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二十二話「疾走」



「あまり永くはありませんね」



 カノ──ミウの母が本格的に体を壊し、その際に医者に宣告された時の瞬間を、ミウは決して忘れやしない。

 余命宣告。

 そんな残酷とも言える宣告を、ミウは間近で聞いてしまったのだから。

「今は薬で眠っていますが、はっきり言って一時しのぎにしかなりません。その内症状が悪化し、ゆくゆくは寝たきりの状態まで陥るでしょう」

 薬が効いて死んだように(縁起でもないが)眠るカノのそばで、壮年の男性──集落で唯一の医者が、眉間にシワを寄せて深刻そうに正面に立つランドに説明する。

 ミウは同席していない。カノが突然倒れ、医者を呼びに行った後に邪魔になるといけないからと、ランドに言われてしまったのだ。

 だから今は、カノの部屋のそばで聞き耳を立てていた。

 壁に隠れて、きっとお母さんは大丈夫だと必死に祈りながら。

「何とかならんのか……。幼少から体が弱くて、夫に先立たれ、あまつさえ幼いミウを遺して逝くなど、あんまりじゃろうが……」

 ランドが悲壮に満ちた声で力なく呟く。

 ランドにとって、カノは可愛い一人娘だった。年齢が離れていたせいもあるが、目に入れても痛くない、とても大事な娘なのだ。

 そんな娘が、親より先に立つと言われて。

 若くして死去すると言われて、胸中穏やかでいられるワケがなかった。

「正直、処置の仕様がありません。現在は薬で症状を和らげていますが、病そのものを治すものではないので、延命処置にしかならないんです」

 カノの症状は、原因不明の発熱と肺や心臓の衰弱──そして視力の著しい低下だった。

 ミウを出産してからというもの、時折高熱にうなされる場合があったが、近年は一ヶ月毎に風邪に似た症状で床に伏せるようになり、ついには歩くのもままならないほど悪化していった。

 その都度医者にも診てもらったが、やはり原因は分からず、こうして寝たきりの状態にまでなってしまったのである。

「原因が分からない以上、安易に薬を投与するわけにもいかないんです。現在カノさんに処方している薬は、熱を下げる物であるんですが、それでは根本的な解決とはなりません。熱の原因となっているものを消さない限りは、堂々巡りなのです。だからといってあらゆる薬を試そうにも、副作用に耐えれるだけの体力が患者にはない。そもそも、症状が重い分薬の効果も強くなる──言い換えれば、それだけリスクも高まっちゃうんです」

「カノは──娘は、あとどれだけ生きられそうなんじゃ……?」



「もってあと半年……でしょうか」



 思わず声を上げそうになった。

 漏れ出そうになる悲鳴を懸命に堪えて、ミウは壁にもたれる。

 半年。

 たったの半年。

 半年という短い期間でしか、もう母とはいられない。

 神様は非情だ。ミウから若くして父を奪い、今度は母をも奪うつもりか。

 自分さえ生まれてこなければ──そう悩み苦しんだ時もあった。

 だから神様に、良くなるばどんな事でも請け負うと──どれだけ苦痛を伴おうと耐えてみせると、ずっと願っていた。

 その結果が──これだ。

 結局自分には、どうする事もできなかった。

 大好きな母が苦しんでいると言うのに、救いの手を差し伸べてあげられない。

 悔しかった。運命を呪いたかった。無力な自分が憎くて仕方がなかった。



「百薬草でもあれば、あるいは治っていたかもしれませんが……」



 と。

 ふと零した医者の言葉に、ミウは溢れていた涙を拭うのも忘れて聞き入った。

「百薬草……どんな万病をも治す薬草じゃったな。しかしあれは……」

「ええ、ここ十数年近くまともに発見されていない。元々希少種というのもありますが、この森ではすでに絶えている可能性が高いですね」

 百薬草。

 それさえあれば、母の病気を治せるかもしれない。

 大好きな母を、助けられるかもしれない──!

