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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二十五章 混沌
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(121)

 驪山陵の混乱は、次第に周囲を巻きこんで始皇帝にも届きます。

 その時始皇帝が考えたのは、やっぱり己の仙道を守る事でした。

 そのため、事情を知らない始皇帝は失えない者を救おうとさらに事情を知らない将軍を投入し……久しぶりに新しい人物が登場します。


 蒙恬モウテン:始皇帝に仕えた将軍で、匈奴の討伐で功績を上げた。

 その夜も、始皇帝はいつものように政務を終えて酒を飲んでいた。

 盧生と侯生が働き過ぎないようにと諌めたため、最近は以前より早く仕事を終える。そのため、始皇帝は少し体力をもて余し気味に暇な時間を過ごすことが多くなった。

 何もすることがないと、気になるのはやはり不老不死のこと。

(徐福は、きちんと仙薬を手に入れてくるかのう……)

 望みを託した男に思いを馳せては、焦がれるような気持ちになる。

 始皇帝の前には豪勢な料理が並べられ、天下の美女が幾人も侍っているが、もうそれが始皇帝の心を動かすことはない。

 不老不死と比べれば、現世の楽しみなどたわいのないことだ。そんなものは、今や望めばいくらでも手に入るのだから。

 ただ、望んでも手に入らぬ不老不死だけが気がかりだった。

 徐福を莫大な貢物とともに海の彼方へ送り出し、盧生と侯生が仙才を高める施術をしてくれたものの、未だ仙薬が手に入る目処は立たない。

(ああ、徐福よ……朕はこんなに待っておるのに、何をしておるか。

 海の彼方で、壮健にしておるか……)

 思わず感傷的になって、つい東の空を見てしまう。徐福がいると思われる、東の海につながる果てしない空を。

 その時、始皇帝は気づいた。

「む……何じゃ、あれは?」

 宴席にいた楽士や女たちもつられてそちらを見て……息を飲んだ。

 東の空に、いつもはない赤い光が映じていたのだ。


 ここ咸陽のすぐ東には、驪山陵がある。

 かつては始皇帝が死後に葬られる墓であったが、今は仙人になって永遠に生きるための住処として作られている。

 すなわち、仙人になる準備である。

 そこが、夜空に赤い光を放っている……燃えている。


 始皇帝は、ぞっとした。

 あそこは自分が仙人になった後、国の中心から離れず周囲の邪気に仙人の力を害されず過ごせる大事な場所だ。

 あそこに住めなくなれば、仙人となった後にここに留まって国を治められなくなる。

 それに、天の神々や仙人はあれを見て始皇帝が仙人になる準備ができたか判断しているかもしれない。であれば、あそこがうまくできないと仙薬をもらえないかもしれない。

 始皇帝は、天へと伸びるはしごが揺れて外れそうになっているような危機感を覚えた。

「誰か、何があったか知っておるか!?」

「いいえ、何も……」

 始皇帝が不安になって問うも、周りは何も知らない。

 楽士たちは始皇帝に捧げる楽のことしか考えていないし、美女たちは後宮に囲われていて世間のことを知らないので当然だ。

「すぐ、物見を出します!」

 警備兵の隊長はそう言ってすぐ兵を派遣したが、始皇帝はそれでは収まらなかった。

「外に様子を見に参ろう、ついて参れ!」

 居ても立ってもいられず、始皇帝は自ら護衛の兵を少しばかり連れて宴席を飛び出した。


 街は、まだそれほど混乱している訳ではなかった。

 しかし人々も驪山陵の火の手に気づき、何事だろうかとざわめき噂している。ただしそこにあるのは憶測ばかりで、真実は知れなかった。

 だが起こっていることは穏やかではないようで、街の中を兵士たちの集団がいくつも走り抜けていく。

 彼らは、驪山陵のある東に向かっている。

 始皇帝の護衛の一人が彼らを呼び止め、何事かと尋ねた。

 すると、警備兵は険しい顔で答えた。

「驪山陵にて、刑徒たちの暴動が起こったとのことです。

 なので非番の者も集めて、これから現場に向かうところです」

 その報告に、始皇帝は総毛だった。

 あそこは、自分が仙人になるのにこの上なく大事な場所なのだ。それをどこの馬の骨とも知れぬ刑徒たちに台無しにされるなど、あってはならない。

「な、何だと……盧生と侯生は、何をしておる!?」

 始皇帝は思わず、責任者たる二人の名を挙げた。

 すると、警備兵はこう答えた。

「お二方は、現場の兵からの通報を受け、騎馬兵とともに既に向かわれました。

 しかし、その後の報告によると暴動は予想以上に大きなもののようでして……今、お二方と陵をお守りするべく、歩兵が準備でき次第向かっております」

 それを聞いて、始皇帝は怒りを抑えた。

 どうやら盧生と侯生は、仕事を怠けている訳ではないらしい。むしろ率先して大事な場所を守るために飛び出していった。

 しかし、そこには予想を超える数の暴徒が荒れ狂っていて……。

(もしや、あの二人の身が危なくないか?)

