どうする?
殴る
埋める
罵倒する
or
Another ?
* * *
人生とは往々にして、思いもかけないことが起こる。
小鳥遊千秋にとっては、今がまさに、その状況だった。
「あーらぁ、千秋じゃないのぉ。帰っていきなりお前の顔を見るなんて、まったくいい気分が台無しだわぁ」
「……一言一句違わない言葉をお返ししますよ、千華お嬢さま。半年もの間行方をくらませて、どこで何をしていらっしゃったのです?」
今日のようにぽかぽかして気持ちのよい陽気の午後は、近所のお寺の庭で一人のんびり日光浴するのが、何よりの楽しみだというのに。目の前で空間が紙みたいに破れたかと思えば、そこから複数の人間がどやどややってくる目撃者になってしまったこの心労、どう落とし前つけてくれようか。心的外傷を植え付けられたと訴えたら、勝てる気がする。
現れた人間全員が見知らぬ他人なら、それこそ無関係を貫いて無言で立ち去るのだが。千秋にとっては実に不幸なことに、複数人の中心でちやほやされている女は、見覚えがあるほどありすぎた。
「姫よ。時空酔いはございませんか?」
「下がれ魔術師。チカの介抱は私がする」
「おや、王子にそのようなことがお出来になるので? 寝床も満足に整えられぬ方が」
「お貴族坊ちゃまの騎士団長様だって、できることはそう変わんないでしょうに。あ、姫様。これ、お水です」
「何をちゃっかり抜け駆けしている、商人。神子の世話は私の役目だ」
「自称従者は引っ込んでなさい。ろくな魔術も使えぬ神官が」
現れた人影は、全部で六つ。金銀黒赤の髪色はともかく、緑と紫って何だ。地毛だとしたら、遺伝子の法則にケンカを売っている。
ちなみに、金色がやたら派手派手しい服着てて、銀色は逆に真っ黒ローブで、赤がいちばん地味な服だけど、間違いなく品質は最高級。緑は大剣を腰にぶら下げていて(銃砲刀剣類等所持等取締法、略して銃刀法違反!)、紫はそれなりに派手な以外は普通かと思いきや、まさに今、何もないところから天鵞絨張りの椅子出しやがった!
で、その椅子に恭しくエスコートされて腰を降ろした黒髪ロングが。
「うふふ、みんな。私のために争わないで?」
「……それは笑えと言ってますか、千華お嬢さま?」
正真正銘血の繋がった、千秋の双子の姉というわけだ。一卵性だけあって、髪の長さ以外、自分たちは鏡に映したようにそっくりである。
何故双子の姉を『お嬢さま』なんて笑えない呼び方をしているのか、という事情は、長くなるので後回して。
「明堂院のお家は、この半年、大変な騒ぎだったんですよ。たった一人の跡取り娘が突然失踪したともなれば、無理はありませんが。ご帰還なさったなら、こんなところで油を売らず、とっととお家にお帰りください」
「貴様、姫になんたる口を!」
いきなり剣を抜く緑を、千秋は冷めた目で見返した。
「おたくらがどこの誰かは存じませんが、帯剣が法律違反ってことも知らず、挙げ句いきなり剣を抜くような馬鹿と、話す言葉の持ち合わせはありません。私と会話がしたければ、まずは最低限の常識を身につけてから出直しな」
「ぶ、無礼者……」
「で、千華お嬢さま。いつから『姫』にお名前が変わられたんです?」
「半年前、ルヴィーア王国に召喚されてからよ」
「……私の知識が確かなら、そんな国名は地球上に存在しませんが」
「とことん馬鹿な子ねぇ。もちろん、異世界に決まってるじゃないの」
「現代科学の条理によれば、そんなモノは空想の中にしか存在せず、あったとしても今の技術で到達することは不可能なんです。当たり前に『異世界』とか言う人間の方が馬鹿扱いされ、頭の病院を勧められるってことは、お嬢さまも覚えといてください」
「相変わらず固いわねぇ。お前、私が嘘をついていると言うの?」
「……誰もそんなことは言っていません。お嬢さまが仰るなら、そうなのでしょう。となれば、そこにいる輩は、その『ルヴィーア王国』とやらの人間ですか」
基本的に、『千華お嬢さま』は嘘をつかない。あらゆるワガママが甘受され、人殺しすら家の力でもみ消してもらえるような環境では、嘘をつく必要がないからだ。
