68.混沌の目覚め ~取れなくなったバケツヘルム~
驚き慌て、飛び起きた勇者様。
「え、な、え、え、うえぅ!?」
混乱ぶりは、目に見えて明らかです。
バケツヘルムの中で反響しているだろう音が余程堪えたのか、ちょっとふらふらしています。
「勇者様、おはようございます!」
「はよ!」
「ふあっ!? り、リアンカ? まぁ殿!? ど、どどどどこだ、見えない! 俺はいま、どうなっているんだ……!?」
あ、バケツヘルム前後逆だった。
それは前も見えないよね、と。
うん、納得です。納得納得。
「待て、なんだこの状況! いったいなにがっ!?」
「ねえ、まぁちゃん。寝起きドッキリってどの段階で成功って判断して良いのかな?」
「あ? そりゃ……ドッキリするような寝起きを演出出来たら成功なんじゃね?」
「だったらこれ、ドッキリ成功!っていっても良いよね?」
「おー……そうなんじゃねーの?」
「待て、本当に待て。君達は何の話をしているんだ! そして俺のこの良くわからない状況は君達のせいか!?」
「まあまあ、勇者様。落ち着いて!」
「お、そういや勇者。ひとつ質問なんだけどよ」
「し、質問っ?」
「勇者、神妙に答えろ。お前の現在の下着の色は?」
「そんなことなんで答えなくてはいけないんだぁぁああああっ!!」
あ、勇者様が爆発した。
勇者様が状況を認識する前に散々混乱を煽った後。
とりあえずバケツシルエットの兜を外してあげようとしたのですが……
「あれ?」
「ん、どーした」
「まぁちゃん、どうしよう? お玉で殴ったところが微妙にへこんで、勇者様の頭部にジャストフィットしちゃってるみたい!」
「……つまり?」
「取れませんね」
「What’s!?」
眩暈がしたのでしょうか。
勇者様はくらくらしたのか、額に手をやった姿でへたり込んでしまいました。
勿論、バケツヘルムを被ったまま。
こうなった責任は考えるまでもなく私にある訳ですが。
さて、どうしましょうか。
「良いですか、勇者様。絶対に動かないで下さいね!」
「動きたくても何も見えない上に動けないんだが!」
勇者様を柱にぐるぐる縛りつけながら。
私は何度もしつこいぐらいに念を押しました。
「コレ前振りじゃないですからね! 本当の本当に、絶対動いちゃ駄目ですよ!」
「そこまで言われて一体誰が動くというんだ!」
「いえ、そこまで言われると逆に……という思考回路の働く方が世の中にはいるそうで」
「どこの捻くれ者だ、それ」
「わたしも詳しくは知りません」
考えた、末。
私は勇者様を柱に縛り付けるという結論に達した訳で。
間違っても身体を動かさないよう、首までがっちり固定します。
「な、何をするつもりだ!」
勇者様の声に若干の怯えが混じっているのは気のせいでしょうか。
……なんて、そんなことある訳ありませんよね。
だって勇者様は、『勇者』なんですから。
勇敢な人の第一に数え上げられるような生粋の戦士が、まさか村娘一人に怯える筈もありません。
例え、全身を拘束されていようとも。
そう……勇者様にとっては村娘一人が何をしようと取るにも足らないはず!
