34.予選1日目:ピンクの壷
闇(笑)に呑まれた勇者様……
果たして彼は、無事に生還出来るのだろうか。
一方、そんな勇者様の行方を見守る(笑)観覧席の方では、新たな乱入者が姿を現そうとしていた。
「やほー☀」
からりと元気な笑顔でご挨拶。
緑の羽根をひらりと舞わせ、舞い降りた鳥魔族。
「ん? どうした、ヨシュアン」
唐突な登場に、動じる者はいない。
ただ不思議そうな顔で、小脇に帳面の様なものを抱えるヨシュアンを見る。
「お前、妖精女王に頼まれて絵描きに行ったんじゃなかったか?」
「そっちは速攻終わらせました! 終わらせて来ましたよ!」
「あ? 綺麗めな女との用事を、速攻で終わらせた……ってなんか奇病にでもかかったのか、お前。元気に振舞うのは構わねぇけどよ、病原菌振りまいて他人に移すなよ?」
「いきなり初っ端から俺を病気扱いとか、陛下酷過ぎ! そうじゃなくって、エロネタが降臨したと聞いて!!」
「……あ、納得」
どうやら勇者様の状況を聞き付け、マッハで駆け付けたらしい。
よくよく見ると、手に持っている帳面はクロッキー帳だ。
「折角だからネタにさせてもらおうと思ってね。デッサン用の筆だって多めに持ってきたんですよ!」
ヨシュアンさんの目は、キラキラしていた。
この意欲を他に回せないものかと、一見して美少女以外の何物にも見えない部下の実態が更に残念に感じられた。
「しっかしなー……ヨシュアン? あんま期待しても無駄じゃね? だって壷の提供者…………淫魔の長だぞ?」
「え゛」
ひくり、と。
壺の提供者が誰かを聞いて、ヨシュアンさんの頬が軽く引き攣った。
そこは穴の底。
さあ、勇者様はいかなる悲惨な目に遭遇したのだろうか。
思いのほか深い穴の底に、勇者様は落された。
しかし勇者様も魔境に来て以来、高いところから落下するのに心なしか慣れた気がする。
落下しながら自身の姿勢を制御する技術もバッチリだ!
まあ、落下するだけなら……なのだが。
思いの外深い……深すぎる、穴の途上。
未だ自由落下中で体の自由に抑制がかかるというのに。
「っ!? 本気か魔族!」
いきなり穴の側面から、大きく肉厚な刃が勇者様目掛けて襲いかかる!
どうやら罠の中には更に罠が用意されていたらしい。
勇者様の人間基準では、もう本気で殺しにかかっているとしか思えない。
……魔境基準ではそうとも限らない、この認識のずれが憎い。
避けようのない落下中。
四方八方から飛び出してくる刃。
そして隙間を縫うように突き出てくる槍。
成す術もなく被害を甘受すれば、瞬時に勇者様はモズのハヤニエよろしく串刺しの細切れ肉と化すだろう。
勇者様が穴の外にまで聞こえる音量で罵倒の声を上げたのは、この時だ。
しかし勇者様は、そのような運命を甘んじて受けるような男ではない。
彼とて、それなりの反骨精神を備え、己の力で運命(笑)を切り開いてきた一流の戦士である。(人間基準)
今回の大会に向けて、念入りに整備を施し用意したモノ。
鍛冶師のトリオン爺さんが、素敵にメンテナンスしてくれた勇者様専用の剣。
光輝を放つ剣を、勇者様は即座にすらりと抜いた。
剥き出しの剣身が、襲い掛かってくる罠の刃とは明らかな格の違いを示す輝きに満ちている。
光を当てている訳ではない。
ただ鍛え、研ぎ澄まされただけで鍛冶師の腕がどれだけ良いのか、その剣がどれほどの等級にある刃なのかを誇らしげに示す。
剣の鋭さは、勇者様の手に馴染んで更に威力を増した。
紙の様に、とはいかない。
紙の様にとはいかなかったが……それでも十分に、十全に。
まるで柔らかなチーズを切り裂くようだった。
