エマの恋2
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「えっ・・それで?」
「それだけよ。それっきりノアさんには会ってないわ。一度だけだったし、だからまさかと思うんだけど、もう二月も月のものが来ないしひょっとして、と思って・・。
もし子どもが出来ていたら、どうしたって仕事を休まなきゃいけない時があるだろうし、人を雇うなら早い方がいいから・・」
「そ、それっきりって・・えっ?それっきり?えっ?どういうこと?ねえ仕事の事はどうでもいいの!なんでノアさんと・・こ、子どもが出来るような事をしたのに、どうしてそれっきりなの!子どもが出来たかもって、まず相談するべき相手はノアさんでしょ!ノアさんは何故会いに来ないの!さいてい!」
エマの相手はマリーも良く知る人物、クリストファーの側近で政務官を務めるノアだった。
良く知る二人がそんな親密な関係になっていたことにも衝撃を受けたが、それよりもマリーはノアに対する怒りで頭がいっぱいになっていた。
ノアを責める言葉を吐くマリーをエマが窘める。
「やめてマリー。私は別に一度きりでいいと思って抱かれたんだから、子どもがもし出来ていても彼には関係ない話だわ。
こんなこと、男女の事から目を背けているマリーには理解できない話だろうし、理解してほしいとも思ってない。
ノアさんの事はもういいの。領地に戻って然るべき相手と結婚しなくちゃいけないんだろうし、今更煩わせたくない」
そう言われてマリーはぐっと言葉に詰まった。
マリーは人を好きになった事も無いし色事のことも何も分かっていない。エマが今どんな気持ちで『もういい』と言っているのか見当もつかない。そんな自分に何かを言う資格なんてないのかもしれない。
「まあそういう事だから。もし子どもが出来ていても産まれるのはまだまだ先だから、その間に仕事の事を決めましょう。人を雇わず少し受注を減らしてもいいし。
ただ・・エドさんの言った通り、女子供だけの家じゃ不安よね・・。どこかにいい用心棒が落ちていないかしら・・」
「ねえ・・エマは・・ノアさんの事が、好きだったの?」
マリーは恐る恐るエマに問いかける。全然そんな素振りを見せなかったエマだったが、ノアとは憎まれ口を聞きながらも随分と打ち解けているようだった。ほかの仲良くなった人々には見せないような素の姿をノアには見せていた。
エマはマリーの質問に答えようとせず横を向いて黙っていたが、やがてぽつりと独り言のような小さな声で話し出した。
「愛人なんてガラじゃないし、妻が居る人の訪れを待つ生活になるなんて絶対にお断りなの。そもそもこれから結婚するって人ともうどうこうなりようが無いわ。誰かを不幸にするのもイヤだしね。
だから・・気持ちを告げる気はないし、ノアさんの気持ちも知りたいと思わない」
「エマ・・・」
エマはマリーにこの事を告げる前にもう悩みぬいて気持ちを決めていたのだろう。今ここでマリーが何を言ってももう考えを変えるつもりはないと、彼女の横顔が告げている。
そんなエマに何を言えばいいか分からず、それ以上二人とも何も話すこともなく夜が更けて行った。
***
眠れない夜を過ごしたマリーは、もやもやした気持ちを吹き飛ばすように早朝から冷たい水で顔を洗っていた。
今日はお店の定休日なのでエマはまだ起きてきていない。
無駄に早起きしたマリーは、一晩考えてひとつの決意をしていた。
エマはノアに知らせる気はないと言っていたが、マリーはどうしても納得がいかなかった。
自分には男女のアレコレなどそりゃ分からないが、でもやっぱりこのまま何事もなかったかのように終わらせることなどやっぱり間違っていると思うのだ。
そう思ったマリーは、店の定休日に『手紙を出してくる』とエマに置手紙をして朝早くから家を出た。
向かう先はもちろん、ノアが居る王宮だ。
