たちが四散してくれればいいのだが……。
突然、駆け下りていた暴徒たちの動きが止まった。
「おい、何で先に進まねえ!」
「どけよ、早く逃げねえと囲まれちまうだろ!」
一番驚いたのは、他でもない暴徒たちだ。一秒でも早くここから逃げたいのに、同じ暴徒が行く手を塞いでいる。
皆自分が生きたくてたまらないのに、生きるためには逃げるのが一番なのに、これは一体どういうことか。
押し合い圧し合いしている間に、行く手を塞いでいた暴徒たちが自分たちと入れ替わるように陵を上り始める。
「どこ行くんだ?そっちに逃げ場なんてねえよ」
下りてきた暴徒たちが声をかけると、上っていく暴徒たちは口から泡を飛ばして叫ぶ。
「馬鹿野郎、今はこっちにしか逃げられねえ!」
「そっちに行ってみろ、すぐ秦軍に串刺しにされ……」
言いかけた男が、いきなり白目をむいて倒れた。見れば、その脳天には一本の矢が深々と刺さっていた。
そのうち、下りてきた暴徒たちも気づいた。
自分たちの頭上から、まばらにだが矢が降ってくることに。
そして暴徒たちの怒号と悲鳴の向こうから、規則正しく威圧的な太鼓と掛け声が聞こえてくることに。
「包囲されてるんだよ、蒙恬将軍の兵に!!」
外側から来た暴徒の言葉に、下りてきた暴徒たちは戦慄した。
包囲されそう、ではない。もうとっくに包囲されて、逃げ場を断たれていたのだ。
しかも指揮官は、武名の誉れ高い蒙恬将軍である。都の警備隊長などとは、才能も経験も桁が違う。
そんなものが、天下統一の戦で鍛え抜かれた兵を率いて攻めてきているというのだ。
そのうえ、真っ先に逃げ出して包囲を破れるはずだった外側の暴徒たちは、離宮に偉大なる首領がいると流言を放たれて集まってきてしまった。
彼らは秦軍に追い立てられてますますその噂にすがり、助けを求めて必死で離宮出口に向かおうとしている。
それが、逆流する人波の正体だったのだ。
暴徒たちはすぐにまた、離宮出口に向かって流れ始めた。
包囲されて逃げ場を塞がれ、そのうえ降り注ぐ矢が激しさを増す中、少しでも生き長らえるにはそうするしかなかった。
その恐るべき逆流を、尉繚たちは呆然と眺めていた。
「そんな……せっかく、追い返したのに……」
信じられない顔で呟く警備兵の隣で、尉繚は静かに言った。
「正規軍が、動いたか……!」
陵の上から見ると、無秩序に動く暴徒たちの周りをきれいに並んだ松明の光が幾重にも包んでいるのが分かる。
おそらく、有能な将軍に率いられた正規軍が駆けつけてきて、暴徒たちを包囲しているのだろう。
尉繚は、燃える離宮出口を振り返って舌打ちした。
(この炎で、都にいる上層部や陛下に気づかれたか!)
警備兵の動きだけならともかく、陵に火の手が上がれば誰でも異常に気づくだろう。しかし、火を使わなければ守り切れたかは怪しい。
「は、早く盧生様と侯生様にお知らせして、包囲をやめてもらいましょう!」
血相を変えて訴える警備兵に、尉繚は首を横に振った。
「無駄だ……おそらく、あれを指揮するのはあの二人ではない。
そもそも、あいつらが指揮に関われるならこんな事はやめさせるはずだ。
それができなかったということは……あいつらは声を届けられる状態になく、別の誰かに兵権が渡ってしまったのだろう」
よくもまあこんなに裏目に出るものだと、尉繚は天を呪いたくなった。
自分たちがここにいて何を守っているのか、知る者は軍を動かす立場にいない。自分たちの声は、あの精強な軍に届かない。
「だから、まあ……我々ができる限りやるしかないということだ」
絶望に覆われながらも武器を構え直す尉繚たちに、再び暴徒たちが迫った。




