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他のものを書いていて遅くなりました。
病を集めるために、盧生と侯生がまた始皇帝に働きかけます。
それは善意のような顔をして、病に倒れた労働者をさらに地獄に叩き落とすものでした。建前が本物だったら、まだ救いがあったんですけどね。
近くにある素材は、何でも使います。
「病と治療についての研究所を作っては、いかがかと」
盧生と侯生は、始皇帝に奏上した。
「今、驪山陵の工事現場では多くの病が発生しております。全国から多種多様な病邪が持ち込まれ、払っても払っても追いつきませぬ。
しかし、これは逆に良い機会かと思われます」
「この秦の国は広く、国が栄え人が行き来するにつれ、もはやどこの風土病がどこに持ち込まれてもおかしくありませぬ。
ゆえに、先手を打って研究しておけばよろしいかと。
せっかくこれだけの病が集まっており、しかも都には腕のいい医者も多くございますから、研究には絶好の機会でございます」
その提案に、始皇帝は感心してうなずいた。
「ううむ、その話もっともじゃ。
都で変な病が流行する前に、備えておいて損はない」
始皇帝も、病の問題は懸念事項として考えていたらしい。
咸陽の都はますます発展し、人口はどんどん増えて、さらに全国から様々な人間が行き来するようになっている。
こんな状況でこれまでなかった疫病が流行すれば、被害は計り知れない。
今は関所の検問で病の流入を防いでいるが、完全には程遠い。現に侯生はその検問をすり抜けて天然痘を持ち込んだのだ。
それが原因かどうかは分からないが、驪山陵の工事現場で天然痘が発生したこともある。胡亥が騒いだおかげで、始皇帝の記憶にも残っていた。
「病邪が蔓延して仙人に嫌われても困るしのう」
それに、病でたくさん人が死んだら国を平穏に管理できないと見られ、仙人になる資格なしと天に見限られるかもしれない。
始皇帝は、そちらの意味でもいたく心配していた。
「は、その通りでございます!」
「つきましては、研究所兼救護所の設置を」
その不安に付け込み、盧生と侯生はもうひと押しする。
「幸い、全国の病や薬に詳しい工作部隊がここにおります。彼らを使えば、多くの病の治療法を解き明かせるかと」
「おお、言われてみればそうじゃな。
それこそ、工作部隊の生かした使い方よ!」
敵国がなくなったことで活躍の場を失い信頼も落ちた工作部隊を、このような形で転用しようと持ち掛けたのだ。
最近工作部隊を持て余していた始皇帝にとって、渡りに舟の話だった。
こうして、始皇帝はすぐさま二人の意見を取り入れた命令を発した。
驪山陵の近くに病人の救護所を作り、咸陽の医者と工作部隊に協力させて様々な病の治療法を研究させよと。
……もちろん、盧生と侯生のこの提案は建前である。
本当の目的は、尸解仙を作る研究に必要な病や薬物を集めることだ。
こうしておけば、工事現場で発生する様々な病がそこに集まってくるだろう。後は工作部隊に使えそうな病を物色させ、入手させればいい。
その過程で、何人か助かる者が出て、自分たちへの風当たりが少しでも弱まれば儲けものだ。
もっとも、逆に見え透いた偽善だと言われるかもしれないが。
確かに驪山陵で働いている人数と毎日のように出る死者数を考えれば、こんなものは焼け石に水もいいところだ。
しかし、それでも少しは救える。
ないよりはマシ、為さぬ善より為す偽善だ。
これで何もしていない他の方士や儒者たちは、ますます自分たちに何も言えなくなるだろう。
元より、建前上の目的でさえそこの労働者を救うことではない。そこの労働者は元々消耗品同然の、死んでもいい者たちなのだから。
むしろ壊れつつある消耗品を研究して一般の民を守る糧とできるのだから、素晴らしい再利用ではないか。
李斯ら行政府の人間は、うまい所に目をつけたと喜んでいた。
危険の大きい治療をしても賭けのような薬を使って患者が死んでも、元が罪人であり放置されて死ぬはずの人間なら誰も損をしない。訴え出る人間も少ない。
思う存分、一般人にはやりづらいことを試せる。
犠牲を気にしないでいいからこそ、大胆なやり方で研究を進められて成果も上がるだろう。
まさにいいことづくしだと、お上は大賞賛であった。
早速、工事現場からほど近い場所に小さな救護所が設置された。
そこでは主に工作部隊の医師薬師、咸陽に住む医師たち、そして琅邪から来た方士たちのうち医薬の心得がある者が働く。
救護所といっても実態は研究所なので、軽い病やありふれた病、それに怪我などは治療の対象にならない。
伝染性が高く治療法を早く見つけるべき病、元々この地方になかった珍しい病、有効な治療法が見つかっていない病が優先される。
あるいは、医師たちの興味が優先されることもある。
