24.ひるがえれ、あかい布
ちくちくちくちくちくちくちくちくちくちくちく……
ぶさっ
「!!」
思わず、がばりと顔を上げて。
私は手元をぎゅっと握りしめて目の前に掲げていました。
「で、できたーっ!!」
目の前に翻る、赤い布。
あかい、赤い、紅い布。
緩やかなドレープに、レースが繊細な華をそえて。
金色の飾り紐が、私の目の前でたゆんと揺れました。
画伯や騎士Cとの協議から、三日目。
あの日の内に、型紙を起こして作り始めたんだけど……
やっと今、一着目が完成です。
ややこしいのから始めたから、随分時間が経っちゃいましたよ!
私は嬉しい気持ちで、一杯で。
布の塊を胸に抱きしめ、その足で走り出していました。
この完成したブツを、是非とも勇者様に拝見していただきたい!
そして感想を貰うなり、真っ白に燃え尽きるなりしていただきたい!
うっかり、今の状況も忘れて。
色々と忘れちゃいけないモノも忘れて。
衝動のままに体が動く。
わくわくと楽しい気持ちで一杯で、踏み止まろうなんて欠片も思わなかった、私。
時刻はまさに、夜明け前。
四日目が始まる間際の時間。
うっすらと白みだした紫色の空に冷たい空気も凍りつく、薄闇の中。
徹夜で作業していた私は……お風呂あがりもそのままの、寝間着姿でした。
いつもは部屋から出るとなったら、ナイトガウンぐらい羽織るんだけど……そんなことに頭が回らないくらい、頭の中身は目先のことでいっぱいだったんです。
正直に言います。
深夜の謎のテンションに突き動かされてました。
半徹も、もう三日目でしたから。
寝不足と、力作の完成に伴う興奮と。
妙な行動力が、私を暴挙に走らせました。
私は寒々しい廊下も気にせず、すたたたたーっと忍び足で走り抜け。
勇者様がお使いになっている寝室のドアを、一切の躊躇いなしに開け放っていたのです。
ええ、思いっきり全力で どぱぁぁああああんっ と。
そして明かりも動く者もない、室内に。
私はテンションMAX.のまま躍り込んだ訳で。
「ゆーぅしゃっさまー♪」
「……ふあっ?」
家の中、それも寝台の中とあって安心していたのでしょうか。
そりゃここは魔境の真ん中といえど、ハテノ村の村長宅ですからね。
魔王城の次に……いえ、むしろ魔王城よりも安全なこの場所で、気を張っていても無駄だとわかっておいでだったのでしょう。
私がドアを開け放った時は、まだ微かに安らかな寝息が聞こえていました。
……私が勢いのまま、勇者様がご使用中の寝台にダイブかましちゃ、流石に寝ていられなかったようで。
「な、なななななん……っ!?」
狼狽え、混乱し、自分の状況も把握できず。
寝起きを……いえ、寝込みを襲撃された形の、勇者様。
布団の中でわたわたあわあわと騒ぐ、勇者様。
布団の上から、そんな勇者様を全身で押し潰しつつ。
私は何の屈託もない笑顔で、ぐいぐいと勇者様の身体を引張りました。
「勇者様、起ーきーてー!」
「り、リアンカ!?」
白状します。
ついうっかり、ええ、うっかりですよ?
うっかり深夜のテンションで、まぁちゃん相手にするのと同じ感覚になっていました。
「……って君! なんて恰好してるんだ!? そそそんな恰好で、何を!」
「突撃隣のばんごはーん」
「晩御飯なら昨夜食べたよね!?」
「おはよう、勇者様! 目は覚めましたか?」
「不覚にもばっちりだよ、こん畜生!!」
状況は全く分からないがな、と。
勇者様は頭を抱えて……そして何故か、布団の中に潜り込んでしまおうとしました。
どうやら、私の目の前から少しでも隠れたい様子。
今にも「きゃー」と悲鳴を上げそうな、半泣きのお顔がちらりと見えました。
顔はトマトの様に赤く、瑞々しく。
特に赤くなった目元には、光るものが……
……うん、勇者様は泣きそうなお顔も大変お麗しいですね?
でも何故に泣くんですか……?
私は首を傾げ、理解に時間を要しました。
相手は勇者様だってわかってたはずなんですけどね?