「百薬草か。せめて人口的に繁殖できたら良かったのにのう」

「未だ生態がよく分かっていない植物ですからね。外の世界でも高値で売買されているらしいですが、村中のお金を集めても尚足りないでしょうね」

「歯痒いのう。せめてあの森のどこかに生えておってくれたら良かったのじゃがな……」

 ランドが口惜しそうに声を震わせて呟く。百薬草が既に絶滅している前提で。

 ミウは百薬草というものをよく知らない。が、後で祖父の書斎にでもいけば文献が残っているはずだ。

 医者は百薬草さえあれば治せると言った。ミウ達の庭とも言えるあの樹海のどこに、ひっそりと生えているかもしれないのだ。

 二人の言う通り、もうどこにも生えていないのかもしれない。けれど、可能性が無いワケではない。

 たとえ一縷でも希望があるのなら、ミウはその可能性に賭けたい。何もせず諦めるだなんて、絶対にイヤだ。



 ──待っててお母さん。ミウが絶対百薬草を見つけてみせるからね!



 胸に誓いを込めて、ミウは祖父の書斎へと急ぐ。

 全ては、母を助ける為だけに。



 ◇ ◇ ◇



 鬱蒼とかつ雑然と並ぶ木々をひたすら抜ける。落ちた木の葉や枝を踏み鳴らし、されど足元に注意を向けず、行く先々にある碧い実だけを視界に入れて、ミウは全力で走っていた。

 目指すは『竜の巣』。

 そこに百薬草──母を病を治す唯一の希望がある。

 初めこそ半信半疑だった。勇士──自分を助けてくれた恩人に、少しでも力になれたらと、『遠見の鏡』が眠るという祠に案内するまでは。

 遠見の鏡自体は祖父からよく聞かされていたし、その不思議な力に付いても存知ではあったが、未だかつて誰も目にした事が無いし――誰も見ていないのなら、何故そんな力があると分かるのだという話だ──ミウもよくある伝承に過ぎないと考えていた。

 だから、勇士が離ればなれになった友達を探す為に、遠見の鏡がある祠に行きたいと言った時は、



 ──祠には封印がされてるし、行った所で意味ないだろうなあ。



 とミウは諦観していた。

 しかしながら、一体何の奇跡か、封印を超えてあの水晶張りの空間へと辿り着いた時、ミウは驚愕した。封印を突破しただけでも驚いたのに、その光景を見た時は度肝すら抜かれた。

 そこには自分や勇士の姿が、鏡のように映し出されていた。確証があったワケではない──が、一目見た時これが遠見の鏡ではないかとミウは当たりを付けた。

 一方の勇士はと言うと、遠見の鏡の存在に気付いた様子はなかった。無理もない──鏡と聞いたら誰だって普段身近にある物を想像するだろう。ミウだって直感的に気付いたようなものだし、言ってしまえば偶然の産物だ。

 勇士が祠――洞窟ではなく本来の意味でも祠を調べていた時、ミウは遠見の鏡の使用方法について思考を巡らせていた。

 まだ水晶張りの空間そのものが件の鏡とは決まったワケではなかったが、たとえ当てずっぽうでもそれしか見当たらななかったし、祠の方は厳重に鎖で閉ざされていたので、中身を確かめるすべがなかった。要は他に選択肢がなかったのだ。

 本当なら、そこで勇士に相談すべきだったのだろう。だが確証は無いし、何より予想が当たっていたとして、先に使われてその効果を失ってしまったとしたら? 二度使えなくなってしまったら──そんな不安が脳裏を不意に掠めて、どうしても勇士に言い出せなかった。

 勇士には感謝している。一緒に温泉に入った時だって、ミウを一生懸命になって慰めてくれた。喋り慣れていないのか、少々つっかえつっかえではあったが、とても嬉しかった。思わず涙が滲んだほどに。

 そんな心優しい勇士を裏切るようで胸が痛んだが、今は急を要する。母の容体は刻一刻と悪化しているのだ。勇士を優先するワケにはいかなかった。

 そうして、勇士が先に入口へと向かったのを見計らって、ミウは一人残って遠見の鏡を使用した。念じるだけでいいという話だったので、百薬草の姿を思い浮かべながら──どうか伝承通りであってほしいと願いながら、ミウは祈りを込めた。



