十一話「獣人」
あれから半日ばかりが過ぎた。
太陽は完全に最上部まで昇り、燦々と下界を照り付けている。未だ鬱蒼とした森の中を錯綜しているので、直接お日様の顔を拝めないでいるが、周りが明るいだけで気分も変わってくる。少なくとも、昨日の悪夢めいた一時に比べれば。
勇士は今、切り株に腰掛けながら、時折水を飲みつつ休憩を取っていた。
ここ数時間で、色々な事が分かってきた。
中でも特筆すべきは、やはり勇士の回復魔法──キュアの力についてだろう。
クラブスパイダーを一撃で打破したキュアだか、どうやらこの魔法、他の魔物にも同等の効果を発揮する事が判明したのである。
どうにかクラブスパイダーを撃退した勇士であったが、無論それで安全が保証されたワケではない。また別のクラブスパイダーが襲ってくるとも限らないし、言わずもがな、他種の魔物だってうようよしているのだ。
そして案の定、勇士はさして時を置かずに、とあるスライムと出くわす事となる。
が、逆に好都合だった。何せそのスライムは既に弱っていた上、スピードもかなり落ちていたのだ。いざとなればあっさり離脱できるほどに。
試さない手は無かった。弱っているモノに対して致命傷を与えるのは、少しばかり思う所があったが、相手もこちらを狙う気満々だったし、お互い様とも言えた。大体、本当に治癒で倒せるかどうかは謎だったし、勇士の方がある意味危険なくらいである。
しかし、引くワケにはいかない。今から行う所業の結果次第で、勇士の身の振り方が決まる。
そうして、スライムの出方を窺いつつ油断を突いた所で──
「まさか、本当に一撃で倒しちゃうなんてね……」
自分の手を見つめながら、勇士は夢心地な気分で呟いた。
治癒。回復術士である勇士が使える回復魔法。本来は傷を治すだけの不思議な力。
──だったはずなのに、よもや魔物を瞬殺するまでの絶代なる力を秘めていようとは。一体誰が想像できたと言えよう。
はっきり言ってチート以外の何物でもないが、これほど心強いものは他に無い。特に勇士のような、戦う術を知らない人間にしてみれば。
治癒と破壊。お互い相背反する力のはずが、ひとつの魔法として混合する矛盾。ややもすると、勇士が知っている回復術士──影橋にはそう鑑定されてしまったが──とはまた違うのかもしれない。どのみち自分ではステータスを確かめられないので、どうしようもないのだが。
閑話休題。ひとまず魔物と渡り合えるだけの術を手にした勇士ではあったが、決して無限に使用できるワケではない。別れる前に桜花に渡されたアイテム類にも、生憎とMPを回復する物は無かった。何か食べるか休眠するかでHP共にMPも少しだけ回復するのは分かっているが、そう幾度も取れるような――特に食事は――ものではないし、これからは温存しながらよく考えて行動する必要があるだろう。
──桜花さん、か。今頃どうしているのかな……。
思い出されるのは、勇士を守る為、たった一人でクラスメイト達に追われる事となった桜花の姿。
結局、桜花とはあれ以来となってしまった。しばらく歩いてはみたが、桜花どころか相変わらず人影すら見当たらない。万一クラスメイトの誰かに遭遇したら危険なので、そういった意味では安堵すべき所なのだろうが、桜花を思うと手放しには喜べなかった。
どうにかこうにか、クラスメイト達からも百以上に及ぶ魔物大群とやらからも逃亡できた勇士ではあったが、桜花もそうだとは限らない。最悪、絶体絶命の境地に立たされているかもしれないのだ。桜花がどこかで苦しんでいるかも知れないと思うと、暗澹とした影が心に差す。
せめて、無事でさえいてくれたら。お互いに所在は知れないが、五体満足息災でいてくれたら、他に望むものはない。せいぜい、上手くクラスメイトの魔の手から逃れていますようにと願うくらいだ。
「さて、これからどうしよう……」
木筒の蓋を閉じ、懐に仕舞って、勇士は独りごちる。
このまま此処にいても埒は明かないが、さりとて、闇雲に動いた所で樹海から出れるとは限らない。むしろ下手に動いて体力を消費するのも躊躇われるものがある。
食料と水だって心許ない。道中見慣れた果実もあったりしたが、ここら一帯はまだ熟す前の物が多いらしく、まだ食べられそうになかった。野草やキノコは迂闊に取れないし(中には触れただけで毒される危険もあるのだ)、手持ちだけで過ごすしかなかった。
「やっぱり、此処から動くべきかな。水は雨でも振れば凌げるけど、食料ばかりはなぁ……」
方針が決まらず、独り悶々としていると――
ガサガサガサガサっ!
