(112)
引き続きゾンビ警報発令中。ただし今回はそんなに怖くないかもしれない。
人の逐次投入はゾンビを増やす原因の最たるものです。
また、助手たちの資質の問題が明らかになります。いつもは上が監視して締め付けていますが、元死刑囚だもの……監視の目がなくなったら……。
ようやく一日が終わる頃、離宮はしーんと静まり返っていた。
なぜなら、今離宮には女の検体と助手数人しかいないから。他は実験区画にいるか、独房に入れられている。
実質的な主である安息起と娼姫たちがいなくなったため、今ここでは生活のための営みが行われていない。
女の検体はいるが、病で動ける状態ではなかった。
彼女の世話と監視のためにいる助手たちも、すっかり気が緩んでいた。
「ふぅ……こっちならようやく一息つけるぜ」
「ああ、こっちは実質休みみたいなもんだろうよ。あの動けない女一人のためにこの人数ってのは、そういうこった」
離宮に詰めている助手たちは、ゆったりと食事を取りながらくつろいでいた。
そこに、仕事中だという緊張感はない。
しかし、それも仕方のない面はある。助手たちは夕方に離宮の消毒作業が一段落するまで、働きづめだった。
朝歌妓が人食い死体となってから、地下は一日目の回るような忙しさだった。
いや、実験区画にいる他の者たちはまだ忙しく働いているのだろう。まだこの事件の解明のために、やることは山ほどあるのだから。
ゆえにここにいる数人の助手は、その専門作業をこなすのにまだ力が足りないと判断された新しい助手たちだ。
彼らはまだこの仕事の危険な部分にあまり携わっておらず、慣れていなかった。
おまけに疲れ切っていたので、彼らは離宮の番を休憩のように考えていた。
これは全くの間違いではない。事実離宮では、やることは女の検体に食事を与えて様子を見ることと、実験体用に飼っている死刑囚の食事作りくらいだ。
助手たちを交代でここに回すことには、確かに休息の意味もある。
ただ勘違いしてはならないのは、仕事が少なくても危険がない訳ではないということ。あまつさえ、あんな感染事件があった後なのだ。
彼らは、最低限の緊張を保っておくべきだった。
しかし、経験が浅く疲れ切っていた彼らは心が緩むままにしてしまった。
忙しさから解放されて飯を食い、すっかり重くなった体を横たえると、すぐにどっと眠気が押し寄せてくる。
だが、ここで一人が気づいた。
「あー……そう言や、女の検体にまだ飯持ってってなかった」
「うう、面倒くせえ……。
どうせ最近はほとんど食わねえし、抜いてもいいんじゃね?」
「食事はそれでもいいかもしれんが……一応監視しとけって言われてるだろ。あいつが、ほら、天然痘を発症しないか」
「くっそぉ……そうだった……」
人食いの病毒が自然発生した以上、天然痘は確実にこの地下に持ち込まれている。となると、女の検体が感染し、発症する危険があった。
そうならないか観察し、もし発症したら速やかに処分するのがここの助手たちの仕事だ。
「しょうがねえ、俺が行ってくる。
おまえらは、先に休んでろよ」
一人が、そう言って立ち上がった。
「一人で大丈夫か?指針では、二人でやる作業だが……」
「大丈夫だって、あの程度の作業に二人もいるかよ。せっかく休めるんだから、おまえら先にゆっくり休んどけ。
何かあったら呼びに来るからさ」
一人の優しい言葉に、眠くて仕方ない他の助手たちはついうなずいてしまう。
「ああ、んじゃお言葉に甘えて……おやすみぃ……」
「おう、俺もすぐ帰ってきて、見張り代わる時は起こすから」
疲れ切っていた他の助手たちはすぐに、寝息を立て始めた。監視を引き受けた一人も、あくびを噛み殺しながら女の検体の部屋に向かう。
「あっふ……まあ、やらんでもバレないような気はするがなあ……。
上のヤツらはまだてんやわんやだろうし」
そう、今離宮にいる助手たちを監督する上役はいない。使える者は全て、今回の異常事態の解明に勤しんでいるのだから。
それも、ここにいる助手たちの気が緩む原因だ。
だからもしここの助手たちが怠けて適当な報告をしたところで、決定的な間違いが見つからない限りバレる可能性は低い。
それでも一応仕事をする自分は偉いと思いながら、助手は静かな離宮を進んでいった。
目的の部屋の前には、手つかずの膳が置かれていた。今持ってきたものではなく、朝からここに置いてあったものだ。
「あーあ、やっぱり食ってねえ。もったいねえの」
ぼやきながら、助手は今持ってきた膳をその隣に置く。
それから一呼吸置いて、部屋の戸を開ける。途端にむわっと悪臭が流れてきて、助手は思わず顔をしかめた。
