影さんは最近仕事が楽しい3
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「マリーたちは数日のうちに王宮の外へ逃がす。影はそれまで警護を続けろ」
殿下から報告と命令を受け、いよいよだなと背筋がピリピリする感覚がした。
姫とその従者たちを断罪する準備が整いつつある。確実に仕留められるよう、殿下は確実な証拠をつかみ綿密に計画を立てていた。
姫の断罪に関しては、来るべき時が来たとしか思わないが、マリーさんのことは、殿下がどこかへ匿えば済む話ではないだろうか。金をやって遠くへ逃がしてしまえば、二度と会えなくなる。
「殿下はそれでよろしいので?」
是と応えるだけでいいのに余計な質問をした俺に、殿下の隣にいるノアさんが顔をしかめる。
「俺の事情に巻き込むわけにいかないからな」
切なそうな顔で答える殿下はまさに『恋してます』といった顔をしているので、思わず苦笑がもれそうになる。本当に、我があるじは不器用なお人だ。
俺が仰せつかった役目はマリーさんたちが王宮を出るまでだ。逃亡先は遠方になるだろうし、本来殿下の影である俺が長期間離れるわけにいかないから、こっそりついていくこともできない。
今日でマリーさんを鑑賞する仕事も終了かと、屋根の上で感傷に浸っていると、小屋に宰相が訪れてきた。
宰相訪問は、役目の任を解く知らせと、報償金を手渡すためだ。このポンコツ宰相がマリーさんたちに感謝される形になるのはなんだか納得がいかないが、殿下が出張るわけにもいなかいので仕方がない。
あとは、宰相が夜に彼女たちを王宮の外まで送り出すだけだ。
ただの伝書鳩なんだから、最後くらいちゃんと仕事してくれよと願いを込め、俺は最後だからと涙ぐみながら掃除をするマリーさんを目に焼き付けた。
異変を感じたのは、夜が更けた頃だった。
王宮側の道から、騎士姿の男が三名こちらに向かってきた。
「……おかしい。予定時刻より早い。それに、なぜ宰相が来ない?」
異変は見張りに立っていた衛兵たちもそれを感じたようで、騎士たちを押しとどめようと揉みあいになる。
「コイツら、姫の護衛騎士か」
わざわざ鎧を違うものに替え顔を隠しているが、声に覚えがある。衛兵たちが抵抗すると、すぐに本性を現し、力ずくでマリーさんを連れていこうとしている。
……どうするか……殿下にはまだ動くなと言われている。
ここで俺が手を出しては殿下の計画を潰してしまう可能性もある。逡巡しているうちに騎士たちに制圧されてしまい、衛兵のひとりは怪我を負わされて縛り上げられている。
騎士の一人がマリーさんを連れてその場を離れた。
残された騎士は衛兵とエマさんを縛りながら『どうするんだ』などと戸惑いながら囁き合っている。
口封じ、という単語が聞こえたので、やむなしと判断し、残された騎士たちに眠り薬を打ち込んだ。
いきなり倒れた騎士にその場に残された衛兵とエマさんは驚いていたが、こちらに構っている時間はない。応援はあとで寄こすとして、俺は殿下に報告すべく執務室へ飛ぶ。
あの姫は、保身よりもマリーさんを害することを選び、破滅の道を進み始めた。
殿下にマリーさんが攫われたことを告げると、さすがに想定外だったようで驚いていたが、すぐに直接対決へ向かうと宣言した。
あの傲慢無礼な姫さんに、最後通牒を叩きつける瞬間が訪れたのだ。すぐにマリーさんの元へ向かうよう告げる殿下は、もうひとつ俺に命令を下す。
「影。戦闘を許可する」
「御意」
その言葉を受け取ると同時に、療養所に向かって全力で飛んだ。
建物に着地する直前に、後方からナイフが飛んできたのですばやく受け流すと同時に、こちらも苦無を投げ返した。
手ごたえがあったと感じたところで、影から隠密の男が飛び出してきた。
「死ね! 姫様の寝所には行かせん!」
「威勢がいいけど、その苦無早く抜いたほうがいいよ。毒塗ってあるから」
切りかかってくる相手を避けつつ忠告してやるが、毒の単語にも怯んだ様子はない。
