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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二十二章 想定外
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(108)

 弱っていく歌妓、そして恋に狂う男……。


 病人を元気にしようと思ったら、必ずしもずっと側にいることが正解ではないのです。静かに面会謝絶で休ませた方がいい時もあるのです。

 しかし、とにかく側にいたい男にその発想はなく……側にいればいるほど危険な病だとは未だ気づかれません。

 さらに一週間ほどが経っても、歌妓は伏せったままだった。

 一度悪化してしまった肝の病はそう簡単に治まらないのだろうと、周囲は哀れみ、そっとしておくことにした。

 以前にも、こういうことはあったからだ。

 だが、歌妓自身は何かこれまでとは違う言い知れぬ不安を感じていた。

(何……これ……体が、冷たい……。

 寒気?ううん、何だか前と違う……頭もぼうっとする……)

 歌妓は、自分の体が底なしの冷たい沼に沈むような気持ち悪さを覚えていた。

 布団の中にいても、芯まで……いやむしろ芯から冷えるようで全然温まらない。そのうえ息苦しく、頭がうまく働かない。

 同じ寒いでも、これまでの微熱に伴う悪寒とは何かが違っていた。

 そのうえ、温まろうにも吐き気がして何も食べる気にならない。もうここ数日は、水と薬湯と重湯しか口にしていない。

 もっとも、これは肝の病が悪化した時よくあることだ。

 ただ、それがなかなか回復しないことは気にかかっていた。

(もしかして……変な病でももらったのかしら?)

 思わずそう考えて、かぶりを振った。

(そんな……だったら、これからどうなるのよ!?

 徐福様は、あたしの肝の病に価値があるって言ってた。でも外に出る時に、他に病に気をつけろって……。

 何の価値もない他の病になんか、やられてたまるもんですか!)

 徐福が他の病に気をつけろと言ったということは、他の病があっては仕事に障りがあるのだろう。

 ただでさえ仕事がここにしかないのに、それでは困る。

(はぁ……何とか治るように休んで……。

 それに、あたしから言う必要はない。診察に来るヤツがそうだって言わなけりゃ、何も心配は……)

 歌妓はそうして思考を断ち切り、布団を深くかぶる。

 前もそうして病の兆候を無視して働き、何人もの客にうつして店を叩きだされた記憶が、苦味を伴って顔を出しかけていた。


 一方、歌妓に惚れている男の検体はいても経ってもいられなかった。

 愛しい歌妓が、自分の唯一の幸せの源が体調を崩して辛そうにしている。もしこの女に万が一のことがあれば、自分は生きていけない。

 しかし、徐福たちに助けを求めることにも抵抗があった。

(あいつらが治療するのは、あの女を働かせるためだ。

 治療して元気になったら、あの女は他の男のところに行かされちまう!)

 男の検体にとっては、歌妓が苦しむこと以上に元気になって新しい仕事を始める……他の男の相手をするのが嫌だった。

 むしろ、こうして伏せっている間は自分のものでいてくれる、とさえ思っていた。

 しかし、今こうして苦しんでいる歌妓を見ているとかわいそうで……男の心は歌妓を想うゆえに板挟みになっていた。

 苦しむ歌妓を見ていると辛くなる、しかし助けを求めたら歌妓が自分のものではなくなってしまう……。

 悩んだ結果、男は自分にできる事をやる事にした。

 暇さえあれば(この男には寝食以外基本暇しかない)歌妓の側にいて、いろいろとこれまでの思い出話をしながら励ましてやる。

 それなら歌妓も少しは気が紛れて、自分の愛で生きる希望を持つだろう。

 それに、これなら急に元気になることはないだろうという打算もある。

 もっと欲を言えば、こうして励まし続ければ歌妓が自分を深く愛するようになり、自分の大切さに気づいて他の男を拒むだろうという期待もあった。

 そういう訳で、男は歌妓の枕元にかじりついて愛をささやき続けた。

 もっとも、歌妓からすればそんなのはうっとうしいだけである。

 一人でゆっくり休みたいのに、返事を求められて疲れる上に寝かせてもらえない。むしろ、頼むからいなくなってくれと心から願っていた。

 しかし、一人にしてくれと言うと男はますます他人のせいにして燃え上がる。

「それは、仕事のためか?徐福たちに言わされてるんだな?

 大丈夫だ、あいつらがおまえに無体を働かないように見張っててやる!おまえの意に沿わぬ仕事など、クソくらえだ!

 それとも、あの飲んだくれ女の嫉妬が怖いのか?