部屋の中は真っ暗で、何も見えなかった。朝からバタバタしていてここを見に来るものがいなかったため、灯火が切れてしまったらしい。
「しまった……灯油も持ってくりゃ良かった。
あ、でも今じゃなくてもいいか?明日の朝行く奴に持たせれば……」
またもぼやきながら、助手は自分が持ってきた灯火で周りを照らしながら部屋に入る。大きな灯火が切れてしまった部屋は、助手の持つ小さな火では照らしきれない。
それでもどうにか布団に辿り着き、助手は気づいた。
「あれ、いない?」
いつも布団に寝ているはずの、女の検体の姿がなかった。
ふしぎに思って布団をめくって見ていると、いきなり背中にのしかかる重量を感じた。
「うわっ!?」
不意打ちに対応できず、助手は悪臭を発する布団に顔から突っ伏してしまった。顔を上げようとしても、何者かが押さえつけるせいでうまく動けない。
といっても、ここにいた者など一人しかいないのだが。
助手は何とか跳ね除けようとしたが、押さえつける力は想像以上に強かった。あの弱り切った検体に、どうしてこんな力が出せるのか疑問に思うほどに。
程なくして、助手の首筋に激痛が走った。
「んンンッ!?ンムーッ!!!」
助手は、声を限りに叫んだ。
しかしその声は顔を覆う布団に遮られ、くぐもった声が周囲を震わせるのみ。遠くで眠る他の助手の耳になど、届くはずもない。
しばしのごそごそした物音の後、離宮には何事もなかったように静寂が満ちた。
翌朝、離宮の助手たちは目を覚まして気づいた。
「おおぃ!もうこんな時間かよ!」
「見張りは何で起こしてくれなかった……って、あいつ戻って来てないのか」
いつもの起床時刻に起きられなかったのは、昨日ぐったり疲れていたのと、起こしてくれる者がいなかったせいだ。
昨日起こしてやると言っていた仲間は、約束を守らなかったどころか戻ってきてすらいない。
「……ったく、何やってんだよあいつは!」
本来なら、そこで異常として認識し危機感を持つべきであった。
あんな恐ろしい事が起こった現場で、その危険がどれほど残っているか分からない状況で、戻って来るべき者が戻ってこない。
すぐさま実験区画にいる上の者に報告し、十分に武装した複数人で探索すべきところだ。
……が、助手たちはそうしなかった。
自分たちの不手際がバレれば、自分たちは罰せられて最悪実験体にされるかもしれない。不手際を起こしそうではなく、もう起こしてしまったのだ。報告すれば、罰は免れない。
逆に自分たちが助かるためには、自分たちで尻拭いをして隠しておけばいいと……そう考えてしまったのだ。
この助手たちの管理責任を負う上司が一人でもそこにいれば、防げた事態だ。
それに、ここにいる助手たちは皆元が死刑囚なのだ。その中からさらに死体に触れる倫理や恐怖を超えられる者を選んでいるので、必然的に倫理観に欠け無鉄砲な者が多く含まれている。
そういう者は、何か悪いことをしてもバレなければいいと思っている。
徐福や熟練した真面目な助手、工作部隊たちが目を光らせていれば問題ないが……その目がなくなった途端、資質の問題は一気に噴出するのだ。
たとえそれが、最悪の悪手であっても……。
バレないことを最優先に考える彼らは、明かせば防げる危険のことなど考えない。
朝食分の膳を持って、全員ではなく二人の助手が女の検体の部屋に向かう。
「はぁ、あいつこんな時間まで何やってるんだよ……」
「いやいや、女と二人っきりになれるんだぜ。やる事なんか決まってるだろ。あんなのでも、ここじゃ貴重な穴があるんだ」
「あー、そういうことか。
で、思わず時を忘れちまってお楽しみの最中か、疲れて寝ちまったと」
「そんなとこだろうよ。
あいつを戻らせたら、次は交代時間まで俺らが楽しむのもいいな!」
下卑た会話を交わしながら、女の検体の部屋の前まで来る。戸を開けてみても、臭いばかりで中は全く見えない。
「おい、火が消えちまってるぞ」
「暗い方が汚れが分かりにくいからじゃね?」
小さな光源を頼りに、何の警戒もせず部屋の中に踏み込む。
次の瞬間、一人の腕を何者かが掴んだ。
「あ、何……いぐっぎぃやあああ!!?」
あれよあれよという間に、一人が絶叫し半狂乱で暴れ出す。何が起こったか分からずうろたえるもう一人も、冷たい手に足を掴まれる。
「え、何だ!?一体どうなって……」
思わず落としてしまったろうそくの火が、ここにいた仲間の顔を照らし出す。その顔は肉と皮をぐちゃぐちゃに抉られ、閉まらない口から歯茎を露出させていた。
「馬鹿な、人食い死体……!」
言葉が終わる前に、その声も絶叫に変わった。
やがて降り注ぐ血が布団に燃え移りかけていた火を消し、そこは再び真っ暗に塗り潰された。