マリーはエマに内緒でノアに会いに行こうとしていた。
王宮にパンを届ける為に発行してもらった入城許可証を、エマに無断で持ってきている。
許可証を配達以外の私的な理由で使用したとわかれば、契約を打ち切られるだけで済まないかもしれない。
厳罰に処せられるかもしれないが、たとえそうなったとしてもこのまま何事もなかったかのように王宮の仕事をする気にはなれない。
ドキドキしながら何食わぬ顔をして城門の衛兵に許可証を見せて王宮に入る。
衛兵が何故か驚いたようにまじまじとマリーの顔を見ていたが、特に何も言わず通してくれた。
(し、侵入成功だわ!!・・でもノアさんがいる執務棟ってどこだったかしら・・むかーし行ったことがあるはずなんだけど・・)
二年前の記憶を頼りにマリーは王宮内をキョロキョロしながら進む。
納品にきた業者ですよ~という雰囲気をマリーは自分で装っているつもりだったが、周囲から見ると、妙に綺麗な娘が道に迷っているようにウロウロしているのだからものすごく目立っていた。
だがどこかで見た事あるような貴族の血筋を思わせる顔立ちの娘に、見回りの衛兵達は気おくれして声をかけられず、なんとなくウロつく娘を見守っていた。
(あっ・・あの建物見覚えがある・・でも見張りの兵隊さんがいるわ・・どうしよう・・)
執務棟は高官が居る場所なので建物の周囲には多くの兵士が見張りに立っていてこっそり侵入する余地などなさそうだ。
正面切って行く勇気もなく周囲を行ったり来たりするマリー。
不審な動きをするマリーを放っておくわけにもいかず、取りあえずついてきた見回りの衛兵たちも、オロオロと心配そうに見守っている。
衛兵たちが『誰が声をかけるか』とみなで相談し合っていると、いつまでたっても帰ってこない見回りを探しに、次の見回り係がやって来てしまった。
「おい、お前らなにやってるんだよ。交代の時間だろうが・・」
「いやあ不審な動きをするどえらい美人がいるんだが、誰が彼女に声かけるかでもめているんだよ」
「えっなになに、誰か高官の愛人が乗り込んできたとか?ああ、あそこにいる黒髪の子?・・・・ん?
・・・えっ?!あれ・・マリーさん・・・?
!はああ?!なっ・・なんで?!
ちょ、アレ俺の知り合いだから!怪しい人じゃないから!身元は確かだから!はいみんな解散!」
あとからやってきた衛兵は、マリーの知り合いであるアーロンだった。
アーロンはまさかの人物が王宮内にいるので、若干取り乱しながらマリーの元へ駆けて行く。
「おーい!マリーさん?!やっぱマリーさんだ!なんでここに居るの?!マリーさん目立つんだからこんなとこ来ちゃダメだよ!」
「ああっ!アーロンさん!良かったあ~知り合いに会えて!あのね、ノアさんに会いたいんだけど、執務棟に入れないかしら?お願い、どうしてもノアさんに会わなきゃいけないの」
「えええ~そんな事言われても・・伝言じゃダメかな?」
いくら王宮勤めの衛兵とはいえ、勝手に無関係なマリーを執務棟に入れる許可をする権限など持っていない。
「ダメ!直接言ってやらないと気が済まないの!だって、こっ・・子どもが出来るような事しておいて!それっきり連絡も寄こさないなんて、男の風上にも置けないわ!!」
「こっ・・・子ども・・・?!?!
?えっ?!マリーさん・・えっ?!マジか?!ノアさん何て事を・・・!
許せねえ・・!最低じゃねえか!・・分かった!俺に任せろ!そんなの俺だって一言言ってやりたい!」
アーロンは怒りに打ち震えた。まさかノアが殿下を差し置いてマリーに手を出していたとは夢にも思わなかった。
しかもどうやら弄んだだけでヤリ捨てたらしいと聞いて、もう規則や体面を気にしている場合ではないと思ったアーロンは、処罰覚悟でマリーをノアの元へ連れて行こうと決めた。
マリーちゃんがやる気出すと大体碌な事にならない気がする。




