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二人が初夜を迎えたのは、マーガレットが初めての子どもであるマリーを産み落としてから二ヶ月後のことだった。
妊娠中であっても男女の営みに問題は無いと医者に言われていたものの、彼女と赤ん坊の健康が最優先と、産むまで手を出さないとオズワルドは誓ったのだ。
女と同衾する経験などないまま結婚してしまったオズワルドは、結局マーガレットにリードしてもらう形での恥ずかしい初夜となったわけだが、美しく淫靡なマーガレットの肢体に若いオズワルドは夢中になった。
そして彼にとって待望の我が子を授かる事になる。フレディと名付けられたその子どもは、オズワルドそっくりの男の子だった。
確かな血の繋がりを感じて、彼はこの家族が揺るぎないものになったと安堵を覚えた。
領地の経営も彼の采配により安定した収益をあげるようになっていた。オズワルドにとってまさにこの時が人生で最も幸福だった時期だろう。
だが、息子のフレディが一歳を迎えた頃からマーガレットが外出する機会が増えてきた。
最初は買い物やお茶に出かけたと言う彼女の言葉を鵜呑みにしていたが、そのうち仕事仲間やその奥方から『彼女が色々な男と歩いているのを見た』と報告がはいるようになった。
オズワルドは仄かな嫉妬を覚えるものの、彼女が色々な男からの誘いが多い事は承知の上で結婚したのだとして、咎めることはしなかった。
遊びなら構わないーーー。
気まぐれな美しい人は、縛りつければ逃げて行くと思った。彼女の帰るところは自分だと鷹揚に構えているつもりだった。
それが崩れたのは、やはり行き先や相手を知りたいと彼女の私物をこっそり探った時の事だった。鍵のかかる引き出しの二重底に、沢山の手紙が大切そうに保管されていた。
それには衝撃の事実が書いてあった。
腹の子の父親は行きずりで誰だか分からないと言っていたにも関わらず、彼女はその子どもの父親に当たる男とずっと繋がっていた。
男の手紙を見ると、ごく最近までやり取りがなされており、子と彼女を気遣う男の心情が綴られていた。
遡って全ての手紙を読むと、どうやら男は既婚者で、しかもかなり身分の高い人間のようだ。
二人の関係がばれてしまうと多大なる影響があるため、マーガレットが汚名をかぶる形で周りの目を誤魔化していたのだ。
男好き、身持ちが悪いなどの悪評の全ては、二人の関係が露見しないようわざとマーガレットが仕向けた事だったのだとその手紙読んでオズワルドはようやく合点がいった。
オズワルドは手紙の束の上に座り込み、マーガレットが帰るその時まで動けずにいた。
浮気なら、許そうと思っていたのに。
でもこれでは、オズワルドがカモフラージュ用の夫ではないか?
彼女はその口でオズワルドを愛してると言わなかったか?
帰宅して、散らばる手紙と放心するオズワルドを見て全てを悟ったマーガレットは、今まで見たこともないような悲しげな顔をして彼に謝罪した。
「ごめんなさい…あの人の事はどうしても言えなかったの…」
否定もせず謝る彼女にオズワルドはついカッとなった。
「君はずっと僕を騙していたのかっ?!浮気なら…遊びなら許そうと思っていたのに…僕はただの金蔓で、本当に愛するのはずっとその男だったって事か?!」
今までオズワルドはマーガレットに対し怒った事など無かったが、興奮していたため自分でも驚くほど大きな声で怒鳴ってしまった。
するとマーガレットの顔がたちまち怒りの表情になり、衝撃の言葉を返してきた。
「金蔓ですって?!それをあなたが言うの?そもそもこの結婚だって、平民のあなたが我が家の弱みにつけこんで私と爵位をお金で買ったようなものでしょう!