わかってたはずなんですが……まぁちゃんに対するのと同じ扱いをしてしまって。
勇者様の上に馬乗りでパタパタ叩いている、私。
そんな私に慌てて、混乱を深める勇者様。
私はどうやら、自覚なく勇者様のメンタル面をまた、容赦なく削り粉砕していたようでした。
そう、私はうっかり失念していたんです。
「……――はっ!」
「…………」
「あ、えーと……わあ、勇者様ごめんなさい!」
勇者様が『夜這い』に腐るほどトラウマ抱えてること忘れてました。
実情、夜這いなんかじゃありませんけれど。
深夜の、それも寝台への襲撃にはトラウマというかつての悲哀に満ちた経験の数々から、人一倍過敏になっていてもおかしくありません。
実際、過去に一体どんな悲惨なトラウマ事件の数々があったのかは知りませんけれど。
それでも夜這いというだけで、一致するモノも多くある筈。
夜、寝室、薄着の女性。
その、襲撃。
……以上の状況だけで、勇者様の繊細なお心を刺激しまくっただろうことは想像に難くありません。
わあ……やっちゃいました、よね。
どうやら私は、徹夜の連続で自分でも思っている以上に頭が回らなくなっていたようです。
「ゆ、勇者様ごめんなさい……私、悪気はなかったんです」
ゆさゆさと、貝の様に無言を貫いて丸くなる勇者様を揺すります。
強引に毛布を剥ぎ取ったら、流石に可哀想なので毛布ごと揺すります。
……勇者様も、私が夜這いに来たとは欠片も疑っていないんだと思います。
今とっても、無防備ですし。
これで本気で夜這いだと思っていたら、今頃は丸まって隙を与えるなんて愚行は起こさず、何が何でも死に物狂いで逃亡に移るでしょう。
そして完全に追手がいないことの確信が持てた、安全地帯で蹲ることと思います。
でも、今の勇者様は私から逃げようとまではしない。
布団の中で丸まってますけど。
そのことにちょっとだけ、ほっとしながら。
私は勇者様に謝罪を重ねました。
驚かせて、トラウマを刺激してしまったのは私ですから。
誠心誠意をこめて、勇者様に許しを請いましょう。
「ちょっと……勇者様に着用していただく『ドレス』が完成して、見ていただきたいって気持ちを抑えきれなかっただけなんです」
「予想以上に碌でもない理由だな!?」
あ、復活した。
相変わらず、傷つくのも即効だけど回復はそれより早いですよね。
人間起き上がりこぼし……内心でそんな単語を思い浮かべながら、私は勇者様にそっと手をかけました。
思わずといった様子で、毛布を跳ね上げて上半身を起こした姿勢の勇者様。
まだ勇者様の寝台の上にいた私は、向かい合う形で勇者様の肩に手を触れさせます。
手に、赤いドレスを握ったまま。
「……」
「…………」
「……うん、寸法も問題なさそうですね!」
「この状況でそうくるか、君は……!」
勇者様が戦慄の面持ちで、私の両手に手を伸ばします。
きゅ、っと握って。
そっと勇者様は私の手をご自分の肩から離されました。
両手を握ったまま、そっと引き離そうとされています。
自然、私達の姿は向かい合ったまま互いの手を握り合っているような姿に……あれ? なんかこんな構図、この間めぇちゃんが読んでた小説の挿絵にありましたよ?
そうそう、確か身分違いの男女がどうのこうのっていう結構ありふれた感じの恋愛小説で、周囲からの妨害と襲いかかる刺客(複数犯)と、あとヒーローに濡れ衣を着せて逃亡した盗賊一味……etc.のお陰で亡命しなくちゃいけなくなったヒーローが、ヒロインの家にそっと忍びこんだシーン……だったかな?
情熱的にヒロインを駆け落ちへと誘い出すヒーローの真剣さが滑稽で爆笑って、めぇちゃんが見せてくれた挿絵に本当そっくり!
……なんか、もしかして私達、傍目に誤解されそうな光景になってませんか?