剣を持つ勇者様自身も、使って初めて再認識させられる剣の力強さ、鋭さに驚いたほどに。
勇者様は己が実力と己に見合うとされた剣を以て、襲い掛かる刃・槍・鎌の全てを脆い粘土でも砕くようにして切り裂いた。
全てが金属の尖りを強調するガラクタと化し、勇者様と共に穴の底へと向かって落下していく。
だが落下の最中にも、また着地して以降も。
降り注ぐ刃の残骸の中。
自分が切り裂いた金属片によって傷つくほど勇者様は迂闊でも間抜けでもなかった。
彼がガラクタにした残骸は、全てまるで勇者様の身体を避ける様にして、予想以上に広がりを見せる穴の底に突き刺さった。
勇者様を囲み、円を描くようにして。
全てが静かに音を沈める中。
勇者様は穴の底……その中心へと、足音軽く着地した。
すたっと軽い音を立てて着地……と、本来はそうなる筈だったのだが。
今回は不幸なことに、そうはいかなかった。
――かこんっ
こんこんこん……と余韻を残し、転がるモノ。
軽い音を立てて勇者様の足が着地の拍子に蹴り飛ばしたモノ。
そこは穴の底という暗い場所故によく見えなかったのだが……
それは何だか明るい色に塗りたくられた……壷のように見えた。
「! しまった……穴の底に何かあったな、ん……て…………?」
うっかり壊してしまったか、と。
壺に注意を向けた勇者様。
その時点で壺は、ただの壺に見えたのだけど。
すぐにそう見えなくなるまであと三秒。
「!!」
ぞろり……と。
壺の中から、何かが這い出してきた。
うねる細長い植物の蔓の様な……
うぞ、うぞ、と蠢くそれ……大量の細長い何かが束ねられて一つのイキモノと化したかのような、ナニか。
緑褐色のそれは、細長い先端に武骨な柄を握っていた。
壺の中から這い出す物体と一緒に、柄の先も壷から引きずり出されていく。
それは武骨な、肉厚な。
何とも立派な人斬り包丁。
しかし碌な手入れが成されていないのか、刃毀れでボロボロの刃を曝している。
まるで鋸の刃だ。
あんなもので斬り付けられたら……切断面はぐちゃぐちゃになり、肌はずたずたになって一生消えない傷が残ることだろう。
!! ENCOUNT !!
触手(凶)があらわれた!
装備:邪骨刀(×8)
触手(凶)は唸りを上げて勇者様に襲いかかって来た!
錆の浮いた刃が、新たな血を求めるかのように打ち鳴らされる。
金属の耳障りな音は連なり、重なり、耳から脳髄に食い込むようだ。
今にも血を寄越せと、刃は無造作に勇者様へと向けられる。
未だ本体は壷の中。
しかし勇者様は、目の前にいる細長い触手の集合体が……油断ならない敵だと、既に気付いていた。
険しく敵を見据える目に、闘志を宿し。
勇者様は己が新たな相棒を呼べる……新生した、光輝く剣を構えた。
「なんか違う! 俺の期待していた触手と全然違う触手が出て来たんだけど!」
穴の中まで追跡した映像を眺めやり、ヨシュアンが失意と哀切に満ちた目を見せる。
しかし一方でまぁちゃん達は大して動じることもなく、むしろ「やっぱりな」と納得の色を見せて茶を啜っていた。
「はは……やっぱ陛下驚かないっすねぇ」
「いや、むしろ想像以上に攻撃的な物体が出てきたし、それなりに驚いてんぜ? いっそ壷の中身は牛乳かチーズでもおかしくねぇと思ってたし」
「いやいや牛乳とチーズは淫魔の特産品でも主力を担う商品じゃないですか。淫魔にとっちゃ主食でもあるし。大事な乳製品を粗末にはせんでしょ」
「それもわかってる。だからいっそのこと、あの選択肢から選ぶんなら、濃硫酸か蜂蜜あたりだと思ってたんだけどな……まさか『a.触手』が正解とは」
意外だと露骨に示した口調で、まぁちゃんはニヤリと笑う。