と、すごい勢いで草を掻き分ける音が遠くから聞こえた。
音はだんだん勇士の元へと近付いており、接触するのも時間の問題かと思われた。
「な、何? 魔物……?」
正体の見えぬ気配に、思わず怖気が走る。
いくら魔物を倒す術を手にしたと言っても、怖いものは怖い。集団で来られようものなら、確実に腰を抜かす自信がある。
幸い、気配はひとつだけのようで、大群で押し寄せる心配はないようだった。が、不安が払拭されたワケではない。
いつでも戦えるように――もしくは即時逃げれるように、勇士は即座に立って相手の出方を見る。
ドキドキと緊張で心臓が早鐘る。喉から出そうなほどの鼓動が、勇士の胸をこれでもかと言わんばかりに叩いてくる。
視界に映る茂みから、何か動く影を捉えた。一層意識を集中させて、前だけを凝視する。
果たして、茂みから飛び出してきたのは――
「はあはあっ──!」
全身を汗だくにして全力疾走する、十歳ほどの女の子だった。
「えっ? 女……の子?」
予想だにしていなかった正体に、勇士は面食らって硬直した。
まず、全体的に白い。髪も白ければ肌も着ている服も白い。上はトップで下はキュロットスカート風で、何故か裸足になっている。見るからに肌寒そうな――昼はそうでもないが、夜は結構冷えるのだ――格好をしている割には、首だけ茶色い毛皮のマフラーを巻いていた。
だがそれよりも目を疑ったのが、その頭だった。
ショートヘアよりは若干長めの白い髪――その頭頂部に、同じ白い獣耳が生えていた。
よくアニメやゲームに出てくる、あの獣耳が。
否。奇妙な点は他にもあった。
尻尾が生えていたのだ。白くフサフサとしった尻尾が。
獣耳や尻尾の生えた人間。
いわゆる、それは――
──この子、獣人だ!!
獣人。
文字通り、獣を模した人間――に近い生物。
レジェンス・クロニクルで、主に森林や草原といった場所に住居を構える亜種。
てっきりもう、この世界に原住民など存在しないと思われたが、見つからなかっただけで、確かに此処にいたのだ。
「に、人間……?」
獣少女もこちらに気付いたようで、くりくりとした大きな眼を丸くして、こちらを見据えていた。
「──! 人間って、君、ぼく以外の人を知って──!?」
投げかけた疑問が途中で驚愕へと変わる。
茂みの方から、獣少女とは別の生物が飛び掛かってきたのだ。
「屍食草──!?」
マンイーター。普段は動物の死骸などを餌にする魔物。だが時折、生きているモノも捕食するゲテモノ種でもある。
見た目は巨大な花そのもの。しかしその中心にはポッカリと口のような空洞があり、そこからネバネバとした粘液がしこたま垂れていた。
足は無数に別れた極太の蔓となっており、複雑に絡まっているせいもあって、茎や根のような物は見られない。生首に手足が生えただけの妖怪みたいだ。
明らかにマンイーターは、逃げ惑う獣少女を狙っていた。よく見ると獣少女は全身傷だらけになっており、這々の体で此処まで辿り着いたのだろう。
しかし、マンイーターのスピードは勇士の脚力と変わらない程度。超人じみた身体能力を持つと聞く獣人(たとえ幼く少女としても)にしては、あまりにも遅い。怪我を負っているのと関係があるのだろうか。
「キギィィィ!」
と、考察は続かなかった。偶々居合わせた勇士に、マンイーターが狙いを変えてきたのだ。
驚きの連続に、まだちゃんと事態を把握しきれていないが、兎にも角にも勇士がターゲットにされているのは事実だ。逃げれなくもないが、悄然としている幼い少女を見捨てられるはずもない。
それに──
──桜花さんだって、きっと助けていたに決まってる!!
もう守れるだけの勇士ではない。今の自分には、誰かを守れる力がある。
両手を伸ばし、いつでも魔法を放てるよう備える。
マンイーターが勇士を捕らえんと蔓を伸ばす。所狭しと伸ばされた幾多の触手が、勇士の前を覆う。
情けは人の為ならず。桜花が勇士にしたように、勇士も誰かを救う為に全力を尽くすのだ。
「キュアっ!!」
勇士の両手が輝く。マンイーターの触手が勇士を縛る前に、ボロボロと色を失って崩れ始めた。
「キギャアアアアア!?」
マンイーターが断末魔の声を上げてもがき苦しむ。
暫しして、奇声を発しながら悶絶していたマンイーターは、やがて動きを止め、全身を粉々にして地に還った。
「か、勝てた…………」
声を震わせながら、砂塵となったマンイーターと、自分の手を交互に見やる。
これで三戦連続の白星。勇士の使う治癒には、改めて敵を一撃で葬る力があるのだと実感する。
「ぼくの──ぼくだけの戦う力……」
役立たずな自分とはようやっと決別した。今更クラスメイト達と合流するつもりなど皆無だが、桜花の助けとなれる。彼女の横に並べ立てる。
──待ってて桜花さん。必ず君を見つけて、今度こそぼくが守るから!
