水車小屋奪還作戦 その6
アンジャは翌日から領主が療養している別荘へ赴き、面談を求めたが、領主はなかなか受け入れてくれない。
実は、アンジャはグリュッグを出る前、手紙を認めて早馬を走らせ、領主に面談をお願いしたい旨及びその理由を簡単に伝え、自身が湖の村へ着く予定日まで添えて、お伺いを立てる等、事前に手を打っていた。
にもかかわらず、まだ領主は面談をしてくれる様子はない。
1泊が2泊に、2泊が3泊になっても領主は頭を縦に振らなかった。
アンジャも自分の店があるので、長期間店から離れるのはあまり歓迎できる事ではない。
この村には3泊しても、結局は行きと帰りの移動の時間も店には出れないので、かなりの日数、店を不在することになるのだ。
新しい村に来たのに観光すらせず思いつめた表情をしたみぃ君とももちゃんを見て、ため息が出てきたが、アンジャとしてもそろそろ線引きをしなければならない。
湖のほとりに座って無言で湖の水面を見るともはなし座ってるみぃ君とももちゃんの側へ歩いて行き、みぃ君の隣に座った。
「みぃさん。今日も領主は会って下さいませんでした。」
みぃ君は無言で頷く。
「私もあまり長い間お店を放置しておくわけにはいきませんので、明日の朝、もう一度だけ領主様をお訪ねし、それでも会って頂けない様でしたらグリュッグの町へ戻ります。」
みぃ君とももちゃんの肩がピクリと動いた。
二人ともアンジャがこう言い出すのではないかと心配していたのだ。
アンジャにとっては石鹸よりも、店そのものの方が大事なのは当たり前のこと。
それよりもここまで自分たちに付き合ってくれただけでも、本当に感謝なのだ。
みぃ君は徐にアンジャの方を向き直り、「助けてくれて本当にありがとう。とても助かった。これ以上は僕たちとしてもお願いするのは苦しい。本当にありがとう。明日が最後。分かった。」と言った。
3人は頷き、無言のまましばらく湖面を眺めた。
翌朝、みぃ君とももちゃんは葬式の参列者の如く、暗い顔をしていた。
宿を引き払い、みんなで馬車に乗った。
本来なら、陽が登る前に出発する方が移動の為には良かったのだが、最後の望みを掛けて領主の別荘へ寄るため、朝食後の時間に宿を引き払った。
馬車は領主の別荘に向かってゆっくりと進んだ。
領主の別荘の前に来ると、正門より少し離れたところに馬車をとめ、アンジャだけが降りて別荘へ向かった。
領主の別荘は2階建てのコの字の建物だった。
コの横棒部分が極端に短く、縦棒の部分が長く湖に面していた。
玄関は縦棒の真ん中あたりに位置していた。
アンジャがドアノッカーでノックをすると、ここ数日毎日対応してくれていた執事が出て来た。
執事は正門から少し離れたところにとまっている馬車にちらっと目を向け、アンジャの要件を聞き、中に引っ込んだ。
しばらくすると再び執事が玄関に現れ、アンジャと何か話をしているのを、馬車から一行が見つめていた。
執事と話し終わったアンジャが馬車に向かって歩いてくるのを見て、みぃ君もももちゃんもとてもがっかりした。
ここ数日の流れで今日の結果も分かってはいたのに、アンジャが下を見つつとぼとぼと歩きながら馬車に戻ってくるのを見て改めてがっかりし、大きなため息を吐いた。
アンジャが馬車に乗って、御者に何か指示を出した。
馬車が動き始め、みぃ君たち2人の肩ががっくり落ちた。
馬車はUターンをし、領主の別荘の正門をくぐり、玄関の前にとまった。
玄関には先ほどの執事が立っており、アンジャが執事に頷いた。
「ほら、早く下りないと領主様はお忙しい方なので、面談のお約束を無いことにされるかもしれませんよ。」とアンジャがみぃ君たち2人に悪い笑みを浮かべた顔でシレっと言った。
「「ええ!?」」と驚いたみぃ君たちだったが、領主の気が変わらない内にというアンジャのアドバイスに従って、転げ落ちる様に馬車から降りた。
執事の先導で、アンジャ、みぃ君、ももちゃんの順に別荘の中を移動する。
護衛や御者はそのまま馬車に残り、馬車は厩近くまで移動させた。
領主の別荘の内装は白い壁で、天井がとても高い。
端々に金色の装飾が施され、とても豪華だ。
ただ、壁の装飾は全て絵画の様に書かれたもので、彫刻に見えてもそう見えるだけで、実は平な壁に陰影をつけて立体的に見える様に描かれているのだ。