それでも、我が家を救ってくれたあなたに感謝し、つくそうと私は努力してきたわ!それを褒められこそすれ、責められる覚えなどないわ!」
マーガレットに反撃され、オズワルドは言い返す事が出来なくなってしまった。
怒りはあるが何より彼女に嫌われるのが怖かった。
彼はそのまま黙るしかなかった。
金で彼女を買ったと思われていたのもショックだった。
破産寸前の家に私財を投じて立て直し、未婚の母となるところだった彼女を救ったヒーローのようなつもりでいた。
実際彼女にも子爵にも大げさに感謝され有頂天になっていた自分は全然周りが見えていなかったのかもしれない。
だが彼女からすれば、金で自分を手篭めにした平民との認識だったのだ。
彼は絶望し怒りで震えた。だがそれでもまだマーガレットを愛していたので、責めることも離れることも出来なかった。
ただ怒りと悲しみだけがグズグズに綯交ぜになって腹の底に溜まっていった。
発散されることのない負の感情のせいでオズワルドはその時から少しずつ狂っていったのかもしれない。
マーガレットとはそのまま仮面夫婦を続けていた。
彼女は再び浮名を流すようになり、家にはほとんど帰ってこなくなった。
子ども達の面倒は使用人がみてくれているが、正直考える余裕もなく顔を見ることもほとんどない日々が続いていた。
ある日、まだ親が恋しい年頃のマリーがオズワルドに寂しいからたまには一緒に寝てほしいとせがんだ事があった。
歳を重ねるごとにマーガレットに似てくる彼女が甘えてくる事に、喜びとも憎しみともつかない感情が爆発した。
「うるさいっ!お前はあの母親のように僕を煩わせるのかっ!」
大声で怒鳴ると、マリーは涙を流し謝ってきた。
ごめんなさい、許して、ごめんなさい、もうしませんーーー。
マーガレットと同じ顔で、泣きながら縋るマリーを見て、オズワルドの心は不思議な喜びで満たされた。
もう一度、手をついて謝るよう言うと、彼女は素直にその通りにする。
自分の許しをひたすら待つ娘を見て、性衝動にも似た仄暗い愉悦を感じてオズワルドは堪らない気持ちになった。
これをきっかけにオズワルドは度々マリーに辛くあたるようになった。
決して自分の思い通りにならないマーガレットを服従させたような錯覚を覚え、彼女を支配する喜びに溺れた。
マリーに申し訳ない、可哀想な事をしている自覚はあったが、マーガレットにぶつけられない気持ちを持て余し、それをマリーに八つ当たりする事でしか心の均衡を保てなくなっていた。
そんな危うい均衡の上でなんとか保っていたこの家が、またしてもマーガレットによって崩壊の危機にさらされる事となる。
マーガレットが急死したのだ。
家ではなく、安宿のようなところで遺体となって発見された。外傷はなく、胸を押さえて苦しんだような様子で事切れていたので、心の臓に問題があったのだろうと病死として処理された。
オズワルドはそれこそ狂人のようにマーガレットの死を嘆き悲しんだ。結局最後まで彼女は自分のもとには帰ってきてくれなかったと悔しさでいっぱいだった。
だがそんな彼に追い打ちをかけるように次々とマーガレットが作った借金が判明し、悲しみに暮れる間も無く対応に追われるようになった。
役者に入れ込んで貢いだと噂になったが、しばらくしてその男が詐欺で逮捕された事から、嘘の投資話にでも引っかかったのだろうとオズワルドは思った。
オズワルドに返済してもらった借金を返せば自由になれるとでも思ったのだろう、実際借金の話を盾に、オズワルドは決して離婚に同意しなかった。
死してなお、こんな形で再び彼女に裏切られようとはなんと間抜けな男かと自分が可笑しくなった。
それでもまだ彼女を愛してる自分に嫌気がさした。そして、もう二度と彼女が戻ってこないという喪失感に発狂してしまいそうだった。
そうやって、度々苦しむオズワルドを見ていたマリーが、ある時彼を心配そうに抱きしめた。
こんな非道な父をまだ愛してくれているのかと思うと心が震えたが、同時にマーガレットとマリーの顔が重なりあって見えて、もう行き場の無い怒りが幼い娘に向いてしまった。
「触るなあ!あの女と同じ顔で…お前まで僕を誑かそうとするのか!」
マリーはそれを聞いてただひたすらに謝って涙を流していた。
こんな事を何度も繰り返しては自己嫌悪で苦しむ毎日だった。マリーとマーガレットが別な人間なのは分かっているのに、どうしても怒りが抑えられない。
矛盾と自己嫌悪で段々とオズワルドは正常な判断が出来なくなっていった。
そしてオズワルドはこんな妄執に取り憑かれる。
それは自分の心を軽くするための逃避だったのかもしれない。だがその思いつきは、自己嫌悪で苦しむ彼の心を軽くした。
もうこんなにも似ているのだから、マリーが彼女の代わりになればいいんじゃないか?
マリーがマーガレットになれば、今のように責め苛んだりせず大切に愛してやれると思えた。
ならばどうする?
どうすればマリーはもっと彼女に近付く?
マリーは彼女と違い色事に興味もなく清廉そうな顔をしている。それがいつも鼻につく。
表情や仕草がどうしても妖艶なマーガレットのそれと違う。
マーガレットのように、淫靡で、ずるくて、金の為に好きでも無い男に股をひらくような女になればいい。そうすればもっと彼女の姿に似るだろう。
本人に出来ないなら、そうなるよう僕が手伝ってやればいい。
それはとても良い考えのように思えた。
ようやくマリーパパの回想は終わりです!
初恋をこじらせたおっさんは語り出すと長いです。




