エマの恋3
衛兵であるアーロンが客人を案内する風を装って、マリーを伴って執務棟へ正面から入る。
もともと貴族令嬢だったマリーはその見目の良さも手伝って、堂々としていればとても平民には見えない。入口を守る衛兵に咎められることも無く棟内へ入ることができた。
「ノアさんの執務室は・・多分二階だと思う。誰かに見られないように、急いで」
恐らくこの辺の部屋だろうと当たりを付け、アーロンがノックし入室するとまさしくそこはノアの執務室だった。すばやくマリーを部屋に入れ、ドアを閉める。
机に向かっていたノアは突然現れたアーロンにも驚いたが、それに続いてマリーが入って来たものだから椅子から飛び上がって驚いた。
「ノアさん!!!お話があります!!!」
「はっ?!はああ?!なんでマリーさんがここに?!えっ?アーロン!マリーさんを王宮に連れてきたらダメだろ!なにやってるんだよ!」
「アーロンさんの事を責めないで!私がお願いしたんです!
そんな事より!ノアさんあなたどういうつもりですか!あなたがそんな不誠実な男だとは思わなかったです!だ・・男女の関係になっておきながら、それっきり便りの一つも寄こさないなんて・・」
「ええええ?!ちょっと待ってマリーさん!なんかその言い方だと誤解を招く・・ちょっとさ、声大きいからもう少し静かに話そう?!」
大声でとんでもない内容を叫ばれてノアは慌てふためいた。とりあえず落ち着いて話をしようという意味でマリーを窘めたのだが、その態度が、自分のしたことを誤魔化そうとしているように思えて、結果マリーの怒りに油を注ぐ結果となった。
「誤魔化そうたってそうはいきませんっ!何が誤解だって言うんですか!やっぱりただの遊びだったってことですか?!ひどい・・弄ぶだけ弄んで・・・」
その時執務室の部屋と隣をつなぐ内扉が開いた。
「おい、ノア。何を騒いで・・」
「ふっ・・ふしだらな事しておいて!子どもが出来た場合のことを考えなかったんですか?!男ならちゃんと責任をとってください!」
「?!?!?!?!」
内扉から入って来たクリストファーは、聞こえてきた言葉とそこに居る人物に衝撃を受けて、頭が真っ白になって固まってしまった。
もっともマズイタイミングで、もっともマズイ人物がこの場に現れた事にノアは顔を手で覆ってひとまず現実逃避した。
クリストファーは呆けた顔でしばらく時を止めていたが、自分を見つめるマリーと目が合って我に返った。
「ノッ・・・ノアアアアア!!!ふしだらだと?!子どもだと?!?!貴様、私の目を盗んでそんな事をっ・・。しかも男としての責任をとってないとはどういう事だ!
お前がそんな男だったとは・・
許さんぞ!今すぐ我が剣の錆にしてくれる!」
「ちょ、ちょっと誤解ですって殿下!一番大事なところを誤解しているから・・ってホントに抜刀しないでください!アーロン!殿下を止めてくれ!違うんだって・・マリーさんじゃなくて・・うわあああ!」
アーロンはマリーを弄んだ挙句捨てた男など粛清されてしまえばいいと思っているので『マリーさん見ちゃダメ』と言ってマリーの目を塞いでいるだけで手助けする様子などない。
あわやノアがクリストファーにたたっ切られるかという瞬間に、黒い影が二人の間に割って入った。
「殿下、お待ちください、政務官殿のお相手はマリーさんではありません。ノア様が手籠めにしたのはエマさんですよ。俺見ていましたから」
「「「そうなの?!」」」
クリストファーの隠密である影が事もなげに言う。
ノアは見られていたと知って顔を覆って膝から崩れ落ちた。クリストファーは自分の勘違いに気づき、取り乱したことに赤面しながら剣を鞘に納めた。
「いや・・その・・影よ。見ていたならノアの不埒な真似を止めればいいだろう・・」
久しぶりにマリーに再会したのにみっともない姿を見せてしまったので、彼女を見ることが出来ずクリストファーは目を逸らしながら言う。
「いやあ、二人は両思いなのかと思っていましたから止める必要もないかなと。
あっ最後まで見ていたわけじゃないですよ?むしろ誰か入ってこないようにしてあげていたんですから感謝してもらいたいです」
そう言われてノアは『いっそ殺してくれ・・』とつぶやき床にうずくまったまま動かない。
影の言葉を聞いてマリーが前に出た。
「エマと・・ノアさんは想い合っていたってこと?本当に・・?だったらなんで、エマを弄んだだけで捨てたの?ノアさんとは良い友人だと思ってたのに、何故そんな酷いことが出来るの・・?全然分からないわ・・」
そこでノアがガバッと起き上がってマリーに迫る。
「なんで捨てたとかそういう話になっているんだよ?!いや、酷い事をしたっていう自覚があるからこそ・・もうエマさんは俺の顔なんて見たくないだろうと思って・・・」
「なんでノアさんもエマも勝手に相手の気持ちを決めつけて勝手に諦めちゃうのよ!二人はそれでいいのかもしれないけど、子どもはどうなるの?!
