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わたくしは何も知らないわーーー。
そう平然と言い切る姫に、その場に居る誰もが背筋に冷たいものが走った。
だがクリストファーが動じる事はなかった。まるで姫がそのように言うであろうと予想していたかのように、冷静にそれを受け止めていた。
クリストファーも薄く笑みを浮かべて姫を見返す。彼女もまたこの場にそぐわない穏やかな笑みを浮かべたまま、しばし二人は見つめ合う。
長い沈黙が続くと思われたその時、クリストファーがいっそ優しげと言っていいような声で姫に問いかけた。
「ところでそなたの叔父上と、姫は仲が良いのかな?」
「はっ?叔父?叔父上?」
いきなり脈絡の無い話を振られて姫は動揺を見せた。クリストファーの意図がわからないのだろう、浮かべていた笑みは消え、探るような目つきでクリストファーを見返す。
「そう、そなたの叔父上、隣国の王弟殿下その人だ。ここ最近彼と私は親密な関係でね、よく姫の事も話題にでるのだ。
どんな話だと思う?」
それに対し姫は顔を強張らせるだけで答えようとはしない。構わずクリストファーは続ける。
「王弟殿下のご息女は姫と同じ歳だそうだね?私もお会いした事があるが、とても美しいご令嬢だったよ。
しかし…足に障害があるようでね、杖がないと上手く歩けないんだ。子どもの頃に負った怪我が原因らしいね」
姫は小刻みに震えている。
この場にいる誰もが、未だ着地点の見えないこの話の続きを固唾を飲んで見守った。
「思い当たる節があるようだね?そう、姫の騎士が怪我を負わせたのだから、よく知っている筈だ。その騎士は罪を問われて斬首された。全ての罪を一身に背負ってね。
ーーーその時からずっと、王弟殿下は姫の動向をずっと伺っていたそうだ。
姫は人を動かすのが実に上手い。決して直接的な指示は出さない、相手が自ら望んだかのように誘導する。
周りの人間を魅了し操るそなたの手腕を、天賦の才だと王弟殿下は褒めていらしたぞ?」
姫の顔色は蒼白だった。この機を逃すまいとクリストファーは畳み掛けるように言葉を続ける。
「あなたも、あのマーサという侍女も、姫の周りに居る人間は人を害する事に慣れすぎた。
姫の周りで何人死んだ?もう覚えてないくらいではないのか?
あなたたちは上手く隠したつもりかもしれないが、王宮では公然の事実だったと王弟殿下は語っていた。
しかしその罪を裁こうにも、捕まるのは捨て駒の従者だけだ。
その事実を知る王弟殿下、及び彼の一派の貴族達は、元凶である姫を裁くために、長い時をかけて証拠を集めていたそうだ。
しかし彼らの動きも、あなたを溺愛する陛下に読まれていたため、陛下は彼らの手が及ばぬようあなたは国外へ出された。
ーーーそう、私との婚姻という形で」
そこでクリストファーは一つため息をつくと、自虐的に笑った。
「最初から、この婚姻が我が国に有利すぎると思っていたのだ。貿易協定もそちらの国が不利益を被るようなものばかりだ。
そうまでして姫を別の国に嫁がせる理由がある筈だと私はずっと疑っていた。
そんな時に、王弟殿下は私に接触を図ってきた。彼は私に姫が祖国でしてきた事を教えてくれたよ。
そして必ず姫は、この国でも同じ事をする筈だ、と。
我儘を全て押し通してきた姫らが、この国へ来たからとて変わる事はないと。
しかし、我らは小国とはいえ法治国家だ。そしてここには姫を守る絶対的な権力者も居ない。
何か事を起こしたその時こそ断罪の時だと、王弟殿下は秘密裏に計画を進めてきたのだ」
宰相も他の高官も知らない、クリストファーとごく近い側近のみだけが知っていたこの事実。
クリストファーは、姫の人を魅了する才能というのを決して侮らなかった。いつ誰が姫側に寝返るかわからないこの状況では、限られた人間だけで計画を進める他なかった。
追い詰められた姫は、怒りの表情で唇を噛みしめる。
「どのような罪状で裁くつもりか知りませんが、わたくしは王族よ?!わたくしの臣下が、従者や貴族の娘をどうしようと、わたくしが咎められる謂れはありませんわ!」
姫の言葉に、心底呆れたような表情をしてクリストファーはさらに言い募る。
「なんと醜い…反省の色も見せぬその姿、心底軽蔑する。
随分と余裕だが、王弟殿下が私にもたらした情報はこれだけでは無いのだよ」
ニヤリと笑ってクリストファーは姫に決定的な言葉を告げる。
「姫、我らの婚姻の大前提は、あなたが子を産むのに問題ない身体であるとの診断あってこそだったはずだ。
あの侍女が、王宮医師を抱き込んで嘘の診断書を書かせたという証拠の書簡を、私はすでに受け取っている。これは婚姻解消の理由になるだけでなく国家間の約定に反する行為だ。
よって姫、婚姻は解消され、あなたは祖国へ送還されることがすでに決定している。
祖国では王弟殿下がお待ちかねだ。もはや王といえど、庇い切れる状況では無くなったという事だ」
まだ姫&王子トークは続きます。
もう少々二人の会話にお付き合いください。




