影さんは最近仕事が楽しい1
書籍化記念ということで、番外編を投稿します!
影さんの独り言みたいなお話です。
書籍の内容に一部関係するところがありますが、特に読まなくても分かるお話になっているので大丈夫です。書籍を読んでくださった方がいらしたら、あちらと併せて裏事情的な部分をお楽しみいただければ幸いです。
「正体不明のご令嬢……ですか?」
「そうだ。庭師が以前住んでいた小屋に軟禁されている。その者の素性を探ってほしい」
「はあ」
隠密として殿下に張り付いていた自分は、森で出会った女性とずいぶん親し気に接していたのを遠くから見ていた。
表情を取り繕っているものの、そのご令嬢の話をしている殿下の顔は今まで見たことないくらい緩んでいる。
……そのご令嬢とやらに惚れたのかな?
内心ニヤニヤしながら殿下からの依頼を引き受けた。
護衛として張り付いていただけなので、会話の内容は聞かないようにしていたが、それでも殿下が今まで見たこともないような顔で笑っていることは俺にも分かった。
殿下、女嫌いをこじらせていたのになあ。
幼い頃から見てきた我があるじの遅すぎる春に、殿下専属の影としては心躍る出来事であった。
ノア政務官のように一緒に育ったわけではないが、ずっと殿下の影にいたからこの方の考えていることは大体分かっているつもりだ。
代々王家の隠密を務める一族に生まれた俺は、子どもの頃からクリストファー殿下の専属となることが決まっていた。
王太子という肩書にふさわしい素晴らしい人物だというのに、嘘がつけない真っ直ぐな気性のせいか人付き合いが絶望的に下手だ。
幼い頃から、殿下の周囲には自分の娘と娶せようと目論む貴族たちがハイエナのようにむらがっていた。そのせいで人間不信になったせいもあるだろうが、第二王子が女性を食い散らかしているのとは対照的に、殿下は浮いた話のひとつもない。ひょっとして不能なのではと揶揄されるほど、女の影がなかった殿下が、はじめて女性に興味を示したことで俺は少なからず驚いていた。
調べてこいと言われたその女性は、代理母計画のために宰相が連れてきたどこぞの貴族令嬢だということまでは分かっていたが、なぜか計画が変更になったようで、女性は侍女と共にあの汚い小屋に押し込められ軟禁されている。
女性の詳しい身元は宰相を探ればすぐに判明するだろうが、殿下が望む情報は彼女が軟禁されるに至った経緯とその事情だろう。
あの面倒事の塊みたいな姫陣営が絡んでいる件だから、表立って調査することができない。だからわざわざ影の護衛役である隠密の俺にお鉢が回ってきたのだ。
「まあ仕事だからやりますけどねー」
姫とその従者たちは地雷揃いなので避けたいところだったが仕方がない。俺は愛する主君の願いをかなえるべく、休日を返上して調査にあたるのだった。
***
女性の身元は宰相の執務室を漁ったらすぐに判明した。
「マリー・アディントン。子爵令嬢」
その令嬢は、子爵の長女という肩書があるにも関わらず、彼女の存在は不自然なほど貴族のあいだで知られていなかった。正当な爵位継承者となる息子は時折連れ歩いて顔を広めているようだったが、娘のマリー嬢は社交界デビューもしておらず、いない者として扱われていた。
そしてこの代理母の役目を承諾したのは、もちろん彼女の父親だった。
「……調べれば調べるほど胸糞悪いエピソードしか出てこないんだけどー」
少し聞き込みをしただけで父親からマリー嬢が虐げられてきたという証言がボロボロ出てきた。父親はこの役目以外にも、黒い噂が付きまとう伯爵に縁談を持ちかけており、もうなんというか、娘を使い捨ての道具くらいにしか思っていないみたいだ。
……でも、あれだけ美人ならいくらでも利用価値はあるだろうに。
利用するにしてももっと良い使い道があると思うのに、捨て駒のように扱う父親に違和感を覚えるが、これ以上は身元調査の範囲外だ。
ひとまず調査報告書をまとめて殿下の元へ向かう途中、その令嬢の現状はいったいどうなっているのか確認してみることにした。
隠密の一族というのは伊達じゃない。はるか昔から俺の一族は王の影として仕えてきた歴史のなかで、様々な秘術を会得してきた。完全に自分の存在を消す業もそのひとつだ。
だから俺は小屋の上に寝っ転がって、堂々と件の令嬢とその侍女がキャッキャウフフと戯れる姿を眺めている。
「エマ、エマ。私今まで知らなかったけど、くるみ割りの天才かもしれないわ。見て、この美しい断面図。くるみが少しも崩れていないのよ? すごくない?」
「くるみを割るのに天才もクソもないでしょ。そんなことより手潰さないように気を付けてよ」
「エマは何も分かってない! エマがやると粉々になっちゃうじゃない。ホラ見て、綺麗に取れたでしょ? はい、あーん」
「……むぐ。ん、じゃあマリーもハイあーん。私が砕いた粉々のヤツ」
「ムグ、んっ……エマさんの殻が混じってるのよ……ガリガリする……」
「アー、ごめんね。私くるみ割りの才能無いから」
「ねえ待って!? そんなやり返し方ある!?」
ひどい~と言いながらそのご令嬢は侍女にしがみついて、粉々のくるみを食べさせようとしてまたわちゃわちゃと揉み合っている。
……え、なに、このやりとり。この二人主従関係じゃなかったっけ? そんなことより、彼女らここに軟禁されているって自覚あるのかな? すげえ楽しそうなんだけど。
