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姫の部屋から助けだされたマリーは、そのあと熱をだし、そのまま意識が混濁したような状態が一週間続いた。
夢と現を行ったり来たりしているような不思議な状態で、熱に浮かされている間は目を開けても言動がはっきりしない状態だった。
マリーの元にはずっとエマが寄り添い、お見舞いにはかわるがわる人が訪れた。
エドにサム、アーロンにイーサン、そしてマリーを助け出してくれた隠密の男が毎日様子を見にきていた。
ようやく熱が引いてきて、水分以外を口にできるようになってきた頃、一人の男がマリーの元にやって来た。
ちょうどマリーは寝ているところだったので、エマが対応する。
「こんにちは訓練生くん。それとも政務官様とお呼びした方がいいかしら?」
「アンタはホントブレないよな…身分を偽り近づいた事は悪かったと思っている。
俺は殿下の側近だ。アンタらを見極める必要があったんだ」
エマは半眼でノアを睨んでいたが、やがてフッと表情を緩めて彼に言った。
「まあいいわ。マリーを逃してくれるというのは、恐らく貴方が進言してくれた事でしょう?そのためにマリーに発破をかけたのね。
結局邪魔が入って脱出出来なかったけど、その件は感謝しています」
ノアは驚いたように目を瞠ると、呆れたように笑って言った。
「アンタには身分がバレてるかなと思ったけど、本当に鋭いな。姫の事も相談すりゃよかったかな」
「もう巻き込まれるのはごめんよ。マリーが元気になったらここを出て行くわ」
エマはベッドに横たわるマリーを見る。ようやく顔色が戻ってきた。意識朦朧としながら何度も夢にうなされ苦しむマリーを見て、何度後悔したか知れない。こんな事なら代理母など受けずに一か八か二人で逃亡すれば良かった。
「…少し話せるか?」
ノアが扉の外を指し示し、エマを誘う。エマはマリーがまだぐっすり眠っているのを確認し、彼に従い、外へ出る。
建物の裏口に出て、人気のないところまで来てノアが立ち止まった。
「先日、隣国から姫の迎えが来た。姫の処遇が決定したよ。自ら出向いていらした王弟殿下があちらの情勢を教えてくれた」
ノアはその時の様子を語り出した。
***
完全に蚊帳の外にされていた宰相のぶすくれた顔に笑いをこらえながら、クリストファーとノアは隣国からの使者、王弟殿下に対面していた。
「クリストファー殿下、この度は多大なるお力添えを頂きまして有難うございます。我々の長年の悲願が叶い、これほど喜ばしい事はございません」
「こちらこそ、あなたのご助言がなければ王宮はさらなる混乱に陥っていたでしょう。王弟殿下には感謝しかありません。
して…そちらの首尾は如何でしたか?」
王弟殿下はその美しく手入れされた髭をつり上げニヤリと笑った。
「首尾は上々にございますよ。陛下は王位を退く事が決定しております」
「…さすがとしか言いようがありませんな」
自信に溢れ、まさにこれが王族かと言わしめるほどの迫力を醸し出す目の前の男を見て、若輩者の自分など結局彼の掌で転がされていたのではとクリストファーは自虐的な気分になった。
少し前に、こちらから離縁の準備が整ったとの報告を受けた王弟殿下一派が、電光石火の勢いで動き出していた。
これまで姫らがしてきた犯罪の全てを王に突きつけ、大罪人であるとし、離縁し帰国する姫の身柄を要求した。またそれらを放置し積極的に隠蔽してきた王の退位を求めた。
いきなりのクーデターとも思える王弟殿下の要求に王は当然反発したが、すでに貴族らにも姫の悪業が明るみにされており、王の味方となるものはいなかった。
もはやこれまでと悟った王と王妃は、王位を退き辺境に蟄居とする事、王都には二度と戻らず政治には一切関わらない事を条件に姫の助命を求めた。
