(120)
舞台が再び地下に戻ります。
地下では、死刑囚たちの行動によってさらなる混乱が生じていました。
退路もなくすぐには救援も見込めない絶望の防衛戦を、徐福はどのように戦っているのでしょうか。
落ちているものは死体でも使え、です。
地下では、死刑囚たちが実験区画にまで侵入して荒らし回っていた。
とにかく離宮側ではない別の出口を見つけようと、あわよくば何か金になるものを見つけようとどこにでも踏み込む。
その一部は、おぞましい人食い死体が閉じ込められている隔離区画に入った。
鉄格子の向こうにいるボロボロに腐った化け物のような者たちを前に、大多数は気持ち悪がって近づこうとしない。
「うげっ何だありゃ?」
「あんなになって生きてるもんかよ!
あれも助手の野郎が言ってた、黄泉の化け物じゃないのか」
このまま誰も触ろうとしなければ、事態はまだましだった。
しかし、ここにいる人食い死体たちは元は死刑囚である。今乱入してきた死刑囚たちと同じところで、飼われていた者たちである。
それなりに顔がきれいな人食い死体を見て、死刑囚の一人が声を上げた。
「あっおまえ……俺と一緒に脱走しようとした奴じゃねえか!」
その人食い死体は、生前その死刑囚と顔見知りだった。一緒に未来を語り合い、一緒に脱走しようとして捕まり、地下に囚われた。
そんな仲間との再会は、死刑囚にとって感慨深いものだった。
「おいおまえ、大丈夫か!?」
死刑囚が呼びかけると、人食い死体は振り向き、よろよろと鉄格子に歩み寄った。そして、唸り声を上げて手を伸ばす。
その動作は死刑囚に、再開を喜んで助けを求めているように見えた。
「おまえ……俺が分かるのか!そうか、覚えててくれたか!
分かった、今助けてやる。そんなにボロボロになって、よっぽどひでえ事されたんだな。もう大丈夫だ、一緒に逃げよう!」
死刑囚は涙ぐみながら、助手を殺して奪った鍵で独房を開ける。
次の瞬間、人食い死体は助けてくれた死刑囚に抱き着き……感動の再開は、あっという間に凄惨な捕食劇に変わる。
「ぐぎゃあああ……て、てめえ、何を……!」
死刑囚が血相を変えてもがいても、人食い死体は肉を食いちぎるのをやめない。
当然だ、人食い死体は餌として死刑囚を求めていたのだから。
別に、死刑囚を友として認識していた訳ではない。餌となる生きた人間が来たから歩み寄り手を伸ばした、それだけだ。
それを人としての行動と誤認した死刑囚はあえなく肉として食われ、本当の意味でかつての友と同じになった。
それを見て、周りの死刑囚たちはさらに混乱と恐怖を増す。
ある者は噛み殺された仲間を助けようとして、そいつの餌になった。
ある者は独房の鉄格子を出口と誤認し、開けて飛び込んだところ中にいた人食い死体に食い殺された。
こうして、動けないよう囚われていた人食い死体までもが解放されてしまう。
出口を求める死刑囚と餌を求める人食い死体たちは、その両方がある本宮側の出口に向かった。
「はあっ!」
気合の入った声とともに、徐福は手斧を振り下ろした。そのぶ厚い刃は、倒れていた死刑囚の首を断ち血しぶきを飛ばす。
そうしてもう動き出す余地をなくすと、徐福は一息ついて周りを見回した。
辺りには、他にも数人分の死体が転がっている。全てボロボロでひどく汚れた、死刑囚の死体ばかりだ。
今のところ、徐福たちは訪れる死刑囚のせん滅に成功していた。
「……これで、何人目だ?」
「八人目でございます」
工作部隊の者が、今殺したばかりの死体を引きずって動かしながら答える。
さっきから、死刑囚がここにポツポツと訪れるようになっていた。しかしたいてい一人か、多くても三人だったので、難なく皆殺しにできている。
実験区画からここにつながる一本道の脇に、道を半分塞ぐようにして死体が積み上げられている。一つだけの侵入路をさらに狭くする、障害物代わりだ。
あいにく、徐福も助手たちもここに逃げてくるのにほとんど物を持ってこなかった。ならば、使えるものは死体でも使えだ。
それらの死体は、もう二度と動かないように全て首を切られている。
こうしておかないと、感染していた場合また襲ってくるからだ。敵の数は限られているのだから、確実に一人ずつ潰しておくべきだ。
「はぁ……まだ一割にもなりませんか。
早く終わってほしいものですが……」
助手の一人が、少し疲れた声で呟く。
徐福は、その助手を呆れた目で見てぼやいた。
「おいおい、しっかりしろ。まだ始まったばかりだぞ。
それに、一割とはどういう根拠で言ってるんだ?倒さねばならん敵の数なぞ、確実には分からんだろ」
すると、助手はふしぎそうな顔をした。
「死刑囚は、百人足らずでしょう。それを全て倒せば……」
「死刑囚が、実験体に何もしなければね」
