66 過去改変の代償
背中が冷える感覚に襲われる。状況をしっかりと理解できていないが、これから俺にとって都合の悪いことが起きることは理解できた。
様子のおかしいアルテマイヤと、こちらの逃亡を遮るように現れた所長。
2人の挙動を見れば、これから楽しいことが起きることなど想像できない。
「所長……。他の奴らが女魔王とか言ってるのをよく聞くんだが、昔女装でもしてたのか?」
俺は緊張からか、この状況を受け入れたくないのか、わからないがそんなくだらないことを所長に尋ねていた。
「その事か! 答えは明快だ! それは――わたしが元々女だからです」
「ッ!」
俺の質問に答えている途中で、所長はアルテマイヤによく似た背の高い女に姿を変えた。
威圧感が一気に強くなる。足が震えだした。
これはどういうことだ? 威圧感に抗いながらアルテマイヤに確認を取ろうとすると奴は消えていた。
「振り返ってもいませんよ。分割した体をもとに戻したんですから」
なぞの女はよくわからない進言をして来る。その声音を柔らかいものだったが、発せられる威圧感のために警戒が解けない。
「誰なんだ、あんた……?」
「私はラルフ・シェーンですよ……。いまさら尋ねる必要もないでしょう」
目の前の女は、あきれた顔でこともなげに答える。
奴の言とは裏腹に、俺は奴をラルフと認識できなかった。その赤髪と顔を見るとどうしてもアルテマイヤだと思ってしまう。
「リード、質問はもう十分でしょう。今度はこちらから質問させてもらいましょうか?」
ラルフと名乗る女は、呆れた顔から一転、興味深げにモルモットを見る研究者のような顔になった。
「あなたは、何者ですか?」
それから、こちらにひどくあいまいな質問は投げかけてきた。
「見た通り、リザードマンのリードだろ……。そっちこそそんなこと尋ねる必要がない」
自分の知っていることを正直に話す。
この世界ではそれ以上でも、それ以下でもないはずだ。
だがこちらの誠実さとは裏腹にラルフは納得できないように、眉根を寄せていた。
「必要はありますよ。だって、あなたの名前は、『神の書』に記述がないんですから。この世界の人間なら必ず記述が残るはずの書物に記述が残っていないんです。ひどく不気味だとは思いませんか? すべて記述するはずの書物があなたのことだけを記述できないんです」
アルテマイヤはだんだんと語気を強めていく。
奴の言葉の端々から苛立ちを感じた。
記述がないということが、奴にとってひどく都合の悪い事実だということだけはわかった。
「そこまでなら私もあなたを監視したままで、とどめるつもりだったんですが……。
あなたは多くの人の記述を分岐させて、私が整えた記述をめちゃくちゃにしてくれましたからね」
そういうとひどく憎悪に満ちた目で俺を睨みつけてきた。以前シェイムと戦った時と同じような殺気をひしひしと感じる。
奴はもう何をするのかはわかった。からだに『フォース』をかける。
「本来ならばここで、保管された『始神の伝道書』の焼却と、廃人になった魔王シェイムを懐柔することをするはずだったんですけどね……。だというのに今現在、肝心の『始神の伝道書』はなくて、始神の記述がある本しか焼却できない上に、魔王シェイムは学園の長となって、出張中。更新してから、違和感に気づいて、助かりましたよ。あなたが記述に大きな変更を加える危険な存在だとわかりましたからね」
奴がそう言い終えると、黒い波動を放ち始めた。
波打つそれは周りの木々を黒く染めて、崩壊させていく。
あれには絶対に触れてはいけないと直感で理解した。
「トカゲ、あれには絶対に触れてはいけません! 四属の特一級魔法をすべて展開してレジストしなさい! どうして、あなたは私を呼ばなかったんです! 」
スリートは出現すると切羽詰まった様で、俺に指示を飛ばして、叱責した。
いつもはどこか気の抜けているスリートの鬼気迫る形相を見ることで、それの危険さについて改めて認識する。
慌てて、特一級魔法を順次展開していくが、二つ組み合わせた時点で頭が破裂しそうになり、三つ目の時に、痛みがさらに強くなり、鼻から血が出た。四つ目を展開しようとするがどうしても展開できない。
そのまま、三属の特一級魔法を維持するだけで意識が飛びそうになる。
「スリート無理だ。三属までしかできない……」
意識が飛びそうになりながら、スリートにそういうと、ひどく苦しそうな顔をした。
ダメもとで三属の特一級魔法をぶつけるが、波動が多少遅くなっただけでレジストができない。
「スリート、人に対して四属の特一級魔法を要求するのは酷ですよ。人ではそれに耐えられないのですから」
ラルフは無表情でただ淡々と事実を告げるように言葉を投げかける。
スリートはその言葉を聞いて歯を食いしばって、思いつめるような顔をした。