 この俺がいる限り、あいつをおまえにゃ近づけねえから安心しろ!」

 歌妓は心の中でもうやめてくれと叫んでいるのに、男は止まらない。

 そうして恋に狂った男にますます消耗させられて、歌妓はさらに弱っていった。


 この状況に、徐福は眉をひそめた。

「何、あの検体の男がしつこく言い寄るせいで歌妓が休まらずむしろ弱っているだと?一体何をやっているんだあの無駄飯食らいが!」

 徐福たちにとって、歌妓は今や蓬莱の検体よりずっと大事である。

 その歌妓を害されてもし衰弱死でもされようものなら、たまらない。

「それはまずい、あの女には生きていてもらわねば困るのだ。

 あの男に警告し、だめなら最悪処分しろ!」

 徐福はついに、男の検体を歌妓から引きはがせと命令を下した。

 元は自分が命じた仕事で引き合わせた二人。しかし男が肝の病にかからず状況が変わってしまったことで、もはやその関係は不要となった。

 それが新しい仕事の邪魔になるなら、なおさらだ。

 そのうえ男の検体はもはや、いてもいなくてもいい存在なのだ。無駄飯食らいのままよりは、いっそ殺して動く死体にした方が役立つくらいだ。

 すぐさま、命令に従って助手たちが動いた。


「何だと!?俺にあいつを見捨てろって言うのか!!」

 男の検体は、いきなり目の前にやって来た助手たちに喚き散らした。

「俺があの女を弱らせてるだと?そんな事ある訳ない!!俺はあいつをこんなに愛して、こんなに看病してやってるのに!!」

 それを聞いて、助手たちは呆れるばかりだった。

 愛していることと病が悪化することは、関係ない。むしろなぜ愛しているから休ませてやるという発想が浮かばないのか。

 そのうえ看病といっても、男は強引に話しかけることと体を拭くこと以外していない。おまけに体を拭くと称していやらしく体を触るため、歌妓はますます気分を害していた。

 結局、邪魔にしかなっていないのだ。

 歌妓の心持ちなど考えず、自分のやりたい放題しているだけ。

 大事だからと言って、溶けていく氷を抱きしめているのと同じだ。

「歌妓に死んでほしくないんだろう?だったら大人しく我々に診せるべきだ。でなければ適切な治療ができん。

 おまえの愛とは、愛する者を殺すことなのか?」

 そこまで言われて、ようやく男は黙った。返す言葉をなくしたと言った方が正しいか。

 そうして男が抵抗をやめた隙に、助手と工作部隊の医師が歌妓の下へ走った。二人は歌妓の寝巻をはだけて肌に触れると、しかめ面で言った。

「ほら見ろ、こんなに血色が悪くて冷たい!

 消耗して、弱り果てているではないか!」

 しかし、男は歌妓の晒された肌しか見ていない。

「あっ触りやがったな!俺にはやめろって言ったくせに!!

 どうせおまえらも、あいつの体が目的なんだろ!どさくさに紛れて、密通するんだ!!畜生、この女は渡さねえぞーっ!!」

 またも暴れ始める男に、助手と医師は頭を抱えた。

 もう、こいつにまともな説得は通じない。どんなに正論で諭しても現実を突きつけても、歌妓への悪意にこじつけて邪推するばかりだ。

 となると、もうできる事は一つしかない。

「……あまり調子に乗るなよ、その口も利けなくなるぞ」

 助手の一人が、低く力のこもった声で告げる。

「立場をわきまえろ。この歌妓はおまえなどよりはるかに大事だ。

 あまり害するようなら……おまえという元を断たねばならんぞ」

 その瞬間、男はぎょっと目を見開いた。

 言葉に乗せて向けられたのは、むきだしの刃のような殺意。逆らえば切り捨てるという、残酷な最後通牒。

 いきなり突きつけられた命の危機に、男は言葉を失ってへたり込んだ。

 助手は、そんな男の胸ぐらを掴んで念を押す。

「これからまたこいつに余計なことをしてみろ……それがおまえの死ぬ時だ」

 歌妓の診察が済むと、助手と医師たちは男のことなど眼中にないかのように去っていった。男は尻餅をついたまま、震えていることしかできなかった。


「……そうか、男はそこまで狂っておるか」

 助手たちから報告を聞いて、徐福はひどく落胆した。

「……全く、それでは何を言っても無駄だな。命を取ると脅して大人しくさせても、それがいつまでもつか……。

 早いところ処分するか、実験用の死刑囚同様に拘束すべきかな」

 もう特別な価値がないのであれば、そうするのに支障はない。

 守るべきは、何よりも歌妓の方だ。

「……で、歌妓はそんなに悪いのか?」

 本命の質問に、医師は渋面で答える。

「はい、病が深くなり体が消耗して抵抗する力を失ってございます。ここ数日まともに物が食えぬせいで、体力が落ちて体が冷えてございます。

 あれでは……持ち直すにしても長くかかりそうです」

 医師ははっきりと言わなかったが、命が危ないかもしれないということだ。

 それに、徐福はまた頭を痛める。

「そうか……あれだけは、何とかして助けたいところだ。

 少し人手を割いても、あの歌妓に手厚い治療を施さねば。よし、明日にはあの歌妓を男から引き離し、専用の病室を作ってそこに移すぞ」


 徐福たちは、歌妓を診察し治療を手厚くする判断を下した。

 ……が、そこに最も危険な可能性を考える視点はない。

 なぜなら、徐福は離宮にそれが生じないよう万全の体制をとっているつもりだから。離宮での体調不良で、それを疑う者はいない。

 それに、徐福は話が通じぬ者の危険性を甘く見ていた。尉繚のように力のある者ならともかく、無力な検体のことだと高をくくっていた。

 歌妓を守るその措置を、今すぐやれば被害の拡大は防げたであろうに。

 こうして、災いは網の目をすり抜けた。

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