歓迎されないお客様
お久しぶりでございます。
『続きが読みたいよ!』という熱い熱いメッセージを(イヤごめんちょっと盛った)頂きましてテンションが上がった為、勢いで番外編を書いてしまいました。え?大丈夫かなコレ。
いつも通りの朝、マリーはお店の前を掃除して窓ガラスを丁寧に拭く。
明け方に仕込んだパン種を発酵させている間、こうして店の掃除をするのが毎日の日課となっている。
パン屋の朝は早い。今しがたようやく朝日が顔を出し、朝露にぬれた芝生が光を反射しきらきらと輝いている。
「今日もいい天気になりそう。洗濯しなくちゃ」
そうつぶやいてお店の中へ入って行った。店の厨房ではエマが焼き菓子の仕込みをしていた。最近ではパンのほかに甘い菓子がよく売れるので日持ちする焼き菓子を多く作るようになっていた。
「エマ、今日はどれくらい作るの?」
「とりあえずビスケットを20袋分とレモンケーキを3ホール焼くわ。リリアさんが来るとレモンケーキを買い占めていくからこれでも足りないかも」
少し暑くなってきてから、柑橘系のドライフルーツを練りこんだパンや菓子がよく売れるようになった。小さい店なので、お客の要望を取り入れながら少しずつ商品を変えている。
「エマの作るレモンケーキは絶品だもの。いつも売り切れだってアーロンさんがぼやいていたわ。少し残しておいてあげたら?ついでに私の分も欲しいわ」
「ああ、明日は休息日だものね。じゃあ仕事終わりに来るんじゃない?ワンホール残しておく?」
そうね、と返事をしてマリーは心が浮足立つのを感じた。みんなでワイワイ食事をするのがなによりも楽しい。料理は何を出そうか・・ワインに合うものがいいな・・・。
ほとんど毎日手伝いに来てくれるエドとサム。仕事の休みの日には必ず遊びにきてくれるアーロンとイーサン。最近では常連のお客リリアとその夫のアランもいつの間にか一緒に夕飯を食べていくようになっていた。
誰が言い出したわけでもないが、週に一度は自然と皆が色々持ち寄って集まるようになり、この店で食事を楽しんでいく。マリーはその時間がとても好きだった。
ウキウキしながら発酵が終わったパンを成形してゆく。一番の売れ筋商品であるシンプルな塩パンを次々と鉄板に乗せかまどで焼いてゆく。
店頭で売る分とは別に、食堂などに卸す分があるため、日によっては昼過ぎまで仕込みが続くことがある。
開店当初、こんな辺鄙な場所でやっていけるのかと皆に心配されていたが、今では人手を雇うかを考えるほど繁盛するようになっていた。
「クリスさん達、もうずいぶん会ってないね」
マリーがふとつぶやく。
「当たり前でしょ。そもそも王太子とその政務官が市井のパン屋にしょっちゅうフラフラ来ること自体本当はおかしいのよ」
「でも、せっかく友達になれたのに・・」
マリーがそういうとエマが呆れたようにマリーを見て言った。
「色々あって縁が出来た人だけど、あの人達はいずれこの国の王様になる人とその右腕よ?その人がフラフラ市井を遊び歩いていたら国の行く末が心配になるわ。
王族と平民が友達なんて無理よ。トラブルの元だし、彼らもそれを分かっているからもう来ないんじゃないかしら」
エマの言うことももっともだ。以前はお忍びで来てくれたが、本来護衛を付けずに出歩くこと自体危険だし、もし仮に王太子がここに出入りしていることが知れたら騒ぎになってこのパン屋の存続だって危うくなるかもしれない。
それを考えると彼らが疎遠になっていくのは当然の事なのだろう。
クリストファーとノアが疎遠になるにつれ、殿下の隠密である影も顔を出さなくなっていた。
影とはすっかり仲の良い友人になったつもりでいたマリーとエマだったが、やはり殿下の指示のもと仕事としてここへ来ていたのかもしれない。
影さん影さんと呼んでいたが、本当の名前も知らないし年齢も彼の住んでいるところも知らないんだとマリーは気が付いて悲しくなった。
そういえば彼の個人的な事を訪ねるたび上手く躱されて結局何も教えてもらえないままだった。
彼にとってはマリーとエマの元へ来るのは仕事のひとつにすぎなかったのかもしれない。
代理母として王宮にあがり、図らずも多くの内部事情を知ってしまった二人は秘密を洩らさないよう一定期間、保護観察対象として、影がここへ出入りしていたのだろう。
この国の王族が関わる問題なのだから、当然の事だと頭では理解しているが、心を許しあった友人のように感じていたマリーはどうしても寂しいと思ってしまう。
寂しそうにうつむくマリーを見て、エマも複雑そうに眉をひそめた。
あれから早いもので二年の月日が流れた。