その、彼女が言うならば。科学条理はさて置いて、本当に千華は、異世界の『ルヴィーア王国』とやらに行っていたのだろう。
そして、帰ってきた。余計なお荷物を五つも引き連れて。
千華は美しく、傲岸に笑った。
「えぇ、そうよ。彼らは私と共に国の危機に立ち向かい、見事災いを退けた勇者たち。顔ぶれも錚々たるものでしょう」
「と、言われましても。初対面なので、どの辺が『錚々たる』のか、さっぱりなのですが」
「彼らの美しさを見て何も思わないなんて、つくづくお前は、女として終わっているわね」
「お褒めに与り、光栄です」
千華を囲んでいる五人の顔立ちは確かに整っているとは思う。しかし千秋は、ちまたで有名な男性アイドルグループを見て、「顔の見分けがつかない」と掛け値なしの本気で感じるタイプだ。目の前を見てまず思うことは、「なんか無駄にキラキラしてる」であって、間違ってもその美貌にうっとりするなんて年頃の乙女らしい反応はできない。花の女子高生が枯れていると言われようが、それが偽らざる感想だ。
ちなみに感じる『キラキラ』も、顔の造作の華やかさとは関係なく、単純に衣服や装飾品が反射する光によっての物理的なきらめきである。
千秋の皮肉もどこ吹く風。千華はこの世の春の如くに浮ついている。
「本当にすごい方々ばかりなのよ。世継ぎの王子殿下に、王国一の魔術師様。王国騎士団を率いる隊長様に、国で最も栄えている商家の跡取り。神殿一の神力を誇る神官様なんて、あらゆるものを異空間に片付けて、いつでも取り出せるのだから」
「なるほど、彼らの崇める神はドラ○もんですね?」
「異世界だと言っているでしょう。どうして二十二世紀の猫型ロボットを彼らが崇めるの」
うっかりボケてしまったが、先程の摩訶不思議な椅子出現はこれで解決した。つまり、あの白っぽい服を着ている紫髪の兄ちゃんが『神官』というわけだ。
おそらくその他は、やたら派手な服の金髪が『王子』、黒ローブの銀髪が『魔術師』、銃刀法違反緑髪が『騎士団長』、最高品質の材料で地味な服の赤髪が『商人』、と。……何だろう、『テンプレ、乙!』という声が、どこからか聞こえてくるようだ。
しかし、政治経済軍事宗教のトップが揃って女の尻を追っかけて異世界までやって来るとか、大丈夫なのか『ルヴィーア王国』。まぁ、騎士団長以外は次世代っぽいから、国の運営にそこまで影響はないのかもしれない。
千秋は、深々とため息をついた。
「で。国の危機に立ち向かい、見事災いを退けたなら、めでたしめでたしじゃありませんか。その、ルヴィーア王国とやらにお帰りになるならともかく、何でまた縁もゆかりもない異世界にみんな揃って行こうなんて話になったんです?」
「縁もゆかりもあってよ? この私の生まれ育った世界なのだから」
「ほぉ。つまりそこのオニイサンたちは、責任ある立場を投げ出して、千華お嬢さまに付き従い、見も知らない異世界にやって来た、と。……馬鹿扱いは間違いじゃなかったみたいですね」
「貴様、重ね重ね!」
だって馬鹿じゃん、と答えてやるのも面倒くさい。世継ぎの王子のこの暴挙、『ルヴィーア王国』とやらの底が知れると言うものだ。
千秋の暴言が分かっているのかいないのか、千華の微笑みは崩れない。
「馬鹿はお前よ、千秋。国を代表する方々が、そのような軽い気持ちで界を渡られるはずがないでしょう」
「何か、理由がおありで?」
「えぇ、もちろん。――私たち、魔王を追いかけてきたの」
千秋は、盛大に匙をぶん投げたくなった。慇懃な態度を取り繕うのも、そろそろ限界だ。
「魔王を追いかけて、この世界に『いらっしゃった』ということは。つまり今、『魔王』とやらは、この世界にいるということですか?」
「お前にしては察しが良いわねぇ。その通りよ」
「何故、『魔王』なんてファンタジーな存在が、こんな科学しかないような世界に?」
「それは、お前がいたからよ。……まったく、こうなってみると、『双子は災いをもたらす』なんてお母様の妄言も正しかったのかと邪推してしまうわねぇ」
「分かるように説明を!」