そのことに思い至って、実際どうだろうと私は首を傾げました。
でも、その構図を作ってるのが私と勇者様だしなぁ……と。
事実、そんな小説みたいなロマンティックさは欠片もありません。
どちらかと言えば、過去の爪痕に怯える被害者と、無自覚に傷を抉った村娘ですよ? 構図がいくら小説の挿絵に似ていても、空気感はまるで違……
「………………お前ら、なにしてんの?」
――あ、勇者様が固まった。
聞き覚えがあり過ぎるくらいに耳に馴染んだ、声。
振り返ると、そこにはやっぱり見慣れた姿。
「まぁちゃん!」
「おー……まぁちゃんですよ、と。で、なにやってんの。お前ら」
呆れ眼で、私達を見下ろすまぁちゃん。
そこにいたのは、我が家にいつも通りお泊りした魔王様。
寝てたのかな、どことなしか寝起きの雰囲気で。
私や勇者様同様、寝間着のとっても薄い服装。
軽装にも程のあるお姿で、壁を背に腕組み姿勢で立っておられます。
――あ。
そういえば勇者様の部屋に突撃した時、ドア閉めるのが面倒で開けっ放しにしてたんでした。
騒動を聞き付けたのか、偶然廊下を通りかかったのか。
どっちかは不明ですが……艶然とした笑みを浮かべて、私達を見下ろすお姿。
それ即ち、魔王スマイル。
うん、綺麗な笑顔なんだけど……なんか怖い。
その恐怖は私よりも勇者様の方がびっしばしと感じているらしく。
まぁちゃんの顔を見て、勇者様は本格的に固まってしまわれました。
まぁちゃんは勇者様や私をちらっと見つつ。
私の膝に広がる、赤い布地を眺め下ろして片眉をぴくっと動かしました。
ついで、溜息。
「…………せめて日が昇ってからにしろよ。眠ぃ」
そう言って、まぁちゃんは。
ひょいっと、私の襟首を摘みあげました。
…………なんだか親猫に運ばれる子猫みたいなんですけど。
私の見上げる視線にも頓着せず、まぁちゃんは面倒そうな様子です。
更に勇者様にも手を伸ばし、固まっていた勇者様は逃れられず。
私と同じように、ひょいっと! 勇者様は、まぁちゃんの肩に担ぎあげられてしまいました。
そのまま、まぁちゃんはすたすたと歩き出して……
部屋を出て、最初にまぁちゃんが足を向けたのは、私の部屋でした。
無造作にドアを開けると、私をぽいっと放り込みます。
「わわっ」
踏鞴を踏んで、振り返る私。
まぁちゃんはちょっと冷たいくらいに感情の失せた眼差しで私を見下ろし、一言告げてきました。
「寝ろ」
「まぁちゃん?」
「まだ朝まで大分時間があんじゃねーか……いつもの時間になるまで、お前はいっぺん寝てろ」
「えー……っ でも、衣装が。早速、勇者様に寸法を……」
「 寝 て ろ 。大体、徹夜し過ぎだ。目の下に隈が出来ても知らねぇぞ」
「隈くらい……」
「 お や す み 」
「…………」
……問答無用で、ドアを閉められちゃいました。
仕方がありません。
強く言われた訳ですし……夜が明けるまで、寝台に潜って目くらいは瞑っておきましょう。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「――さて」
ゆっくりと深みのある声。
リアンカを部屋に押し込め、まぁ殿は動きを止めた。
俺を見下ろす眼差しが、どことなしか冷たい。
ごくりと生唾を呑み下し……俺はまぁ殿を見上げるのみ。
そんな俺に、まぁ殿はいっそ優しく見えるほどの笑みで以て微笑みかけてくる。
だが、騙されてはいけない。
彼の目が……笑っては、いなかった。
「勇者……お前、ドレスで戦わなくちゃならないんだろう?」
そう言うまぁ殿の手元には……先程リアンカが完成したと持ち込んできた、深紅のドレス。
何故だろう。
嫌な予感が止まらない。
果たして、爽やかな笑みを浮かべてまぁ殿は言った。
「俺がドレスでの戦い方、みっちり伝授してやるよ」
「!? ま、まぁ殿っドレスでの戦い方を習得しているのか!?」
「ばっか、俺を誰だと思ってんだよ。魔王様だぜ? 戦いの申し子様に不可能はねぇ。俺にかかればドレスの一枚二枚……立派に戦えるよう、お前を仕込んでやるよ」
そう言うまぁ殿の瞳は、やっぱり欠片も笑んでいなかった。
鬼に微笑みかけられた心地で、体が勝手に震えだす。
「……武闘大会の予選が始まるまで、きっちり仕込んでやる。それまでまともに寝たりなんぞ出来ると思うなよ?」
いっそ軽い口調で言い放ったまぁ殿の言葉には……覆しようのない、本気の色がありありと混入されていた………………。
……俺は、武闘大会が始まる前に、死ぬかもしれない。
主に、羞恥で。
それから勇者様は、武闘大会が始まるまで帰って来ませんでした。
勇者様は(ドレスを着こなすための)修行に旅立たれました……
りっちゃん
「陛下! 陛下ー!? 今度はどこ行ったんですか、あの魔王陛下!」
リアンカ
「あれ、りっちゃん? 血相変えてどうしたの」
りっちゃん
「リアンカ様! どちらかで陛下をお見かけしませんでしたか? 未だ決済待ちの書類がうずたかく山のように――……」
リアンカ
「……あー…りっちゃん、まぁちゃんなら勇者様に修行をつけるって行って……その、森に消えたけど。武闘大会の予選が始まる頃になったら、帰るって」
りっちゃん
「!!?」
武闘大会の予選まで、あと十四日。