店を軌道に乗せるまでマリーもエマも無我夢中で働いた。ようやく安定した収入が得られるようになり貯蓄も少ないながら溜まってきている。
二年前のマリーは、将来の行先も不透明で自分ではどうにもできない運命に翻弄されるばかりだった。
こうして、忙しいながらも穏やかに毎日を送れることを、あの頃は想像もできなかった。多くの人々の助力もありここまで来ることが出来た。
たとえこのまま二度と会う事はなくとも、クリストファーやノア、影のことはいつまでも二人にとって大切な友人だ。自分たちがそう思っているだけで十分ではないかと思い直し、マリーは気合を入れ直す。
そこへ開店前の扉を開いて誰かが入って来た。
「あっ・・まだ開店していませんで・・」
エマが店に入って来た客に声をかけるが、その人物を見て客ではないと判断した。なぜなら上等な仕立ての服を身にまとい、執事と思われる服装の男性を引き連れたその男はどうみても貴族だったからだ。
貴族がみずからパンを求めに来るはずもない。嫌な予感にエマは唇をかみしめた。
執事の男がエマに向かい居丈高に言う。
「お前は従業員か?店主の女を呼びなさい」
命令口調で指図する男にエマは嫌な気分になったが、平民のエマとマリーに逆らう事は出来ない。マリーが厨房からおずおずと出てくると貴族の男が目を見開いてマリーに近づいてきた。
貴族の男は恰幅の良い初老の男性で、かつて子爵令嬢であったマリーにも見覚えのない人物だった。
「おお・・その髪、その瞳の色、まさに生き写しではないか。お前、名を何と言う?お前はどこかの貴族の庶子なのではないか?出自を余すことなく私に申せ」
生き写し、と聞いてマリーは身を固くした。マリーが生き写しと言われる相手は一人しかいない。
マリーの生みの母、マーガレットの事だ。数々の男と浮名を流し社交界では悪名高かったマーガレットは、マリーが幼いころに亡くなっている。奔放に生きた母の存在は、子爵令嬢であったマリーにとって足枷でしかなかった。
「マリーともうします。どういったご用件でしょうか・・?私はただのパン屋のおかみです。もう親は亡くなっておりますので出自に関して申し上げられることはなにも」
マリーがかつて貴族であったことは、その身分を捨てた時から絶対に口外しないとエマとふたりで固く誓っていた。
マリーの返答が気に入らなかったのか、貴族の男が声を荒げてマリーに言った。
「嘘を申すな!お前のその容姿が他人であるはずがないだろう!お前の母はマーガレットという名ではないか?少なくとも血縁であるはずだ!」
久しく耳にしていなかった母の名を出されてマリーは震える。
マリーの両親は貴族の間で顔が知れているが、マリー自身は社交界に出たこともないのでその存在をあまり知られていなかった。
幼い頃に家が傾き、貴族の娘だと言うのに生きるだけで精一杯という有様であったため、マリーは他の貴族との付き合いが皆無と言っていい。また父オズワルドが元は平民という理由から、血統主義の貴族らからは距離を置かれていた。
故にマリーは貴族の間で顔が知られておらず、こうしてひっそりアディントン家から除名されたことも社交界で全く話題に上らなかった。
そのため今までこうしてパン屋の女将として働いていても、その出自を誰かに問われることなどなかった。母マーガレットとは面差しがよく似ていると父であるオズワルドも言っていたが、彼女が亡くなって随分経つため、その顔を覚えている者のほうが今は少ないだろう。
それが何故、今になってマーガレットの名が出るのだろう。マリーがどうすればいいのかと逡巡していると、先にエマが口を開いた。
「お客様、店主は孤児でしたので出自に関して本人も存じ上げないのです。どなたに似ているのか存じませんが、卑しい平民の出身である店主がお貴族様の血筋であるわけがございません」
「・・・誰に許可を得て口をきいている。無礼な従業員だな。
お前は孤児か・・そういうことなら誰に筋を通すこともないな・・。
マリーと言ったな。では私がお前を囲ってやろう。
こんな汚い仕事などしなくてもいいんだぞ。
家を買ってメイドもつけてやる。朝から晩まで働かなくてもいい、綺麗な服を着て使用人に傅かれる生活を私がさせてやる。
どうだ?孤児であったお前からすれば夢の様な話だろう。
店の借金があるのならば、私が払ってやるから心配しなくていい。
さ、まずはその汚い服を着替えてきなさい」
「え・・・お断りします。あの、もうすぐ店を開けなくてはいけないので、パンをお買いになるのでなければお引き取りいただけませんか?」
何を言っているんだと言う顔でマリーは即答で貴族の提案を断った。