「リード、私が身代わりになります。あなたは私が波動に巻き込まれたら、すぐに離脱しなさい」
スリートがらしくもなく、殊勝なことを言い始める。
なんでこんな時にそんなことを言うんだこいつは。
「馬鹿! 何言ってるんだ。お前が俺にそこまでして何になる。それにお前を犠牲にして逃げたとしてもこいつが追いかけてくるに決まっているだろう」
スリートは何か言いたそうにしたが、かみしめるようにして口を結んだ。
その姿を見て、言った後に少し心が痛んでくる。決心して身代わりになるといった人間に対して俺の態度はあんまりだ。
だけどこいつを盾にして自分だけ助かることを想像すると気分が悪くなってしまって、そう言わざるを終えなかった。
なんだかんだで一か月苦楽を共にして、こいつには幾度となく救われている。
こいつはかけがえない存在だ。こいつ見捨てた後のことなど考えるだけでも嫌になる。
「それに諦めるのはまだ早いだろうが」
三属の特一級魔法に魔力をありったけ注ぎ込む。
するとレジストは出来ていないが、波動と拮抗させることができるようになった。
ラルフが眼を見開いて、口を開く。
「リード。あなたどこからそんなに魔力が出てくるんです? 魔力で中途半端なレジストを無理やり強化して拮抗させた挙句それを維持するなんて……。そんなことをすれば、魔力の多い魔王でもすぐに魔力が切れるはずだというのに」
このまま魔力を込めて押し切る。
俺の魔力は無限に湧いてくる、何とかごり押しで行けるはずだ。
魔力の出力を上げていく。
「どうやら、あなたはただ記述が残らないだけではないようですね。私も本腰を入れましょうか」
奴がそうつぶやくのを聞くと同時に、左腕と右足に灼熱が走った。遅れて激痛が迸る。
「ああああああああああ!」
口から自分のものとは思えないような声が聞えた。
体がバランスを欠いて地面に倒れる。。
痛い!痛い!痛い!
左腕と右足の感覚がない、ただ痛いという情報が脳に出力され続ける。
「五体全部を壊すつもりで放ったのに、当たったのは二か所だけですか。なまりましたね……」
ラルフが話していることはわかるが、何を言ってるのか聞き取れない。
「リード、魔法が解けています! 波動が……!」
痛みの中でもスリートの波動という言葉だけは頭の中に響いた。
歯を食いしばって、顔を上げる。波動が徐々にこちらに近づいているのが見えた。
魔法を組み立てて、レジストしようとするが痛みが邪魔してできない。
痛みを生じさせる腕と足が憎たらしい。なんでこんなに痛むんだ。
左腕に目を向けると、そこには何もなかった。肩から先が消えていた。
みなければよかったと後悔すると、頭がくらくらし始めた。
血が足りなくなってきたかもしれない。
魔法も使えず、逃げるために必要な足もない。
こちらに近づいてく波動をただ見つめることしかできない。
波動を見つめる視界に誰かが走ってきているのが見えた。
暗闇でしっかりと姿は見えないが、知っている人間のシルエットだった。
トリシュだ……。
まっすぐこちらに駆けてくる。
奴がしようとしている行動はすぐに分かった。
「トリシュ! やめろ! 来るな!」
トリシュは走るのをやめない。
そのまま、おれの目前に迫った波動と俺の間に入り込んだ。
トリシュは黒い波動に当たって、地面に倒れた。
「おい……。うそだろ……」
地面に倒れるトリシュに話しかける。
するとトリシュは立ち上がり始めた。どこにもけがはない。
コケ脅しだったんだ……。
少し安堵してトリシュを見つめる。
「リーさん。死んでないから気にしないで。あたしが相手にしている間に――」
立ち上がろうとしたトリシュの足が砕け散った。
「――ごめん、無理みたい。リーさん、逃げて」
そう言うと、トリシュは真っ黒になって砕け散った。
砕け散ったそれは黒い粒子になって、風に流されていく。
それが流されないように手を伸ばして、止めようとするがすべて手のひらを通り抜けていく。。
「嘘だ……。嘘に決まっている……」
目の前に展開された光景を見てわかっているというのに、口からはそんな言葉が漏れた。
「なんでこんなことするんだよ! トリシュは関係なかっただろう! なのになんで……」
決壊したようにとりとめのない言葉が溢れていく。
それを聞くラルフは冷めた表情で俺を見下ろす。
「しょうがないでしょ。こうしないと、私が逆に失うんですから……」
ラルフは黒い波動を消して、こちらに近づいて来る。
「でもあなたとトリシュ、仲が良かったですからね。……酷でしたよね。せめてもの償いに
確実に仕留めて、彼女に早く会わせてあげましょう。私もあたなが苦しむ様を見るのは心苦しいですし」
体が浮いたと思うと、世界がグチャグチャに歪んでいた。