「毒耐性くらいある。残念だったな」
苦無を投げて返してくれたので、お礼に俺も新しい情報を与えてやることにした。
「うん、別にいいよ。もう許可は出たから」
「……なにがだ?」
小刀を鞘から抜きながら質問に答えてやる。
「ネズミは殺していいって許可♡」
姫が報告せず自国から隠密を連れてきていたことは殿下も知っていたが、全てが明らかになるまでは死体が増えても厄介だから手を出すなと厳命されていた。
殿下から『戦闘許可』が出た以上、この名前のない隠密に手加減する必要もない。マリーさんの元へ早く向かわなくてはならないので、一瞬で終わらせた。
物言わぬ躯となった男が地面に伏している。後処理をしている暇はないのでひとまず森に投げておいた。
姫の寝所では、頬を腫らしこめかみから血を流すマリーさんが騎士に抑えつけられていた。ざわ、と怒りがこみ上げるが、こちらの制圧は殿下の役目だ。早く来てくれと願いながら固唾を飲んで見守るしかできない。
暴力に怯えることなく毅然と言い返すマリーさんは、震えがくるほど美しく、一瞬その場にいた誰もが気圧されたのが伝わってきた。
だがマリーさんの反抗は彼らの怒りに油を注ぐだけの行為だった。
激高した姫におもねるように、侍女がマリーさんの顔を潰しましょうと提案し、火掻き棒を手に取った。
「火掻き棒でマリーさんの顔を焼くつもりかよ。えげつないこと思いつくね」
殿下は間に合わないと判断し、マリーさんを拘束する男の手に苦無を投げ刺した。同時に火掻き棒を持つ侍女の腹に蹴りを食らわせ、壁側まで吹っ飛ばしてやった。
こいつらはまだ殺せないので、仕方なく無力化するだけにとどめたが、騎士の手の腱を切ってやったからもう剣は握れないだろう。
「おっと危ない」
床に倒れ込みそうになるマリーさんを受け止め、そのまま抱き上げる。突然現れた俺に彼女は一瞬身を強張らせたが、味方だと気付いたらしく、ふっと力を抜いて身を預けてくれた。
緊張の糸が切れたマリーさんは、安心したように俺の胸に顔を摺り寄せてくる。状況的に不謹慎だが、すがりついてくるマリーさんは最高に可愛い。
「うん、役得♡」
殿下には悪いけれど、一番美味しい場面を頂いてしまったので、罪悪感が湧かないでもない。
まあ、正直俺が出てこなくてもよかったのだけど、いつも裏方なのだから今回くらいピンチを救うヒーロー役をやらせてもらってもバチは当たるまい。
マリーさんは綺麗な青い瞳で俺をまっすぐ見上げて、小さな声で『ありがとう』と呟いてから、力尽きたように気を失った。
「お礼を言ってから気絶するとか。律儀な子だなあ」
その後すぐ、殿下が部屋に飛び込んできたが、気絶したマリーさんを抱き上げる俺を見て、絶望したみたいな顔になったので、やっぱりちょっと申しわけない気持ちになった。
***
その後、姫への糾弾は、内容を知らされていた俺でも驚くような展開が怒涛のように続いたが、最終的には殿下が描いた筋書き通りの結果に終わった。
改めて我が主の手腕に敬服するばかりだ。
ここ最近、弟殿下に追い落とされそうだと侮られていたクリストファー殿下だったが、この一件で一気に株を上げた。
その後、殿下は姫と離縁して独身に戻ったのだから、遠慮なくマリーさんを囲うのかと思ったら、当初の予定通り金を渡して放逐すると言うではないか。
二度と会わないのなら、せめて最後に殿下が報償金を手渡して、直接感謝されればいいと思うのだが、自分がクリストファーだったとは名乗らずに別れるつもりらしい。
殿下が最後に願ったのは、『最後に一目、彼女の顔をみたい』ということだけだった。
ノアさんが侍女のエマさんに頼んで、マリーさんが眠っている時に殿下は彼女の元へ赴いた。
「……もう会うことはないだろうが、俺はずっと君の幸せを祈っている」
殿下はそんな言葉を、眠るマリーさんに告げてその場を後にした。
彼女と言葉を交わすこともせず、感謝されることもなく、ただ最後に一目顔を見るだけで、果たして我があるじの想いは報われるのだろうか?