 始皇帝はふと、別の危険な可能性に気づいた。

 盧生と侯生は職務に忠実に現場に向かったが、あの二人はどう考えても戦闘向きの人材ではない。そして、二人を守る兵も少ない。

 もしかしたら、二人はなす術もなく暴徒たちに飲み込まれ命を落としてしまうのではないか……。

 それを考えると、始皇帝の顔から血の気が引いていった。

(驪山陵の建物ならまだいい、壊されてもまた作ればいい。

 しかし、あの二人を失ったら……!)

 盧生と侯生もまた、不老不死に欠かせない人材なのだ。しかも物と違って替えのきかない、生きた人間だ。

 万が一あの二人が死んでしまったら、これから誰が同じように助けてくれるのか。

「急ぎ、あの二人を救出せよ……!」

 気が付けば、始皇帝は命じていた。

 目の前にいる驪山陵担当の兵だけではなく、都の全軍に向けて号令を発していた。

「今都で動かせる兵を、全て驪山陵の暴動鎮圧に向かわせよ!経験豊富な将軍を呼んで、指揮に当たらせろ!

 盧生と侯生を死なせるな!!」

 すぐに、護衛兵の数人が軍務の役所に伝令として走った。

 始皇帝自身も、怒りと恐れに身をわななかせながら王宮へとって返した。

 自分が仙人になるのに欠かせない場所と人を奪おうとする愚かな刑徒たちは、一人たりとも許しておけない。

 もしここで盧生と侯生が死んでしまったら、自分は得難い助けを失って不老不死の道を閉ざされてしまうかもしれない。

 始皇帝は追い立てられるように王宮に帰り、正式に命令を発した。

 豪壮な将軍である蒙恬を総指揮官とし、暴動を鎮圧せよと。

 そして、盧生と侯生を救出して戦場から引き離せと。


 始皇帝は、この命令が遂行されればうまくいくと思っていた。

 天下統一の戦で多くの功績を立てた蒙恬に暴徒を鎮圧させ、盧生と侯生を救出すれば道はつながると。

 盧生と侯生が何を恐れ、どんな使命を果たすために現場に飛び込んでいったのか、始皇帝は知らない。

 地上の暴動に隠れた、真に恐るべき敵は何か。

 それは敵の性質を知らない名将に対応できるものなのか。

 盧生と侯生は、何を守るために現場に出て体を張っているのか。

 知らないまま、始皇帝は驪山陵の軍事について新しい司令官を投入してしまった。盧生と侯生から、兵権を取り上げてしまった。

 何も知らぬ人間を投入すればするほど事態は混迷を極めると、それを知らないままで……。


 半刻ほどで、呼び出した蒙恬将軍がやってきた。

 がっしりとした筋骨隆々の、よく日焼けした男である。その凛々しい鎧姿に、集まった兵士たちも勇気づけられて沸き立った。

 蒙恬は兵士たちを黙らせると、自信たっぷりに言った。

「この蒙恬、かねてより陛下の天下のために世を駆け回って参りました。

 陛下の世を乱す者あらば、露のように払ってご覧に入れましょうぞ!」

 蒙恬は戦国の六国を滅ぼし、秦の天下統一に貢献した名将である。ならば囚人の叛徒ごとき、相手になるものか。

 始皇帝は彼を心底頼もしく思い、出撃させた。


 その頃、驪山陵は大混戦となっていた。

 暴動はさらなる暴動を呼び、暴徒はあっという間に増え、夜間で数を減らしていた警備兵たちはさんざんに打ち破られてしまった。

 都からかけつけてきた警備兵たちも指揮官たる盧生と侯生と連絡がつかず、各地でバラバラに戦うしかなくなる。

 あふれ出した暴徒たちの手は陵の側にある俑の焼き場にもおよび、しかしそこの責任者である胡亥はうろたえるばかりで何の対応もできない。

 そんな現場に、蒙恬率いる軍勢が到着した。

 暴れ回る刑徒たちを眺めて状況を聞くと、蒙恬はニヤリと笑った。

「ほう、反乱の首謀者が地下離宮にいるかもしれぬと噂が流れておると?

 ハッハッハ、それは好都合だ。

 もっとその噂を煽って暴徒共を陵に集め、包囲してせん滅するのだ。そうすれば取りこぼし少なく、効率的に暴徒共を鎮圧できる。

 全軍、包囲作戦を開始せよ!」

 蒙恬の号令一下、すぐさま軍が行動を開始する。

 さすがに歴戦の名将たる蒙恬、その作戦は暴徒を集めて逃がさず制圧する目的には非常に適ったものであった。

 しかし、その集める場所が問題である。

 地下離宮に向かえという噂で集められ、包囲されて逃げ場を失えば、当然暴徒たちはそこに突撃するしかなくなる。

 そこでは、尉繚たちが暴徒から地下離宮を守ろうと必死でたたかっているというのに。

 暴徒と死の病毒を接触させないために。死の病からこの世を守るために。

 だが、蒙恬はそんな事情など知らない。

 秦の軍人たる者、皇帝の命令あらば粛々とそれに従い効率よく敵を討つのみ。余計な詮索などしなくていい。

 忠実な秦の名将たる蒙恬によって、暴徒たちが陵に押し込まれ始めた。

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