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9 我が父に捧ぐ

 何かが閉ざされる音がした。同時に、ありとあらゆる雑音と雑念がエフェスの中から消え失せていた。耳から音が消え、視界から色が消え、今目の前にいるのが何者か、そして今剣を握る己が何者か、それすら念頭にはなかった。


 エフェスは踏み込んでいた。そしてバイロンもまた同じだった。


 二つの踏み込みが深く刻まれる。

 

 僅かに、先手を取ったのはバイロンだ。垂直に頭上から振り下ろされる逆鱗刀――それを確認してからエフェスは動いた。(たい)を開いた片手の刺突――〈貫光迅雷〉である。小技はこの男には通じない。それが闘いを通じて学んだことだ。

 

 バイロンは更に踏み込み、左腕を突き出してきた。剣の柄ごとエフェスの右手を押さえるように動く。エフェスもまた後退と共に剣を斬り下げる。籠手を刃が擦過する耳障りな音。火花。斜めに斬り上げた逆鱗刀とぶつかる。また火花。

 

 それらをエフェスの脳は雑念(ノイズ)と処理し、剣戟に没入した。ふたりはひたすらに斬り結び、斬り結び、斬り結び、更に斬り結んだ。斬撃の余波が飛散し、空洞の壁面に亀裂が入る。

 

 エフェスは身体の反応するままに任せ、技を繰り、防ぎ、流し、応え、返す。持てる限りの技巧を尽くして、バイロンたる父レガートと渡り合う。

 

 それでいて、次の手を読むということはしなかった。そもそもレガートの原典は龍の仔としての野性の剣、虚飾の一切ない純陽純剛の剣である。彼は虚々実々の読み合いといった駆け引きを苦手としていたが、師であるファルコはそれを別段矯正はしなかった。レガートの剛刀の一閃は容易く小賢しい策を破綻させ、容赦なく生半可な達人を沈黙させた。

 

 だから一切の小細工はやめた。本能の剣には本能で応じるしかないと決めていた。身に沁みついた、天龍剣の剣士としての本能で。それがエフェスの結論である。

 

 それでも――まだ足りない。命には届かない。

 

 どこかで逸脱が必要だった。本能で斬り結ぶ一方で、エフェスの思考は勝利のためのあらゆる方策をなお探っていた。それは自身の記憶にすら朧気な過去、そして夢にまで及んでいた。

 

 意識野に塔がそびえ立っていた。夢に見た塔だ。その門が開いてゆく。龍の紋章を持つ門が。意識せず、エフェスはその中に入っていた。

 

(それは〈龍の書庫(アルシーヴ)〉だ)

 

 何者かが告げる。書棚に並ぶ無数の書籍の中、一冊の本がエフェスの手にあった。

 

(連綿と続く天龍剣の系譜――天龍剣後継者と天龍騎士は本来必ずしも同一ではない。しかし天龍騎士に於いて天龍剣の遣い手がその座を占める割合はやはり圧倒的に多い。そして非天龍剣の(・・・・・)天龍騎士・・・・が現れた際、天龍剣はそれを系譜の中に取り込んできた)

 

 レガートもその一人となるはずだった。しかし状況がレガートに獣神甲冑をまとうことを許さなかった。そしてその心は、肉体の頑健さに比して脆かった。あるいはあまりにも無垢過ぎた。そのために彼は覇国の外法の虜となったのである。

 

(幸いにして希望は残った。系譜は血と重なり、血は記憶を呼び起こす。そして記憶は技となり力となる)


 エフェスが触れる必要もなかった。独りでに本のページがめくられてゆく。

 

 幼い頃の情景だ。父も母も祖父も皆健在だった、幼い日の龍巣村。見様見真似に木剣を素振りするエフェスへ、今までそれを見守っていた父レガートが近づいてくる。父は天龍剣総帥たる祖父の名代として各地を転々とすることも多く、一年の多くを龍脊山脈から離れて過ごしていた。エフェスが父から剣を教わった唯一の記憶だった。

 

(そんなに強く握り締める必要はない。木樵が斧を持つ如く、百姓が鋤鍬を持つ如く、剣士も剣を持たねばならない。……お前の祖父の受け売りだが。――そうだ。その感じを覚えろ)


 エフェスの握りを見た後、父は木剣を貸せと言った。この木剣はエフェスには長いが六尺超のレガートには如何にも短い。しかし彼は木剣を試すすがめつすると、ちょうど風に舞って飛んできた木の葉を目掛けて剣を打ち振り、一振りにて十もの断片に変えてしまった。エフェスは呆然とした。

 

(出来たか、レガート)


 微塵の断片が風に吹き去る中、祖父ファルコが来た。


(出来ました、師父。何度試しても出来なかった技が)

(お前も剣を手足の延長とすることを覚えたのだ。木樵が斧を持つ如く、百姓が鋤鍬を持つ如く――あるいは、無想無念)