「好きな女すら諦めて、殿下はこの先何を楽しみに生きていくんですかねえ?」
「お前、隠密のくせに本当余計なことばっかり言うよな……」
ノアさんに純粋な疑問をぶつけてみたが、口出しし過ぎだと怒られてしまった。
というわけで、これを最後に俺もマリーさんたちとはお別れかあと残念に思っていたのだが………………。
「なあ、ノア。次はいつマリーの元へ行けるんだ?」
「この間行ったばかりでしょう。殿下を秘密裏に外出させるのがどれだけ大変か、その調整をする俺の身にもなってください」
「ほんの数時間くらいなんとでもなるだろ。ばれないようにこっそり行ってくる」
「だからダメだって言ってるでしょうが! 仕事してください殿下!」
執務室でくだらない言い争いをする殿下とノアさん。
あの切ない別れの言葉はなんだったんだ。
あれから色々あって、実家問題が片付いたおかげでマリーさんは遠くに逃亡する必要もなくなり、王都近くに居を構えている。ていうかパン屋を開いて毎日楽しく働いている。
なんだかんだで素性がバレた殿下は、『もう会わない』と言ったこともすっかり忘れて、ご機嫌でパン屋に訪れているというのが、今の状況。
あんまりしょっちゅう殿下が外出したがるので、ノアさんがキレている。でもノアさんはノアさんで、こっそりエマさんと手紙のやり取りとかしているので、お前が言うなである。
俺はというと、殿下直々にパン屋の安全を守るよう頼まれたので、暇を見つけては堂々とマリーさんちに入り浸っている。
「影さーん。今日夕飯食べていきますかー?」
「えーごちそうになっていいの? マリーさんいつもありがとねー」
以前はみんなが楽しそうに食事をしているのを一人寂しく遠くから眺めているだけだったが、今は食卓に招かれる立場になった。割としょっちゅう正面玄関から訪れて、こうしてご相伴にあずかっている。誰よりも飯を頂いていることは殿下には内緒だ。
「今日はお肉入りのペイストリー焼いたんですよ。影さんこれ好きですよね?」
「え? 俺の好物覚えてるの? 愛されてるなー俺」
「また食べたいって言ったの影さんでしょ。馬鹿なこと言ってないでホラ、冷める前に食べちゃって」
エマさんのするどいツッコミに首をすくめてみせると、マリーさんがおかしそうにクスクス笑ってくれる。こんなお決まりのやりとりも慣れたもので、エマさんも憎まれ口をききながらも俺の文の皿を用意してくれるので、割と歓迎されていると思う。
半月型のペイストリーは、ジャガイモや牛肉がぎっしり詰まっていて、サクサクした生地をかじると肉汁が溢れてきて、こんなものがこの世に存在したのかと思うほど美味い。
前回頂いた時に俺があまりにも美味い美味いというから、マリーさんは残った分まで包んで持たせてくれたくらいだ。
好物などと言ったが、こんな美味い物、過去に食ったことなどない。隠密の仕事なんかしていると、食事のほとんどは行動食しか口にしない。だから食事が美味いと思ったことなどなかった。もちろん誰かと食事を楽しむなんて経験もしたことがない。薬や毒を盛られると厄介だから、隠密は基本人前で食事をしない。任務中なら特に自分で用意したもの以外は口にしないのが原則だ。
何気ないふうを装っているけれど、食事に招かれるたび、人生ひっくり返るくらい感動しているんだけどね。まあ顔には出さないけど。
「……うっま♡ これ、本当に美味いよね。マリーさんが作るから美味いのかなー」
「良かった! 前回、これ好きって言ってたから、影さんがご飯食べていく時にまた作ろうと思っていたんですよー。いっぱいあるからたくさん食べてくださいね」
俺の気も知らず、まるで新婚の嫁さんみたいな台詞をさらっと言っちゃうマリーさん。
隠密の一族に生まれた以上、家族という概念を俺は持ち合わせていない。婚姻は血をつないでいくための行為で、相手は基本家長によって決められるのが掟である。俺が一族の隠密であるかぎり、こんな普通で温かな食卓など夢のまた夢なのだ。
今、こうして親しい間柄のように振る舞っているけれど、俺は彼女たちの護衛と監視のために遣わされているだけで、行くなと指示があれば俺は来ることはなくなる。
それを分かっているのかいないのか、マリーさんは好物を覚えていてくれるくせに、俺の素性については何も訪ねてこない。
訪れるといつも、笑顔で迎えてくれて、ダメになりそうなほど甘やかしてくれるのに、決して踏み込んでこない彼女を見ていると、逆に自分から踏み込んでやりたい衝動に駆られる。
女嫌いの殿下がどっぷりとハマる気持ちが理解できてしまった自分は、多分隠密失格だなと苦笑が漏れる。
「……ほんっと、人誑しの悪女だよねえマリーさんは」
「えっ!? なんでですか? 今そんな話でしたっけ?」
「うん、してた。我があるじもこれじゃ大変だなあって」
「ええー? なんでそんな話に? ねえ、エマ。さっきそんな話題じゃなかったわよね?」
マリーさんに話を振られたエマさんは、俺のほうをチラとみてからいたずらっぽく笑う。
「あーそうね。マリーの悪女っぷりに皆が振り回されているって話していたわ」
「俺、隠密なのに誑かされちゃったんで失職しちゃうかもー」
「待って待って、私だけ聞こえていない音で会話していた!? なんのことか全然わからないわ!」
本気で焦り始めたマリーさんに、エマさんが冗談よと言うと、二人はまたじゃれ合いながら笑い転げる。初めて二人を見た時から、変わらない光景。
いつまでこのオイシイ仕事が続くのか分からないが、なるべく長く続くといいなと願うのであった。
なんやかんや言いつつ影さんが一番美味しいところを持っていっているよねというお話でしたー。
最後まで読んで下さってありがとうございました!