「何熱くなってるの? 簡単なことよ。私とお前は遺伝子を全く同じくする、強い繋がりを持つ双子。故に双子が界を分かたれた場合、魔術の達者な者ならば、私たちの繋がりを利用して、界を開くことができるの。私たちに追い詰められた魔王は、私の片割れがこの世界にいると知って、こちらに逃げたのよ」
いきなりファンタジーな設定を語られても、科学を愛する現代脳はついていけない。千華の言葉を念入りに咀嚼した千秋は、事情を理解した瞬間、冷笑を浮かべざるを得なかった。
「『災いを退けた』ね……。モノは言いようだわ。早い話が、ラスボス逃がしちゃったってことでしょ。しかも、何の関係もない異世界に」
「無礼もほどほどにせよ、貴様! これまで、我ら以外に、魔王をあそこまで追い詰めた者はいなかった。歴史に刻まれるべき快挙なのだぞ!」
「でも結局逃がして、よその世界に迷惑かけてんじゃん。快挙どころかただの愚挙だと思うけど」
「黙れ! 我らは魔王を世界から追い払い、千年の安寧の礎となったのだ。何も知らぬ小娘に、愚弄される覚えはないわ!!」
「オニイサンたちの世界の安寧と引き換えに、この世界はこれから魔王に蹂躙されるかもしれないんだけどね。自分たちさえよければ他はどうなっても構わないと? さっすが次期王様、自分勝手ー」
ハデハデ金髪がぐっと黙った。代わりに千華が進み出る。
「そんなわけがないでしょう? この私の生まれ故郷なのよ。蹂躙されるなんて、殿下も、他の方々も許されないわ。――だから彼らも、ここに居るの」
「……要するに。逃げた魔王を探し出して、今度こそ息の根止めようと?」
「ね? 頭の弱いお前にも分かるでしょう。この方々が、どれほどに素晴らしいか」
「あー……」
素晴らしく残念な頭は持ってるみたいですね、と声に出して言いたい。がしかし、それを言えば、今度こそ血を見ることになるのは、さすがに分かる。
脳内で荒れ狂っているツッコミをぐっと堪えて、千秋はもう一度、深く深く、ため息をついた。
「千華お嬢さまが半年行方不明になっていた事情と、見知らぬ男性方を連れてご帰還された理由は、把握いたしました。――で、これからどうなさるおつもりで?」
「どうするって?」
「お嬢さま。繰り返しますが、お嬢さまは世間では『失踪』扱いなのです。明堂院家の一人娘、次期後継者が前触れなく姿を消して、週刊誌にどれほど騒がれたか。そんなお嬢さまが、再び突如戻られ、しかも素性不明の男性を五人も連れている。注目されることは、まず間違いございません。そんな中でどうやって、『魔王』とやらを倒せると?」
問題点を淡々と説明してやると、千華は「あら……」と呟いた。
「そんなに大騒ぎになったの? ――さすがは、私」
「ウケ狙いなら大口開けて笑いますけどね。実際笑えない状況なんですよ?」
「庶民のお前には分からないかもしれないけれど、ここは私が白と言えば、全てが白に染まる世界なの。身元不確かだろうが、五人くらい、増えたうちには入らないわ」
「まことに結構なことで。千華お嬢さまがそこまで覚悟を決められてのことならば、私ごときが口を挟む問題ではございませんね。異世界を救った『勇者』として、堂々と明堂院家へ凱旋なさればよろしいかと」
「ただ、いくつか問題があるのよね。お前は私を疑わないけれど、さすがに半年もの行方不明の理由を『異世界召喚』なんて説明しては、私の頭が異常だと思われるわ。殿下方も、まさか異世界のお偉い人だなんて説明はできないし」
言いながら、千華が意味深な流し目を送ってくる。ヤバい、と直感し、千秋はちゃきっと右手を上げた。
「おおっともうこんな時間! 千華お嬢さま、ワタクシそろそろ帰らねば、門限に間に合いませんので」
「小鳥遊家に門限なんて堅苦しいモノはないでしょう。――千秋、この私が困っているのよ」
遠回しでも何でもない。これは『明堂院千華』から、『小鳥遊千秋』への命令だった。
不承不承、ぶすくれながら、改めて後ろの馬鹿男五人を眺めた千秋を、五人はそれ以上の眼光で睨み返してくる。
口火を切ったのは、魔術師だった。
「姫。一つお尋ねしたいのですが」
「あら、なぁに?」
「姫の世界には、『双子は災いをもたらす』という伝承があるのですか?」