方士の場合は、ただ自分の作った仙薬の人体実験をするだけのこともある。
だが、それだけ患者が死のうとも治療者が咎められることはない。きちんと報告書さえ上げていれば、それは実験結果で済まされる。
人を人とも思わぬ地獄は、ついに地上にもその姿を現した。
そこで好き放題に弄られる病人たちの喘ぎをよそに、地下ではさっそく不老不死に使えそうな病の議論が始まっていた。
「薬や病による変化が尸解の血と合わさり、機能の保存につながる……それが現時点での最も有力な仮説だ。
よって、機能を残したい場所を侵すものを見つけねばならん」
徐福が方針を告げると、石生はこれまでのことを思い出して言った。
「おっしゃる通りです。
天然痘では消化器系と体表、それに少し欲求の改善がみられました。これはそこに多くの毒が溜まっていたのと、高熱で脳がやられるせいでしょう。
病変の部位と死後の機能保存は対応しています」
それが、これまでの実験から導き出された答えだ。
徐福たちはこれまで、様々な感染実験を行いそのつど新たな知見を求めて解剖を繰り返した。その結果と死後の経過から、この仮説を立てたのだ。
「俺の予想では、組織に溜まった毒と尸解の血が反応して死後も働くよう変化するのだと思う。
人食い死体に必要だったのは天然痘と肝の病。天然痘は毒を作り出し、肝の病が解毒能力を弱めて多く毒が溜まるようにする。
多分、そういうことだ。
ただし、あれほど症状の重い天然痘をもってしても、単独では毒力が足りぬのだろうが」
「となると、相当致死率の高い病が必要ですね」
徐福たちはその仮説をもとに、必要な病の性質を洗い出していく。
そして、そこに研究の目的を当てはめる。
「まず改善が必要なのは知能、すなわち脳だ。どれほど他の機能が充実していようと、人の意識と思考がなければ意味がない。
生前の記憶と人格を保って初めて、その者が仙人になったと言えるのだ」
「確かに、陛下が陛下のままでいられなければ不老不死の意味がないですね」
化け物と仙人の境目は、まさにそこだ。
現状の人食い死体は、食うという欲求はあるものの、理性も思考もなく意思疎通ができないため獣と同じだ。
これではとうてい、人と呼べない。
仙人はその人としての性質があること前提なのだから、当然このままでは当てはまらない。
これをいかにして改善し、人としての理性と思考を保たせるか……それが今の最重要課題であった。
「理性、知能、人格……全ては、脳だ。頭の打ちどころが悪いと性格や知能に影響することがあるから、まず間違いなく司るのは脳だ。
我々は、脳に影響を与える病や薬を探して試さねば」
徐福がまとめると、また石生が思うところを呟いた。
「前回使った秘薬のようなのを、ですね……。
本当に、前回の検体が悔やまれます」
徐福たちは、前回の検体に起こった変化について、こう考えていた。
あの検体は秘薬によって精神に異常をきたし……つまり、脳に異常を生じていた。それが人食いの病毒と合わさり、わずかに知能が……脳機能が保存されたのだと。
であれば、脳や神経に重大な病変を与えるものをかけ合わせれば、逆説的に保存できる脳機能が増えるかもしれない。
「脳をおかしくする、か……狂犬病や破傷風辺りが有力か?」
「そうですね。
薬であれば麻薬の類か……案外、詐欺方士の方々がいい処方を持っているかもしれません」
徐福と石生は、興奮気味に恐ろしい議論を交わす。
「後は、手順だな。
人食いの病は尸解の血に肝の病と天然痘を同時に重ねてできたもの。しかし前回の検体では、人食いの病として完成したものに薬物を重ねた。
同時に重ねるか別々にずらして重ねるかで、違いが出るかもしれん」
「うーん、一つ一つ重ねるならできそうですが……。
たくさんの病を同時にかからせるのは難しそうですね。感染性の強いものが混じっていると、管理が大変ですし」
「ともかく、まずは感染性の低いもの一つ一つに人食いの病をかけ合わせて目星をつけていくとするか……」
そこに、苦しむ病人を思う心は欠片もない。
地上で行われる大工事は、実験台の調達装置。そして見せかけの救護所はただの素材の集積場。彼らにとっては、それ以上でもそれ以下でもない。
ただの、不老不死の実現のための実験施設の一つだ。
徐福ははやる気持ちを抑えようともせず、近くにいた工作部隊たちに命令した。
「よし、救護所から脳を侵されていそうな奴を探してこい!
それから、前回の秘薬と……もっと中毒性が高くておかしくなる薬を用意せよ!」
それを聞いた工作部隊たちは、思わずヒュッと息を飲む。この男は、自分たちの尊い知識を使ってどこまで人間を冒涜する実験をしようというのか。
しかし、もはや逆らう事はできない。
工作部隊は言い知れぬ恐怖と気分の悪さを押し殺して、救護所に向かうしかなかった。