私はそう自分に言い聞かせ、手に握った包丁の感触を確かめました。
「良いですか、勇者様。いま勇者様が被っていらっしゃる兜は鋼鉄製です」
「なあ、リアンカ。一つ聞いても良いだろうか……被った覚えが一切ないんだが、この兜は一体何なんだろうな? なあ、リアンカ?」
「勇者様、非常に切ないお話ですが……世の中には、眠っている内に身に覚えのない行動を繰り返す方というのがいるそうですよ」
「俺は夢遊病なのか!?」
「ちなみにりっちゃんに聞いた動く死体の話ですが」
「眠りって永久の眠りかよ!!」
「御先祖の供養が疎かだと、そういうことが起こり得るそうですよ。怖いですねぇ……先祖の恨みが」
「止めろ。止めてくれ。それを死霊使いから聞いたのかと思うと妙な信憑性があるから」
「ちなみにハテノ村の近所にある無縁仏の集団霊場では夜ごと亡霊達の大運動会とお供え物を用いた酒盛が繰り広げられているそうです。一回遊びに行ってみましたけど、中々盛況でしたよ?」
「って本気か! 本当の話なのか!」
「ほら、魔境って無謀な挑戦者が度々訪れますから……身元不明のご遺体も時々深夜徘徊を繰り返して補導されちゃうんですよねぇ」
「補導? 誰がするんだよ!」
「自警団のお兄さん達ですが」
「自警団の人達はそんなことまで任されているのか!?」
「お仕事の一環として、夜回りしてますからね。あの人達」
「歩く死体に遭遇する夜回りか……。なあ、それは怪談じゃなくって本当の本当に起きたことなんだよな……?」
「勇者様も夜道でいきなり動く死体に遭遇して吃驚しても、いきなり斬りかかっちゃ駄目ですよ? そういうのは相手から襲いかかってこない限り刺激しないことにしているんです。キリがないから」
「つまり相手が襲いかかったら斬れ、と。正当防衛が適用される相手なのか……というか正当防衛が認められないと攻撃してはいけないんだな」
「魔境故の土地事情ってやつですね!」
「本当に嫌な土地だなぁおい!」
夜道で遭遇したご遺体の方は、可能な限りさっき言った無縁仏さん達の霊場にご案内することになっています。
彼らも新しい仲間はうんと陽気に迎え入れてくれますし、さまよう死体の人も彷徨わなくて良くなるし、万々歳ですね。
ちなみに無縁仏の霊場には変な磁場が発生し易くなっているので、呪いの媒介に使えるような妖しくて禍々しい植物が生えます。
りっちゃん達、黒山羊一門の死霊使いさん達が定期的に御供養しているそうですけど、後から後から新参者が加入するのでちっとも霊魂も鎮まらないって聞いたことがありますよ。
もしかしたら勇者様の圧倒的キラキラ☆オーラ(笑)全開で歩き回っていただいたら、鎮まるかもですけど。陽光の神の加護が漏れ出して勝手に土地が浄化される……ような気もしなくはありません。
「リアンカ、準備できたか」
「ばっちりだよ、まぁちゃん!」
「待て、まぁ殿! 俺の心の準備がまだ全然……っ」
「大丈夫ですよ、勇者様。だって勇者様は何もしなくていいんですから……睫毛一本、動かさないで下さいね?」
「それ逆に難易度高すぎっあぁぁあああ!?」
私は勇者様の固定されたバケツヘルムにそっと手を添え……脇から、まぁちゃんも腕でがっちりと固定してくれて。
右手に握った包丁を、優しくバケツヘルムに宛がいました。
「安心して下さいね、勇者様……この包丁、オリハルコン製なんです。どんな難物もするりと紙の如く切れるって評判なんですよ」
「難点は、まないたどころかテーブルまですっぱり真っ二つになっちまうことだけどな。鋼の鎧くらいならコレですっぱりだぜ?」
「とあるコレクターから借りて来たんですよ……【血みどろ男爵】」
「待て!! その単語どっかで聞いた覚えがあるぞ!?」
「ふふふ……勇者様、じっとしていて下さいね」
「止めて! 誰か助けて!」
そして、私は。
勇者様の被る何の変哲もないバケツヘルムに包丁の刃を当てました。
瞬間。
軽く当てただけで、すぱっと五cmくらい切れちゃったんですけど。
ついでにヘルムの切れ目から覗く勇者様の皮膚が、線の走るような形でうっすら赤……あ、血は出てないですね。
勇者様ったら皮膚丈夫!