 祖父が微笑を浮かべた。


 何という縁起の技なのか、エフェスは訊いた。


(この技は天龍剣の始祖が最も得意とした技である。名を――)


 逆鱗刀が正面から来た。

 泥のように認識が遅滞する。跳躍と共に放たれる大上段からの斬撃は天龍剣〈大蛟降瀧〉、しかもそれに黒紫の幻魔焔が刀身に絡みついている。まともに受ければ防御ごと打ち砕かれ、刃は鎧を噛み裂いてエフェスに致命傷を与えるだろう。

 

 今しかなかった。時間が遅滞するほどに拡大した認識――それが刹那を、なお短い六徳を、そしてなお薄い虚空を()たとき、


「――()ッ!!」


 龍魂剣の切先が流星の如く奔った。その速度は獣神騎士や幻魔騎士の動体視力を以てしてもなお捉え切れず、ただ宙に浮かんですぐ消えた、左右十ずつ合わせて二十条の斬撃からなる升目めいた残光を視認出来たのみだろう。

 

 龍魂剣が生み出す二十重(はたえ)の刃風がごく短い間、局所的に吹き荒れた。紛れもなくエフェス・ドレイクの技、風を切る音すら置き去りにする神速の同時二十連斬撃――天龍剣奥義〈龍母天舞〉。


 遣い手のあらゆる酷使に耐えてきた逆鱗刀が、幻魔焔と共に砕け散った。〈屍龍〉の甲冑の至る個所に深い傷が生まれた。

 

 だがまだ命には届かない。

 

 バイロンは止まらなかった。むしろ逆鱗刀を引き換えに必殺の絶技を絡め取ったようなものだった。武器が(こわ)れようが、勢いを相殺されようが、幻魔騎士の戦意までは砕くことが出来なかったのだ。


 エフェスの胸にある思いが生まれた。それは誇らしさだった。これが俺の父なのだ。そんな男と闘えることが、どうしようもなく嬉しかった。


 バイロンの傷口から、折れ残った一尺の刀身から、更なる焔が噴き上げる。命そのものをくべているかのような有様だった。

 

 横薙ぎの逆鱗刀が〈鉄鱗龍〉の胴を咬む。深く食い込んだ剣を握るその手に、しかし骨肉を破断する感触はなかったに違いない。


 エフェス・ドレイクはそこにはいない。

 

 一瞬のうちに鎧を脱ぎ捨て、バイロンの左へ回り込んでいた。

 

 バイロンがそれに気づくのと、獣神甲冑を残した拳がバイロンの喉元と胸部装甲の境目にある「天突」へ撃ち込まれるのはほぼ同時のことだった。拳が砕けることすら厭わない、全力の打突である。

 そして「天突」こそ龍の中枢神経たる「逆鱗」の模造であり、天龍騎士エフェスが知りバイロンたるレガートが知らぬ龍の鎧の急所であった。

 

 バラバラになった甲冑が地に落ち、剣が横たわる乾いた音がいやに響いた。

 

 逆鱗刀を取り落とし、バイロンは蹈鞴(たたら)を踏むように二、三歩後退した。次々と鎧が剥がれ落ちてゆく。エフェスは血の零れ落ちる右拳を上げたまま、父たる人の様子を見つめていた。白い兜が大きな音を立てて転がった。


「鎧と剣を捨てたか……俺には決して出来ぬことだ」


 父が顔を上げた。暗澹たる眼であったが、紛れもなくそれは父だった。レガートだった。


「捨てたものならば、拾い直せばいい。祖母が言っていたことだ」


 エフェスは拳を降ろした。レガートは暗い眼をエフェスへ向けた。それから毒でも吐くかのように言葉を続けた。


「どうやら今まで、酷い悪夢を見ていたようだ。だが――悪夢ではないのだな」


 悪夢よりも酷い現実だった。しかしエフェスは応えなかった。元よりレガートは応えを必要としていなかった。彼は毒をまた吐き続けた。


「何故……俺を殺さなかった。女房はもういない。同門の弟子を、罪なき人々を殺した。そしてこの世で最も尊敬する男も殺してしまった。俺のやったことだ。間違いなく、俺がやったことだ。そんな男が、どうして生きていられるというのだ――」

「失ってもまた手に入れられるものもあるはずだ」


 ここにきてエフェスは拳の痛みを感じた。この痛みは目の前の男を取り戻すための対価だ。叶わぬ願いと思っていたし、それが叶うならば手足すら惜しくないと思っていた。


「少なくとも俺はあなたに生きて欲しいと思っている。だから」

「エフェス、なのか?」


 今気づいたというようにレガートが言った。暗いその眼に、僅かに生気が戻りつつあった。

 

「父上――」

 

 父が一歩踏み出すと――その頭部が弾けた。

決着。しかし。

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