初めから選択肢の微妙さに「うわぁ」とは思っていた。
だが勇者様が淫猥な罠に陥れられると思った訳ではない。
思った以上に攻撃的な罠で驚きはしたが……それもまた一興。
「一応聞いておくか……。ありゃなんだ? ハリドシエル」
空となった酒杯に赤紫の液体を注ぎこみながら、まぁちゃんが目を向ける。
彼らがいる、魔王城のメイン観覧席。
当然ながらまぁちゃん達以外にも、実は観客が多数詰めている。
メインの観覧席である為、席についているのも魔族の有力者が多い。
その中に淫魔の長が混ざっていることに、まぁちゃんは結構前から気付いていた。
声をかけられ、身を縮めていた青年がゆっくりと振り返る。
浮かべられている表情は、苦笑い。
気まずそうに眉尻を下げ、ふよ……と口元を緩く開く。
「陛下、気付いてたんですね」
「さっきから肩身狭っそうに縮こまってたことか? 馬鹿め。最初っから気付いてたに決まってんだろ」
「うわぁ……必死に気配を殺そうとしたのになぁ、僕」
「っつうか、なんで隠れる必要があんだよ」
「そりゃあ、あの壺について突っ込まれたくないからですけど」
「……ありゃなんだ?」
困ったように目線を彷徨わせる、淫魔の長。
気弱そうな仕草で肩を落としているのは、半ば諦めているからだろう。
所詮いくら無駄な抵抗を重ねたところで、魔王陛下に尋ねられた事柄に答えない訳にはいかないのだから。
「それってピンクの壷の詳細について、ですよね」
「それ以外に何訊いたと思ってんだ?」
「嫁のスリーサイズと下着の色は答えませんよ!」
「誰も訊いちゃいねーよ!! 馬鹿かお前は!」
「えぇ、俺は気になるなぁ☆ ハリドシエル、ちょっとお兄さんに教えてみない?」
「てめぇも訊いてんじゃねーよ、ヨシュアン!! 人妻ジャンルのエロ本公式に取り締まんぞ、あ゛ぁ゛!? 検閲はリーヴィルにさせっからな!」
「御勘弁を! 陛下、何卒それだけはご勘弁を……!」
縋りつくエロ画伯の顔をぐいぐい足蹴にしながら、まぁちゃんは改めて淫魔の長に呆れた目を向ける。
「――で? あの壺はなんだって?」
疲労感の漂うほんにゃり笑顔で、淫魔の長は今度こそ魔王陛下の疑問に答えた。
「実はあの壺……蠱毒作ってたヤツなんですけど」
「……一気に不穏の気配が増したな」
「掛け値なしに物騒だよ!」
ちらりとベテルギウスに視線を向けてみれば、明後日の方向を剥いて口笛を吹いている。
あまりにも空々しい仕種だ。
きっと本人も、あまり隠す気はない。
最早ただのポーズに近い誤魔化し方に、まぁちゃんは舌打ちした。
「この呪われ道具マニアめ……」
明らかに、チョイスからしてピンクの壷を罠に仕込んだあたりベテルギウスの判断が大きく影響していそうだ。
だからこそ、淫魔の長も困り顔なのだろうか。
「丁度、醸造中だったんですけどね……実は嫁さんが、それと知らずに気に入ったみたいで」
「おい、待てこら」
「絶対に大事にする、凄く欲しいのあなた大好き!――なぁんて言われたら、僕だって笑顔であげちゃう!としか答えようがなく……」
「おい、ヨシュアン。ここに阿呆がいるぞ」
「やだなぁ陛下。なんで俺に言うのさ」
「ちょっとこれ終わったらお前どっかその辺の適当なぼったくり風俗店にコイツ叩きこんでこいよ。ちょっと洒落にならねぇ夫婦喧嘩勃発させてやれや」
「やめてください!? お嫁さんに嫌われちゃったら、僕死んじゃうから! 舌噛んで死んじゃうから!」
「阿呆! 舌噛んだくれぇで魔族が死ねっか!」
「まあまあまあまあ、皆さんそのへんで。それであの呪われた面白壷は一体どんな過程を経て爆誕したんですかー?」