でも逆に言うと、鉄の板ごしに勇者様の肌を赤く腫らす程度の切れ味はある訳で。
「凄い、前情報に違わぬ切れ味! これなら鉄くらいイチコロですね☆」
「リアンカ、その危険な包丁をひとまず手から離そうか! 俺、いま本気で胆が冷えたんだが! 兜どころか俺までイチコロ☆にする気か!?」
「ところでイチコロって何の略なんだろうな? 一殺?」
「あ、私知ってる。『一撃でコロリと倒れる』を縮めた語らしいよ?」
「い、一撃で…………ころり」
ごくり、と。
勇者様が唾を嚥下する音が何故か大きく響きました。
でもその音も、まぁちゃんの声に掻き消されます。
「んじゃ、勇者なら大丈夫だな! こいつがそんな虫みてぇにやられる訳ねーし。むしろ勇者ならこの包丁で刺されても死なねぇだろ」
「それもそうですね!」
「ちょっ待てその意見、異議しかねぇぇえええええ!」
「んだよ、勇者。仕方ねぇなあ……怖ぇなら手ぇ握ってやっても良いぜ?」
「その気遣いは無用だ、まぁ殿……やめろ、手を握るな! 気遣ってほしいのはそこじゃない!」
「よしリアンカ、今だ! 俺が押さえてる間にやっちまえ!」
「任せて、まぁちゃん!」
「しかも即座に裏切られ……いや、そもそも最初から味方じゃなかった! 手を握るって言うのは方便か! 気遣い皆無かまぁ殿!」
その後。
暴れる勇者様を押さえつけるのに酷く難儀しました。
兜を凹ませちゃった責任とって、ちゃんと勇者様の顔面を自由にして差し上げようって思っただけだったのに……。
その内、時間が来てしまいました。
「あ、やべ。そろそろ俺、行かねーとなんねぇわ」
「え? もうタイムアップだっけ? まだ日も昇ってないのに」
「おい待て。二人がいるからもう朝かと思っていたが……夜も明けてない内から、俺に一体何をしているんだ二人とも」
「勇者様、約束覚えていないんですか……!?」
「えっ?」
「勇者様、私とピクニックに行ってくれるって言ったじゃないですか!」
「…………………………なあ、リアンカ」
「はい、勇者様」
「まさか今日、寝ている俺を襲撃したのは……ピクニックの誘いだったとか、言わないよな?」
「うふふ、違いますよ。勇者様!」
「そう、だよな……まさかそんな、非常しk……」
「誘う段階はとっくに過ぎて、出発を促すため起こしに来たんです!」
「軽々予想を飛び越えてきたぞリアンカさん!? そもそも日程すら初耳なんだが! というか幾らなんでも朝早すぎだろう!」
「え、でも、勇者様? 日の出前に出発しないと明日の昼に間に合わないし」
「ちょっと待て! 何故に明日の昼? ピクニックって日帰りじゃないのか!? どこに何日行く気なんだ!」
「日程は二……いえ、三泊四日ですね。今から行って、明日の昼に現地到着。それから夜まで仮眠を取って、三日目から四日目にかけて帰宅に要します」
「それもうピクニックじゃないだろ!? 何をするつもりか知らないが……実は強行キャンプだろ、おい」
「嫌ですね、勇者様ったら。ずっと歩き通しで野宿する訳じゃないんですからピクニックで合ってますよ」
「夜通し歩きづめとかどれだけ強行軍なんだ!?」
「大丈夫、ピクニックの最大目標である野外でのお食事はしっかり計画していますから」
「俺が心配しているのはそこじゃない!」
兜の切れ目から覗く勇者様のお顔は、うっすらと青くなっています。
どうして青褪めるんでしょう。
ふるふると緩く首を振っていますけど、何が不満なんでしょうか。
楽しいのにな、ピクニック。
「勇者様、お弁当もちゃんと完備したんですよ。四日分」
「なあ、リアンカ。どうして四日もピクニックに費やすのか、それがまずわからないんだ」
「その分、遠出するってことです。二人だけですけど、ちゃんと楽しめるように計画したんですよ」
「いくらなn…………待て、二人?」
あれ、勇者様の動きがぴたりと止まりました。
兜の切れ目から見える顔も、表情が凍りついています。
包丁を散々振り回した結果、勇者様の顔面には切れ目がいくつか。
それが丁度いい具合に勇者様の目と口元に亀裂を走らせ、子供の作った無残なお面のようになっています。
でもお陰で、勇者様の表情は微妙に見えました。
「ふた、り……いま、ふたりきり、と?」
「え? はい、二人きりですよー」
「ま、まぁ殿は!?」
「いやだから俺は行けねぇんだって」
「リアンカが行くのにか?!」
「あのなぁ、勇者。俺らは確かに仲良しさんだが、いつもいつだって常に一緒って訳じゃねーんだぞ? 俺にも予定があるんだよ」