彼女たちは俺の姿に気付くこともなく、まだきゃあきゃあ言いながらくるみを食べさせ合っている。……主従どころか友人でも近すぎる距離感なんだよなあ。なんなんだこの平和な世界。
「……かーわいい♡」
子猫二匹がニャンニャンじゃれているみたいな光景に、思わず本音が漏れる。
これ、監視として堂々と眺めに来られるんだよね? いい仕事もらったなあ。殿下に感謝だなあ。普段人の汚い裏の顔ばかり見ているから、こういう可愛いものを見ているとものすごく癒される。
明日からの仕事が楽しみになったところで、ひとまず調査内容を報告しに殿下の元へと戻った。
***
そもそも代理母などというぶっとんだ案は、隣国から嫁いできたヴィクトリア姫のほうから持ち込んできた話だ。元より病弱だという触れ込みだったが、嫁いできてすぐ、気候が肌に合わないせいで体調を崩したと言って、自分専用の屋敷に閉じこもってしまった。
以来、公務も全て拒否。外部との接触も完全シャットアウト。そのくせ、姫の侍従たちは王宮内で勝手に権力をふるい、こちらへ文句ばかりつけてくる。
侍従たちの結束力が強く、こちらの人間を排除して祖国の者だけで何やらコソコソ動き回っている。
「きな臭いんだよね」
姫の療養所となっている屋敷には、護衛騎士のほかに、実は密かに隣国から連れてきた隠密も潜んでいる。
隠密の存在は最初から申告されていないため、もうこれだけで不法侵入を手引きした罪状がつけられるのだが、恐らく隠密の存在を指摘すればあちら側は迷いなく隠密を切り捨て自害させ知らぬ存ぜぬを通すだろう。
現時点では厄介事を増やすだけになるので、ひとまず泳がせておけと殿下が言うので今のところ放置している。
侍従たちの姫に対する忠誠心は異常だ。一種の信仰のようで気持ちが悪い。こういう奴等は主のためならば、と称して平気で道義や倫理を踏み越えてくる。何かを企てているのなら、危険だ。
俺は姫側の動向も探れと言われているが、下手に近づくとあちらの隠密と戦闘になるのは避けられない。戦闘許可は下りていないので、悟られないよう近づきすぎないように探るしかできないのがもどかしい。
あちらは徹底的にこちらの人間を排除して、屋敷周辺にも近づけない有様だから、情報がなかなか集まらなくて、未だに意図がつかめずにいた。
自分で呼び寄せたはずのマリー嬢を軟禁しているのも、何がしたいのか分からず殿下も焦れている。宰相が手配した彼女たちの食事も、姫の侍女が勝手にキャンセルしてしまっていた。
せっかく苦労して確保した代理母を死なせるつもりなのか。
だが軟禁されて大分経つのに、先日行った時には彼女たちが食事に困っている様子は見られなかった。
一体どうしているのかと思い、監視のついでに食料事情を探ってみた。
「エマ~! 見て~! ラズベリーがいっぱい生っているところ見つけたの! いっぱい取ってきちゃった!」
「へえ、すごいじゃない。二人じゃ食べきれないわね。残りはジャムにする?」
「んーせっかくだから、ラズベリータルト作ってエドさんたちにも食べてもらおうよ! まだバター余っているわよね?」
かごいっぱいのベリーを持ってマリーさんがいそいそと家の中に入って行った。
しばらくすると、台所のある窓から甘い匂いが漂ってきて、警備に立っている兵士たちもソワソワし始めている。
夕暮れに近づいたころには、何かを煮炊きする音が聞こえ、しばらくして家からマリーさんが夕食の準備ができたと呼びかける声が聞こえてきた。
「エドさーん、サムさーん! ご飯ですよ~」
……えっ? 兵士の男たちも夕飯を一緒に食べるのか? なんで?
俺の疑問を余所に、兵士たちは慣れた様子で外のテーブルについている。
「今日の晩御飯は野菜のフリッターですよ~。ピクルスのディップソースにつけて食べてください」
「おお! こりゃ美味そうだなあ」
「マリーちゃんの作る飯は全部美味いけどな」
「サムさんはいつも美味しいって言ってくれるから嬉しい」
ワイワイ言いながら兵士と一緒にマリーさんたちは食事を楽しんでいた。
……いや、仲良しだな!
食べるものに困るどころか、食生活メチャクチャ充実してない? この二人ホントに軟禁されている自覚ある?
山盛りになっていたフリッターはあっという間になくなり、付け合わせのサラダやパンもあらかた食べ終わったところで、ワクワク顔のマリーさんが家からラズベリーのタルトをもって現れた。
「ふっふっふ……実はなんと! 今日はデザートがあるんです! 見てください~すっごく上手にできたんですよ! 先日バターを頂いたんで、お二人にサプライズです!」
「マリー、ドヤ顔しているところ悪いけど、大声でタルトにするって騒いでたんだから、エドさんたちにも聞こえていたわよ。全然サプライズになってないわ」
和やかな笑いに包まれる食卓。
なんだろな……俺なんか携帯食齧っただけなのに。軟禁された挙句兵糧責めくらっている彼女たちのほうがよっぽど充実した食生活を送っている。
そういや焚き付けの薪もマリーさんが手慣れた感じでスコンスコンと割ってたし、ていうかあの子一応貴族のお嬢様だよね? 生活力高すぎん?
この監視対象は意外性がありすぎて本当に面白い。
彼女たちを閉じ込めている側である衛兵たちも、見たところすっかり彼女たちに入れ込んでいて、完全に味方に付いている。
「ひとまず、飢え死にする心配はなさそうだから、様子見でいいかね」
美味そうなラズベリータルトをほおばる彼女たちを見下ろしながら、俺は携帯食をかじって空腹を紛らわせた。切ない。
***
続きます~