「世界全体、ではなくてよ? ある地域では、そんな風に語られることもあるというだけ。私のお母様……明堂院藤音は、偶然その伝承が色濃く残る土地の出身なの」
「しかし、そう語り継がれる土地に生まれた母君が、よりにもよって双子を身ごもられたのは、何かの兆しではなかったのか」
「母も、そう思ったようでね。自らの胎内に赤子が二人いるとはっきりしたときの取り乱しようは、尋常ではなかったそうよ。挙げ句の果てには、先に生まれた方が我が子、後に生まれる子は殺さねば、このまま喉を裂いて死にますとまで叫んだとか。父も祖父母も諦めて、双子の片方は死産で届け出そうと決めたの」
「……なのに、そこの女は生き延びたのか?」
「私も、その辺りに何があったのか、詳しいことは知らないわ。ただ、結果として、死ぬはずだった双子の片割れは死ななかった。明堂院家に仕える小鳥遊という男に引き取られ、その家の娘として育った……ということね」
「それが、そこにいる、彼女?」
「名字も、育ちも違うけれど。その身に流れる血だけは、間違いなく私と同じもの」
「……お辛いことでしたでしょう。高貴なお生まれの神子が、あのような礼儀すらなっていない、下賤の民と血を同じくされていたなんて」
ムカつく神官の名誉毀損発言にも、千華の微笑みは崩れない。
「腹立たしくはあったけれど。それも含めて『私』だもの」
「おぉ、なんと、慈悲深い……」
「あぁ。チカのその優しさは得難いものだ。――しかし、今回の件はそれが仇となったな」
王子の意味不明な言葉に、男たちが一斉に頷いた。
「『双子は災いをもたらす』……母君のお言葉は正しかったのだ、チカ」
「まぁ、殿下。それはいったい……?」
「お優しい姫には、お辛いことと存じますが。――この娘がいなければ、魔王が界を渡ることはなかった」
言葉と共に魔術師が、憎悪に満ちた眼差しを千秋に向ける。
彼の言葉に追従するように、騎士団長が剣を抜いた。
「魔王が界を越えることができたのは、姫さんと『対』の、この小娘がいたからだ。つまり、この娘は、世界に災いを呼び込む存在だった」
「生まれてきたこと、生きていること。それ自体が間違いの存在だったんです」
「――神はそなたを許さぬぞ。生まれながらの罪人の、そなたを」
「……自分たちの失態を棚に上げて、よくもまぁいけしゃあしゃあと」
明堂院のヒス女から、会うたびに似たようなことをぎゃあぎゃあ言われてはいるけれど。
初対面の、しかも未だに名前すら名乗ろうとしない無礼者たちに、災いを呼び込む存在だの、生きていること自体が間違いだの、罪人だの、言われる筋合いはない。
凍てつく怒りを、千秋は容赦なく、男たちに叩きつけた。
「私を罪人扱いして、切り捨てるのは勝手ですけどね。千華お嬢さまのお話、聞いてました? おたくらをこの世界に『馴染ませる』命令を、私はお嬢さまから受けたんですよ。今ここで短慮に私を殺して、後々困るのはアンタたちだと思うけど」
「バカな。貴様などおらずとも、我らは困らん」
「いいえー、殿下。本当に残念だけど、そうもいかないのよねぇ」
心から困った風で、千華が口を挟んだ。
「千秋は私を信じるけれど、『異世界召喚』がこの世界で『あり得ない』とされているのは、残念ながら事実なの。皆が違和感なくこの世界で暮らすためには、私の言うことを一切疑わず、私の手足となって動く存在がどうしても不可欠だわ。……今のところ、そんな人間は千秋以外に見当たらなくって」
千秋なら明堂院家とも繋ぎが取れるしねぇ、とほわほわ笑う千華は、自らの思い通りに双子の妹が動くことを疑っていない。ため息をつきそうになって、千秋はぐっとこらえた。これ以上息を吐けば、幸せが遠のく。
『姫』の一言は絶対らしく、上から目線の男共はしぶしぶ頷いた。話が纏まったと見て、千秋はこれからの算段を組み立てる。
――こうしてああしてこうやって。……よし。
「とりあえず、まずは住職に話を通して匿ってもらいます。明堂院家に戻るにしても、この半年の辻褄を合わせないと」
「お前に任せるわ」
悠然と微笑んだ千華を本気で睨みつけ、千秋は踵を返したのだった。