「ままままぁ殿にリアンカより優先する予定がある、だと……!?」
「別にリアンカより優先っつう訳でもねーが……あのな、今日はな? 魔族の各部族長のシード権を決める腕相撲大会があんだよ」
「意味がわからない!」
勇者様が一段と混乱を極め、愕然とした顔でまぁちゃんを見つめます。
本当に意味がわかっていないんだろうな。
魔族の族長さん達の、シード権争奪腕相撲大会。
それが今日のまぁちゃんの予定です。
こればっかりは外す訳にいきませんよねー。
魔族の武闘大会には、全魔族が非戦闘員以外漏れなく参加しますけど。
各部族を束ねる族長さんは、当然の如く他の魔族とは一線を画した強さを持っています。
なので普通に本戦の一回戦から出場……なんてことになったら、試合のパワーバランス的にあまり面白くなくなってしまう。
魔族さん達の気質的に強者には挑戦的ですが、自分より圧倒的に弱い相手には保護欲にかられる場合もあり、実力差が開き過ぎると試合にならないんですよ。
そこで族長さん達にはあらかじめシード権が与えられている訳ですが。
どこから試合に参加するのかに関しても、シード権にはランクが付けられておりまして……どこに誰が当てはめられるのか、それを決定する為の重要な大会が『腕相撲大会』になります。
いわば、族長さん達の為の予選みたいなものでしょうか。
ルールは至って簡単、魔王と腕相撲をする。
そして負けるまでに何秒粘ったかで優劣を決めるそうです。
以前はくじ引きで決めていたらしいんですけど、千年だか二千年だか前の魔王さんが面白がって腕相撲大会にチェンジしたそうな。
ですが戦闘意欲の強い魔族さん達の気質的にも、ただのくじ引きよりずっとそっちの方が歓迎されたらしく。
以来、魔族の伝統としてずっとずっとず……っと続いている。
以前に腕相撲大会を面倒臭がって変更しようとした魔王さんもいたそうですが……一度腕相撲で味を占めた族長さん達が納得するはずも無く。
それでも他の方法にしようとしたら全力で抗議(物理)され、その年は最終的に武闘大会の開催そのものが中止に追い込まれる事態となったとか。
魔王城は戦場になったと、記録には残っているそうな。
腕相撲大会をすっぽかせば、その二の舞は確実。
そっちの方が面倒臭いことになると魔王一族の骨身に刻まれ、以降は代々腕相撲大会の伝統を守って今日に至るそうです。
「っつう訳で、俺は同行できねぇ訳だ。理解したか、あ?」
「待ってくれ、まぁ殿。正気か? リアンカと二人、だぞ。二人きりなんだぞ! 一年前だったら絶対に許さない暴挙だろう!? 村長だって絶対に許すはずがないだろう!」
「あー……それな。その点に関しちゃ、俺と伯父さんは今年になって意見の一致をみた。お前への信頼っつう意味でな」
「はあ!!?」
「そう、俺と伯父さんは信頼してるんだぜ。お前を」
「な、な……っ? まぁ殿、それは世迷言か!?」
「おいおい失礼だなぁ? 信頼してるっつってんだから素直に受け取れや。俺らは間違いなく信じてるんだぜ?
お前の へ た れ ぶりを 」
「それは侮辱だまぁ殿ぉぉおおおおおおっ!!」
「そうだよ、まぁちゃん。勇者様が可哀想。せめて紳士(笑)って言ってあげようよ」
「さりげなく便乗して俺の心を抉るのは止めてくれ、リアンカ!」
「はっ(笑) 紳士な、紳士。んなもん根性なしと紙一重だろ。その点を俺は高く買ってるけどな」
「……信頼されているのは確かだ。確かなんだが……けなされているようにしか思えないのは、まぁ殿の言葉に多分に暴言が混じってるせいか、そうなのか」
「あ~……勇者様、元気出して? まぁちゃん、勇者様が落ち込んじゃったよ!」
「けっ……リアンカと二人っきりでも許容できる奴なんざそうはいねぇっつってんのに。信頼は嘘じゃねーんだから素直に受け取りゃ良いだろうが」
「まぁ殿、素直に喜べない俺の複雑な心境をわかってくれとは言わない。だがもう少し容赦してくれないか……?」
「あ、ちなみに言っとくけどリアンカに何かあったら……お前、ボコだかんな?」
「ちっとも信頼してないじゃないかまぁ殿ぉぉぉおおおおおおおおおっ!!」
床の上に蹲り、振り上げた右の拳で床をだんっだんっと衝動のままに殴りつけて。
慟哭の声をあげる勇者様は……何故かとても、しっくりして見えました。
まぁちゃんと村長さんは、一年間(半年間)に及ぶ観察の結果、勇者様の素敵な性根に確信を持ったようです。
あ、コイツ……リアンカちゃんと二人きりで放置しても大丈夫っぽい、と。
とんだ安全野郎扱いですよ。間違ってはいませんが。