「うっ……」
背後から呻き声が聞こえた。弱々しい、か細い少女の声音。
「あっ。そうだ、あの子……!」
じっくり勝利の余韻に浸っている場合ではなかった。満身創痍の獣人の少女がそばにいるのだった。
慌てて振り返ると、少女は意識を手放す寸前で、体が横に傾いていた。
「危ないっ」
急いで駆け寄り、少女の体を抱きとめる。
「君、大丈夫? しっかりして」
一旦腰を下ろし、少女の頬に触れて呼び掛けてみる。
獣人の少女は完全に昏睡しており、呼び掛けても体を揺さぶっても無反応だった。ただ呼吸はちゃんとしているので、別段重篤というわけでもなさそうだ。怪我が要因というよりは、体力が尽きて眠りに入っただけかもしれない。
こうして間近で見ると、とても整った顔立ちしていた。今は寝ているせいもあって瞼が閉じられているが、まだ意識がしっかりしていた時は、ぱっちりとした二重瞼の――それも綺麗な紅い瞳をしていたし、鼻も口も小さくて非常に可愛い。少女らしいあどけない寝顔が、どことなく保護欲を駆り立てた。
だがその肌は、痛々しい事に切り傷や擦り傷ばかりで、かなり憔悴した状態だったのだろうと窺えた。初めに現れた時は気づかなかったが右足のくるぶし付近が赤黒く腫れ上がっていた。逃げる途中で挫いたのかもしれない。速度が遅かったのも、捻挫が原因だったのだろう。
「えっと、とりあえず治癒で……」
と、そこで、少女へと伸ばしかけた手を止めた。
キュアは本来、傷を癒す力である。だからこうして傷だらけの少女に対して使うのは、何も間違ってないように思える。
しかしこのキュアには、魔物を消滅させる力も宿っている。人間に使えば治療になるが、果たして獣人であるこの少女にも同等の効果があるのか、疑わしい部分があった。
確率は二分の一。もしも選択を誤れば、幼き少女の死を招く。
「ダメだ。リスクが高過ぎる……」
迂闊にキュアは使えない。さりとて放っておくのも偲びない。サバイバル知識でもあれば良かったのだが、生憎とスマートフォンは異世界転移した際に消えてしまったし、インドア派である勇士がアウトドアに長けているはずもない。さて、一体どうしたものか。
「あ。薬草……!」
そこで思い出した。勇士には薬草が──桜花に手渡された分もあったではないか。
でもその前に、傷口を洗浄して清潔にしなければならない。下手に弄って化膿させては元の木阿弥だ。
一旦少女を地に寝かせて──地面の上に患者を寝かせるのはどうかと思ったが──一度も口に付けていない木筒(勇士の分だ)を取り出して、少しずつ傷口に水を垂らす。
ある程度患部を水で洗った後、薬草を手に取って揉み始めた。
本当はすり鉢などで擦って粘液状にした方が良いのだが、クラスメイト達と離反した今、そんな便利な道具は持ち合わせていない。小耳に挟んだ話では、薬草を患部に塗ればいいだけと言っていたし、勇士の方法でも多分大丈夫だろう。雑菌が気になるが、少女の体を洗うついでに勇士も手を水で流しておいたし、薬草自体に石鹸みたいに除菌効果があると影橋──鑑定士のお墨付きもあったし、感染等は無いはずだ。
しばらく薬草を擦り潰していると、手のひらにねっとりとした水っぽい感触が広がる。確かめてみると、葉は完全に極小の粒となり、糸を引いて粘っていた。大体こんなものか。
薬草まみれになった手で、ちょこちょこ傷口に触れる。痛がらず身じろぎもしなかったので、勇士は安心して患部に薬草を塗り付けた。
後は捻挫だ。内出血に外部薬である薬草が効くかは判断付かなかったが、何もしないよりはマシかと思って入念に塗りたくっておいた。
「ふぅ。終わったぁ」
一息つき、額に滲む汗を袖で拭う。ひとまずは、これでいいだろう。
「後は木の葉でも集めて、簡単な敷物でも作って寝かせようかな」
少女はまだ目を覚ましそうにない。この分だと夜まで掛かりそうだ。
夜になった時を想定して、勇士は少女から目を離さないよう、近辺で木の葉や焚き木になる枝を探し始めた。




