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屍記~不死の災厄の作り方  作者: 青蓮
第二十二章 想定外
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(107)

 事故は、いくつもの原因が重なった時に起こります。

 これまでの人間関係、生活空間の在り方、そして管理する者の考え方……。


 徐福は、自分の説に自信を持っているからこそ……。

 それから、歌妓は二日間ほとんど動かなかった。

 体が身の置きどころもないほど怠いと訴え、食欲はなくなり、黄疸は悪化した。明らかに、肝の病がひどくなっている。

「はぁ……ちょいと、歩きすぎたかねえ……。

 あんなに歩くはずじゃ、なかったんだけどねえ……」

 辛そうにしている歌妓を、男の検体は心底心配そうに看病する。といっても料理も治療もできないので、ただ側にいて時々体をさするだけだ。

 あまりにずっと側にいて離れないので、歌妓の方がうっとうしく思うほどだ。

「ねえ、ちょいと頼みがあるんだけど」

 歌妓は、ふと思いついて男に声をかけた。

 そして、咸陽の家から持ってきた布団の切れ端を手渡す。

「こいつをさ……洗って干しといてくれない?あんまりきれいにしろとは言わないから、臭くない程度にさ。

 お母さんが縫ってくれた、大切なものなんだ」

 それを手にすると、男は大喜びでうなずいた。

「そうかそうか、そんな大事なものを俺に任せてくれるんだな!

 しっかりきれいにしとくさ!」

 男は、すぐさまそれを持って歌妓の部屋から飛び出した。

 歌妓はそれを見送って、安堵のため息を漏らした。こうして時間のかかる頼みごとをしておけば、しばらく解放されるだろう。

 男を惚れさせてなんぼの仕事とはいえ、ああも入れこまれて他の仕事まで妨害されるようではさすがに煩わしい。

 家事ができるとは思えないし、しばらく悩んで試行錯誤していてくれるとありがたい。ただし、あの布を粉々にしない程度に。

 そう思いながら、歌妓はようやく静かになった部屋でまどろみ始めた。


 しかし、そう期待通りにはいかなかった。

 男は確かに洗濯などやったことはない。知っているのは、他の誰かに洗ってもらうことだけだ。

 だから男は、これもそうやってきれいにしてもらおうと思った。

 いつも自分たちの服の洗濯は自分たちの世話をする人間がやってくれるから、それに混ぜておけばいいかなと思った。

 しかしその前に、切れ端に顔をうずめて思いっきりにおいを嗅ぐ。

「スー……ハー……うっ臭っ!

 ま、でも洗ってない布団なんてこんなもんか。むしろこれだけあいつのにおいが溜まってるんだと思えば……」

 どこまでも桃色思考の男である。

 しばらく帰っていなかった家にあった布団なのだから、その臭いが歌妓のものではないと少し考えれば分かるのに……ただでさえ頭が弱い上に恋の霞がかかっていてはそんな事にも気づかなかった。


 男は、その切れ端に含まれるものを懸命に吸い込む。

 歌妓ではない、もっと下卑て汚い浮浪者の臭いを。

 その浮浪者がそこに残した、とんでもなく危険なものを……。


 一しきり臭いを堪能すると、男はそれを地下離宮の全員が使う洗濯籠の中に突っ込んだ。こうしておけば、数日後にはきれいになっているはずだ。

 そうして割とすぐ戻ってきた男に、歌妓はまた頭を痛めるのだった。


 その少し後、今度は女の検体がそこにやって来た。

 この女も顔は青ざめたうえに黄色を帯び、着物は吐しゃ物でひどく汚れていた。その息からは、酒と胃酸のひどい臭いがした。

 男の検体がまた歌妓にべったりになってしまったためひどく嫉妬し、憂さ晴らしで酒を大量に飲んでまたひどく肝を壊したのだ。

 そのうえ、今度はなぜか助手たちがあまり助けてくれない。

 これまでは甲斐甲斐しく世話をしてくれたのに、昨日からは興味が失せたように冷淡だ。吐いて汚れた体を拭いてもくれない。

 だから女は、自分で何とかするしかなかった。

 拭ければ何でもいいとばかりに洗濯籠に手を突っ込み、手に取ったもので体の汚れを拭いていく。

 その時、女は見つけてしまった。

 さっき男が大事そうにしていた、歌妓のものだという切れ端を。

「フン、こんなもの!こんなもの!!」

 女は、それを特に汚すように切れ端で口元を拭った。あの憎い歌妓のにおいを台無しにするように、胃液混じりの唾をしみ込ませてやった。


 その口の中に、逆に切れ端から溶け出すものがある。

 間違っても口になどしてはならなかった、非常に危険なものが……。


 そんな事など露ほども気づかず、女の検体は去った。

 その後それを洗いに来た者は、洗濯物の惨状を見て顔をしかめた。

「ちょっと誰よ、こんなにしたの!うわー触りたくない……」

 洗濯を担当しているのは、安息起に当てがわれている娼姫の一人であった。尉繚の襲撃で離宮の助手がごっそりと減り、逆に安息起に侍る娼姫は増えたため、日常の家事はこの娼姫たちが担当するようになっていた。