父親の顔を知らずに育って、自分は愛されて産まれた子どもじゃないって知ったら・・きっと自分が嫌いになるわ・・」
「え・・・?子ども・・?子どもって・・どういう事?マリーさん!」
ノアは蒼白になってマリーに掴みかかる。影がすぐに間に入りノアをなだめる。
「どういう事って、政務官殿は子どもが出来るような行為をしたからこうなっているんでしょうが・・なんで予想外って顔しているんですか。そりゃマリーさんが怒るわけですよ」
影に当たり前の事を指摘され、ノアは呆然とした顔で言われた言葉を口の中で繰り返していたが、突然ガバッと頭を上げ、皆を押しのけて扉を出て行った。
だがすぐ戻ってきて、影に『マリーさんを見つからないように外に出して!』と言い置いて再び走って出て行った。
ノアが去った後、嵐が去った後のような部屋に残された人々はしばらく黙ったままだったが、マリーが耐え切れず口を開いた。
「クリスさん・・ごめんなさい、許可証を不正使用して王宮に入りました・・。もうクリスさんやノアさんは店においでにならないだろうし、こうでもしないと高官のノアさんに会えないと思って・・本当にごめんなさい」
「あ・・ああ。いいんだ、マリーに会えるなんて私には嬉しいサプライズだから。
元はと言えばノアが悪いみたいだし、許可の事など気にしなくていい。
店には・・本当は毎日だって行きたいんだ!だが・・今少し問題があって、私が不用意にマリーの元へ訪れたりすれば迷惑をかけることになるので、行く事が出来なかったんだ。不義理をしてすまなかった」
そういってクリストファーはどさくさに紛れてマリーをハグしている。
「殿下、この部屋でマリーさんの姿を見られるのはまずいです。誰か来る前に俺が彼女をお連れして外に出しますので・・」
影が扉のほうを気にしながらクリストファーを窘める。まずいと言われ、クリストファーはハッと気が付いたようにマリーを離し、影に引き渡す。
「マリー、名残惜しいがもう君は帰ったほうがいい。いずれ問題が片付いたらまたマリーの元へ行くから・・必ず行くから、待っていてくれ」
返事をする前に影がマリーを連れて行く。影にフードをすっぽりとかぶせられ視界を塞がれる。
入って来た扉とは別のルートでここから出されるようで、影は『いいと言うまでフードを取らないで』と言い、マリーを抱えたままどこかの扉を開け、真っ暗な通路に入り駆けていく。マリーはフードで目を覆われているので、音と明るさしか分からない。
錆びついた鉄の扉が開く音がして、明るい陽射しをフード越しに感じた。森の湿った臭いがするので外に出たらしいとマリーは思った。
影はマリーを抱いたまま森を音も無く進んでいく。ずいぶん遠くまで来たような気がしてきたころ、走りながら影が小さな声でマリーに話しかけてきた。
「殿下は今難しい状況にいるんだ・・ここへきて弟君を推す派閥が殿下を追い落とそうと躍起になっている。
殿下を失脚させられる醜聞や弱みを握ろうと、最近しつこく周囲を探っているんだ。マリーさんの店に行けないのも、君たちを巻き込みたくないからだ。
俺にも同業の見張りが付いている時があるから、下手な動きは出来ないし・・あまり様子を見に行けていない。何かあった時すぐに助けに入れないから、あまり無茶をしないでほしいな・・」
特に今日のような無謀な行為は絶対にやめてくれと影は言った。たまたまアーロンに会ったからいいようなものの、不審者として捕縛されていたらクリストファーもノアも関係を明かせないから助けられないと忠告された。
「ごめんなさい、頭に血が上っていたわ。みんなに迷惑をかけただけだし、二度とあんな真似はしません」
情けない声で謝ると影がフッと笑う気配がした。
影は立ち止まるとゆっくりマリーを降ろしてフードを外してくれる。
周りを見ると良く見慣れた店の裏へと続く森の中だった。あの短時間で王宮から店まで着いてしまったのかと、どんな不思議な技をつかったのだろうかとマリーは感心した。
影はマリーの思考を読んだかのように笑いながら言う。
「王宮からの秘密の抜け道あるんだ。マリーさんの身の安全のために場所は教えてあげられないけど、そこを使うと意外と近いんだ。
ノア様は今頃エマさんの部屋にいるんじゃないかな?マリーさんどっかで時間つぶしてから帰った方がいいかもよ」
そういって影はあっという間に姿を消してしまった。
ノアが本当にエマに会いに来ているのかとても気になったが、また余計な事をしてこじらせてはいけないと思い、マリーはそのまま森で木の実を探して時間が経つのを待った。
相変わらず王子はいいとこ無しだなあ・・ごめんよ・・。