 するとどうだろう──まるでミウの強い思いに応えるように、水晶でできた壁が一瞬だけ閃光を放ち、百薬草と思われる物を映し出した。



 それは、祖父の書斎で読んだ文献通りの姿形だった。どこかの洞穴にあるらしく、もう少し詳細を調べている内に、そこが竜の巣であると後に判明した。

 ミウは歓喜しつつも、同時に緊張を禁じ得なかった。

 竜の巣。祖父曰く、血に染まりし竜(ブラッドドラゴン)が息を潜めるという危険地帯。祖父にもさんざん竜の巣には近寄るなと言い含められていて、集落の掟すらなっている。行けば危険を伴うのは確実だ。命の保証すらない。

 だが、諦めるワケにはいかない。ここで逃げ出せば、百薬草を入手できない。母を助けられない。

 だから、ミウは必死に竜の巣へと駆けるのだ。

 全ては、母を病から救う為に。




 碧い実を目印に森の中を疾走していると、次第に崖が見えてきた。

 近付くにつれ、木々を悠々に超える高さの崖が眼前にそびえ立っているのが分かる。崖はこの森でもいくつか所在するが、この崖は中でも随一だ。ミウの集落にある崖も相当なものだが、これには負ける。

 たとえば、巨大な生き物が住処にしようと考える分には。

「はぁ、はぁ。えっと、確か崖伝いに右にずっと進むんだっけ……?」

 崖へと辿り着き、息を乱しながら、ミウは方向を確認する。

 なんせ初めて来た道だ。村の連中からそれとなく話を窺っていたので(子供は危険な場所と聞くと余計知りたがるものなのだ)、だいたいの道順は分かるのだが、地図があるワケでもないし、本当に到着できるかどうか些か不安になってきた。

 いや、弱気になってどうする。母を助けるには百薬草しかないのだ。気をしっかり持たねば。

「ウチが百薬草を見つける。そんでお母さんに長生きしてもらうんだ」

 パシンと両頬を叩き、気合を入れ直して歩行する。

 聞くところによると、竜の巣──ブラッドドラゴンが住処とする洞穴には水脈があり、その水だけを飲んで日々を過ごしているらしい。水分だけだと飢えてしまうのではないかと疑問に思ったが、元々あの手のドラゴンはさほど食料を必要としないらしく、狩りに出るのも月にニ、三度程度の割合なのだとか。

 しかし、テリトリー意識のかなり強いドラゴン種で、住処に盗っ人猛々しく入ろうものなら、問答無用で喰い殺されるらしい。村の人や他の獣人属が殺されのも、おそらくそのせいなのだろう。

 だったら最初から放っておけばいいと考えそうなものだが──事実、ミウの集落はそういう決まりだ──ブラッドドラゴンの牙や角は上物で、武器を作ろうと思うなら相当の業物に仕上がるし、外界に行けば高値で取り引きできる。詰まる所、欲に芽が眩んでブラッドドラゴンに挑み、返り討ちに合ったというワケだ。何とも馬鹿らしい話である。

 だが、今回ばかりは笑える気にならない。なんせミウがやろうとしている事も、言い方を変えれば愚か極まりない行いなのだろうから。

 しかし、ここまで来たら後には引けない。ミウなりに決死の覚悟で此処に訪れている。このままおめおめと引き返してたまるか。

 と。

 前方から風が──それも範囲の大きい強風が、唸り声にも似た音を立てて吹きさらしていた。

 風が前だけでなく横にも流れ、僅かながらにミウの白髪を靡かせている。風に乗って土埃が舞い、視界を遮ってきた。あたかも、侵入者をこの先から拒むように。



「あれが、竜の巣……」



 眼前に見えてきた、巨人でも住んでいそうな、途方もなくでかい洞穴。

 間違いない。あれが祖父や村の人が話していた竜の巣。



 百薬草が眠る、ブラッドドラゴンの住処だ。




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