 嫌な仕事だが、やらない訳にはいかない。

 娼姫は鼻をつまみながらそれを水場に持っていき、洗い始めた。

 水しぶきとともに自分が何を浴びているか、知らないままで。


 一方、徐福たちは他の病を使った研究にてんてこ舞いになっていた。

 毎日毎日、様々な病と人食いの病を重ねた人食い死体ができあがる。そのつど、徐福たちはそいつの能力を判定し、解剖の予定を立てる。

「三日後に六件解剖の予定だ、半分おまえに任せられるか?」

「はい、お任せください!」

 最も重要な脳の変化を見るために、人食い死体の解剖は必須だ。いくら作っても、知見が得られなければ意味がない。

 そのため、徐福と石生たち解剖に慣れて詳細な記録ができる助手たちは、持ち回りで多くの解剖をこなしていた。

 当然、その解剖のための準備と片付けも大忙しであった。

「必要な道具と備品類の在庫は大丈夫か?」

「は、地上の救護所で使う分とまとめて請求しております。おかげで、かなり大量に請求できるようになりました!」

 これまで、実験に使う資材や道具は盧生と侯生が秘かに買い付けるか儀式用として運び込むものだけだった。

 当然、怪しまれないで用意できる量には限りがあり、それが実験を制限することもあった。

 しかし、工作部隊が仲間になり救護所ができたことで状況は大きく改善した。

 必要な物は、工作部隊が何でも見つけてきてくれる。救護所で使う分という名目で、どんどん仕入れられる。

 専用の防具なども、自分たちで地下で作らなくてよくなった。

 見本となる品を地上にいる工作部隊たちに渡せば、その技術を生かしてよりよい品を大量に作ってもらえるようになった。

 これで、解剖の準備はとても簡単になった。

 ただし、片付けの方はそう簡単にいかなかった。

「廃棄物置き場がそろそろ満杯です」

「む……次の救護所の廃棄物焼却はいつだ?」

「五日後です。それまでに出るものを全て地下で保管するとなりますと……」

 解剖で出る一番厄介なものは、人食い死体の病毒に晒された廃棄物だ。これは一般人の手に触れされる訳にいかない。

 下手をすれば、外で人食い死体が発生しかねないからだ。

 そのうえ、病毒を完全に消し去り感染を防ぐためには焼却しなければならない。

 これまでは、全て地下のかまどで燃やしていた。そのため空気の問題などで一日に処理できる量に限界があり、そこが実験を制限する一番の原因になっていた。

 その問題も、最近はだいぶ改善した。

 救護所から出る他の病毒に汚染された廃棄物と、一緒に地上で燃やせるようになったのだ。

 とはいえ、野放図にいつでも好きなだけ出せる訳ではない。

 外の廃棄物置き場には当然一般人が出入りするため、人食いの病毒を含んだものを置いておくのは危険だ。

 そのため、救護所の廃棄物を燃やす直前に地下の廃棄物を一気に搬入し、すぐ燃やしてもらうことにしている。

 それまでの保管と搬入が、今の大変な部分である。

「保管の場所を増やすか、もしくは地上に保管場所を作っては……」

「前者は隔離区画のみ、後者はないな」

 助手の提案に、徐福は渋い顔で答えた。

「汚染された物を扱う場所を広げれば、おのずと事故が起きる確率も上がる。特に地上は、事情を知らぬ者が多く我々の目が届かん。

 感染の危険を増やさぬため、保管場所としていいのは隔離区画のみだ」

 いろいろな事が楽にできるようになり実験が加速しても、徐福は安全管理についてだけはより神経をとがらせていた。

 でなければ、目的の成果が出る前に国が崩壊してしまうから。

 目的のためにこそ、地道な管理をおろそかにしない……それが徐福であった。

「そうだな……盧生と侯生に伝えて、救護所の廃棄物をもっと頻繁に燃やすようにしてもらえ。一回当たりを増やせぬなら、回数を増やすしかない。

 その分搬送の回数も増えるので、搬送中の事故に気をつけろ」

 こうして、徐福は実験区画を徹底した安全管理で守っていた。


 ……しかし、守っていたのはあくまで実験区画のみ。

 人食いの病毒を扱わない地下離宮においては、他の病の危険がある洗濯物などがどうなっていようがあまり興味がなかった。

 蓬莱由来の検体があまり重要でなくなった今は、なおさらだ。

(あそこに人食いの病毒はない。

 自然発生するにしても、三つの要素が同じ人間の中で揃わなければ問題ない。たとえ天然痘が入ったとしても、男の検体にさえ注意していれば……。

 最悪、安息起と歌妓だけ守って他二人は殺しても構わん)

 徐福は、そこも安全対策をとっていた。

 だから今は目を離しても大丈夫だと思っていた。

 自分が苦労して調べ上げた知見に基づいて判断しているのだから……よもや、その前提に穴があるなどとは思っていなかった。

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