姫の処刑を求める動きも強かったが、王弟殿下はその条件を飲んだ。姫は王族から除籍され、遠い地で幽閉とすることで決着がついた。
そして、殿下自らが王位につくと誰もが思ったが、次の王には、王の息子、姫の弟に当たる王太子が即位すると発表された。
「何故あなたが即位なさらなかったんですか?」
クリストファーは疑問をぶつける。
「表向き王は、病のため退位するとしています。私が即位してしまえばクーデターかと疑われるでしょう?国が荒れてるのではないかと他国に邪推されるのは得策でないですからね。
私は幼い殿下の後見人となったので、政治に関することはしばらく私が引き受けるでしょう」
幼い王太子は傀儡か。矢面に立たず裏から支配する事実上の王にクリストファーはぶるりと震えた。
何から何まで食えない男だ、とクリストファーは思いながら、王弟殿下に手を差し出した。
「これからもそちらとは良き隣人でありたいですな」
王弟殿下も両手を差し出してクリストファーの手を包み込んで握手する。
「ええ、もちろん。此度の顛末を全てご存知のクリストファー殿とは、これからも良い友人としてお付き合いいただきたい」
姫および姫の従者達が起こした不祥事の詫びとして、前王の愚策とも言える有利な貿易条件はそのまま継続するとの約束をしてくれた。
今回はそう約束してくれたが、これだけ周到な男がこのままにはしないだろう。
今後は、自分の苦手な交渉術を身につけねば渡り合えないなと苦々しく思ったが、ひとまずは問題を解決でき、王太子としての面子が保てるクリストファーはホッと息をついた。
隣国の兵士に連れられ王弟殿下とともに馬車に乗り込む姫を見送ったが、彼女はもうクリストファーを見る事は無かった。
去りゆく馬車を見ながら、様々な思いがクリストファーの胸を去来する。
あれほど憎々しく思っていた姫に対し、今は複雑な気持ちを抱いている。姫に言われた言葉がじわじわと彼の心を侵食していた。
「なあ、ノア」
「はい、殿下」
「私は愚かな人間か?」
ノアはクリストファーの問いの意味を計りかねたが、自分の思いを素直に伝える。
「いいえ、私にとって殿下は最も尊敬する人物です。あなたはきっと賢王と呼ばれる存在になると私は思っています」
ふふ、とクリストファーは笑うと、悲しげな顔をしてノアに言った。
「それを真に受けてしまうと、本当に私も姫と『同じ穴の狢』になってしまうな」
「殿下、そのような…」
「よい、事実だ。此度の件で自分でも嫌というほど実感したさ。
私は人の心がわからない。考えが足りないんだ。このままの私ではいつか皆に背かれてしまうだろう」
ノアは言葉をかけられずにいる。
「私は正しい人間になりたい。そのためには…いつまでもお前に甘えていてはいけないな」
そう言って微笑むクリストファーをノアは複雑な思いで見ていた。
***
「で、結局なにが言いたいのよ」
「いや、言わなくても分かるだろう?マリー嬢とお前の関係をみれば、俺たちのそれと変わらないことに気づくだろ?」
「……」
「あの盲目的に姫を愛していた侍女らを見てお前どう思った?
お前も正直なところ、マリー嬢以外はどうだっていいんだろ?
俺も殿下に対してそうだから分かるんだ。
子どもの話を俺がした時、お前だけはその可能性に気づいていただろ。どう考えてもあの姫が人の子を大事になんて扱わないだろうとお前なら思うはずだ。
それに気づいていながら、あえてマリー嬢に言わなかったんじゃないか?」
エマは目線をあわせず何も言わない。
「マリー嬢を大切にするのはいい。だが、あの侍女と同じ轍を踏むな。自戒の意味も込めて俺はお前に忠告してるんだ」
エマの返事は無い。
ノアはそれ以上は何も言わず、エマの肩を叩いて去っていった。
姫とその従者が起こした事件は、それぞれの人間にそれぞれのかたちで影を落としていた。