「……お前は滅茶苦茶嬉しそうだな」
目をキラキラ、キラキラさせたベテルギウス。
まぁちゃん達の会話内容など興味はないとばかりに、ピンクの壷の制作過程に食いついている。
続きをとせがむ年上の青年に押され、淫魔の長はピンクの壺がどのように誕生したのかを語った。
「僕のお嫁さんは花が好きなんですけど、」
「……うん?」
「どうやら壷も鉢植えとしてほしかったみたいで」
「は、待ておい」
「………………蓋は開けない方が良いって、言っておいたんですけどね。気付いたら壷の中に土が詰められていて」
「うわぁーお……」
「え、蠱毒作ってたんだよな? 中身どうした」
「……お嫁さん、中に色々入ってたことに気付いてなかったみたいで。全部、土に生き埋め……」
「呪いの血がたっぷり染み込んでそうだな……って、まさかそれでか?」
「あ、はは……はい。呪いの血がたっぷりと養分に…………」
「あー……えーと、つまりアレか? 蠱毒のアレコレを養分に育ったなんかの植物が、変容した……と」
「あははははー……陛下、大せいかーい……(棒読み)」
「嬉しくねえな、おい」
全員が微妙な顔で、見上げる先。
スクリーンの中、勇者様に襲いかかる触手。
どうにも植物っぽい蔓のように見えたが……それはそのまま、真実、植物の蔓だったのだろう。
ただし太さと長さと攻撃力が尋常ではない様子だが。
表面に染み出した、怨嗟の毒液が滑って光を鈍く反射する。
どのような変容を遂げたかは謎だが……明らかに呪われた魔獣化している。
たらふくたっぷりと濃厚な恨み辛みに満ちた呪いを吸収しているので、恐らくそんじょそこらの魔物よりも手強いはずだ。
あまりに禍々しく、不吉。
そんな不吉を指して、淫魔の長が言った。
「ちなみに嫁さんは、あの壺の中身に『エリー』と名付けてペット扱いしてるんですよ」
「予想以上に大物だな、お前の嫁さん」
触手の名前はエリーらしい。
更に微妙な気分に陥りながら、彼らは画面の奥の勇者様を注視した。
「さて、果たして勇者の奴ぁ……あの窮地をどう切り抜けるのかね」
肩を竦め、まぁちゃんは手元の果実酒をくいっと粋に飲み干す。
甘く喉を焼く果実の味に、緩く口元を弧に吊上げた。
ピンクの壷の中身
答え:触手
淫魔の長 ハリドシエル
草食系淫魔の長(♂)。
各族長達の中ではかなりの若輩。実はまぁちゃんより年下。
最近の淫魔の主流は草食系と絶食系らしい。
ちなみに淫魔の里の主な産業は畜産酪農らしい。
魔境でフラン・アルディークが名を馳せ始めた頃、当時はまだ肉食系全開だった淫魔と吸血鬼一族の主力がフランを味見するべく襲い掛かり、全て返り討ちにあった時のこと。
なんで襲ってきたのかという問いに、捕獲された彼らは「自分達はそうやって生きているし、そうやってしか生きられない」と答えた。他の生物の精気を啜ってしか生きられないという彼らにちょっと同情したフランが提示した改善策が、
畜 産 酪 農。
今ではみんな、新鮮な一杯の牛乳で生きている。
騙されてる? 言い包められた? え、なんのこと(棒読み)。
すっかり牧場暮らしに目覚めて、平和に健康的な毎日を送っているそうな。
別に捕食する相手は人間型生物に限る必要がなかったらしい。
青天の霹靂、盲点だったとか。
そんなある意味ですっかり日和った淫魔の長ハリドシエル。
しかし他の長達に唆されたとはいえ、意中の女性をご実家から略奪しちゃった彼は最近の淫魔の中ではかなりの行動派といえるだろう。
ちなみに怒り心頭に達した女性の実家に菓子折持って頭を下げに行ったのは、リーヴィルと魔族のそそのかしちゃった各族長達だったりする。