「ドイツ形式だね。」とももちゃんが小声で言う。
「ドイツ形式?」とみぃ君も小声で言った。
「後で説明するね~。」と一旦はその話を打ち切って、みぃ君たちは大きな広間に連れてこられた。
執事がノックしてから扉を開けると、眩しい光が目に入った。
アンジャもみぃ君たちもとっさに目を瞑り、ゆっくりと目を開けて目に入って来る光の量を調節しなければならなかった。
この部屋はかなり広く、小さ目の夜会なら開くのに丁度良い大きさだ。
湖側の壁は一面窓で覆われている。
みぃ君たちは、この世界でまだガラス窓は見たことがなかった。この領主の別荘の窓も木で作られていた。
両開きの扉で、一旦開くと、縦に細長い装飾された板が蝶番で3枚に折りたためるようになっている。
窓には、白の豪奢なレースのカーテンがかけてあった。
今日は天気がいいので、全ての窓が開け放されていた。
領主らしい老人がグリーンのソファに座り、足を同色のオットマンに乗せている。
アンジャはまっすぐにその老人の前まで進み出て、頭を下げる。
「領主様、本日はお忙しいなか、面談のお時間を割いて頂き誠にありがとうございます。」とアンジャが挨拶をすると、「養生をしているだけなので、別に忙しくはない。」と領主が答えた。
「ここのところ日参しておったが、それ程に大事な用事なのか。」とアンジャが送った手紙で大筋を知っているにもかかわらず、シレっとそんな事を揶揄う様に言うあたり、この領収様も一筋縄ではいかない相手だ。
「療養をしておるというに、毎日来られるから五月蝿くてかなわんかったぞ。」
「はは。大変申し訳ございません。」
今のところ、領主とアンジャだけで会話が進んでいるが、この世界での正式なプロトコールを知らないももちゃんたちは、アンジャが頭を下げる時に黙って合わせる様に頭を下げるだけに留めておいた。
「こちらに居りますのが、お手紙でお知らせしたたみぃさんとももさんです。からくりや石鹸を作り出した者たちです。今日はこの者たちからのお願いがあって罷り越しました。」
「みぃです。」
「ももと申します。」2人が領主に自己紹介をする。続いてももちゃんが、「からくりを作りましたのは、私たち2人だけでなく、後2人おります。私たちは4人で様々な事業を起こしております。」とここにいない2人について簡単に説明させてもらった。
「そうか・・・。で?」
領主の態度はあくまで尊大。でも、嫌みではなかった。
言葉の問題もあるので、水車小屋についての説明はアンジャがしてくれることになっていた。
「領主様のご子息が、彼らが作ったからくりを接収されまして、この者たちは大変困っております。自身で購入し登録した土地で行っていた事業でございます。まだ営業権はお支払いしておりませんが、法律で決められた1年は過ぎておりません。ご子息様は、彼らが開業した日を勘違いされた様で、営業権を支払っていない事を理由に接収されました。領主様におかれましては、ご子息様の誤解を解いて頂き、からくりをこの者たちの手にお返し頂ける様、何卒ご尽力を賜りたく・・・。」
アンジャは、領主のバカ息子を悪しざまに糾弾する様なことはしない方が良いと思った。
父親に向かって、その息子がどんなに横暴かなど訴えても、こちらが貴族でもない限り、ちゃんと対応はしてもらえないだろうという思いからアンジャはそう思ったのだ。
唯一領主がこちらの言い分を聞くとするなら、領主にとっても利益のある話でない限りありえない話だ。
貴族とはそういう生き物だ。
それが短くないアンジャの商人人生で理解した貴族像だ。
みぃ君たちには移動中やこの療養地へ着いてからも、それについて何度も話し合い、どう領主にアプローチするかは既に決めている。
「息子が勘違いをしたと、そう言いたいのか。」
「おそらくですが、からくりの事をご子息様へお伝えした者が、間違って伝えられたということも考えられます。」
あくまでも罪は他の人が被るべきで、貴族が被るものではない。それがこの世界だ。
「からくりについて、その所有者である者たちから領主様へご提案がございます。もしよろしければ、この者たちよりお話しさせて頂けたらと存じます。」アンジャが領主に再度頭を下げた。
「面白い話なんだろうなぁ。楽しめない話なら聞く気はないぞ。」
アンジャは直接返事をせず、意味ありげに顔を綻ばせ頷いた。