石生が、淡々と突っ込む。
それを聞いて、愚かな助手ははっと息を飲んだ。
敵は、死刑囚が全てではない。なぜならこの地下には、生きた死刑囚の他にも飼っているものがいるのだから。
実験によって生まれた、感染者や人食い死体……彼らを閉じ込める鉄格子の鍵は、回収できていない。
もし、死刑囚がそれらを解放してしまったら……敵は百ではすまない。
青ざめる助手たちを横目に、徐福は呟く。
「まあ、死刑囚も何割が生きてここまで辿り着けるか分からんがなァ。
離宮には人食い死体がいるだろうし、実験区画の人食い死体も解放されればまず手近な死刑囚に襲い掛かるだろう。
おまけに、向こうの出口から出ようとすれば警備兵に殺される。
ただ……死んでも適切に処理せねばまた起き上がるのが厄介だな」
死刑囚は、徐福たち以外によって殺される者も少なくないだろう。しかし、地下では死んで終わりではない。
人食い死体として起き上り、もう一度数えねばならないことがある。
「そうですね、死体より生きた人間の方が処理が楽ですから……できるだけ生きたままここに来てほしいものです」
石生が、吹き矢の筒に次の矢をこめながら言う。
これまでここに来た死刑囚たちは、ことごとく毒の吹き矢で無力化して討ち取ったのだ。
蓬莱でよそ者を昏倒させるために用いられていた、微量で素晴らしい効き目を誇る神経毒。かつて誤解で強襲してきた尉繚にも用いたこの毒は、今死刑囚に対して猛威を振るっていた。
吹き矢の射程に入った死刑囚は速やかにこの毒で体の自由を奪われ、倒れたところで首をはねられる。
そのため、徐福たちは今のところ誰一人としてかすり傷一つ負っていない。
ただし、この戦法が全ての敵に通用するかと言えば……。
「そうだ、生きた人間なら一瞬で終わる。
しかし、死体には効かん」
死体は死んでいるため、毒を使っても生きた人間のように反応してくれない。毒では、人食い死体の歩みを止めることはできない。
それに、使える量にも限りがある。
「石生、矢の残りは?」
「あと十二、それで全てです」
徐福が問うと、石生は顔を曇らせて答える。ろくな装備もなく逃げてきたため、あまり多くの矢を持っていないのだ。
「そうか……俺もまき散らす毒粉は持っているが、三回分だ」
つまりそれが切れれば、遠距離から一方的に制圧する手段がなくなる。
徐福たちは、他に遠くから攻撃する武器を持っていない。接近戦で優位に立てる槍のような長柄武器すらも、ない。
これから多数の敵を相手にするのに、これは厳しい状況だ。
「……考えて大切に使った方がよろしいでしょうか?」
「いや、出し惜しんでこちらに怪我人が出る方が困る。
やられるよりは使いきってしまえ……ただし、あの死体の山を越えてからな」
言いながら、徐福はまた向こうから近づいて来る人影をにらんでいた。
今度は二人、怪我をしているのか体に大きな血のシミを作り、俯いて足をズルズルと引きずっている。
二人は徐福たちの方に歩いてきたが、死体の山のところで足を止めた。
そして、さっき死んだばかりの死体に食らいついた。
「ああなったら毒は必要ない。工作部隊、行け!」
すぐに剣を抜いた工作部隊が矢のように飛び出し、目の前の食事に夢中になっている人食い死体の首をはねる。
「なるほど……新鮮な死体を置いておけば、人食い死体を止められるのですね」
「うむ、どれくらい経つまで有効かは分からんが……まあそれも実験だ」
徐福は、人食い死体への囮も兼ねて死体の山を築かせたのだ。
こうしておけば、死体の山を通った時点で人間と人食い死体を区別できる。すなわち死体に食いついて止まったら人食い死体、素通りしたら人間だ。
そうして人間を区別すれば、毒の無駄遣いを抑えられる。
敵の性質を的確に突いたこの戦術に、助手たちは思わず感嘆の息を漏らした。ろくな装備もないこの状況で、周りにあるものを最大限に活かしてこの戦いぶり。
さすがは、研究のために幾多の冒険を乗り越えてきた徐福である。
これなら助かるかもしれない……助手たちの心の中に、希望が灯った。
だが、徐福は暗い岩の天井を見つめて呟く。
「我々が助かるには、地上からの助けが要るが……地上はうまくやっておるかのう?」
助手たちの多くは目の前から来る敵に集中していて気づいていないが、徐福と工作部隊たちには聞こえている。
岩盤を通してわずかに伝わってくる、地上の騒乱の音が。
何があったかは分からないが、何かは起こっている。
(もし地上がうまくいかねば、俺たちがいくら戦い抜こうとどうにもならん。
こればかりは、祈るしかない)
気づいたとて、今徐福たちがそれに対して何かできる訳ではない。
ならばせめて悔いのないよう戦い抜こうと、徐福はまた死体の山の方に向き直った。




