十話「覚醒」
お待たせしました。スーパー主人公タイムの始まりでございます。
「はあっ。はあっ──!」
どれだけの時間が経っただろう。いつしか周囲は再び闇に覆われ、視界を奪っていた。風に揺らめく気の枝がこの世ならざるものを思わせ、ひどく不気味に映る。
掲げたたいまつの灯りを頼りに、勇士は暗い森の中を一心不乱に駆け抜けていた。周りが暗いせいでいまいち場所が把握できないが、巨大な光源は一切見えなくなった為、少なくとも元の道には戻っていないはずだ。クラスメイト達から上手く離れられたと信じたい。
喉の渇きを覚え、一旦木の幹にもたれて、懐から木筒――水の入った容器を取り出す。二手に別れる寸前、桜花が渡してくれた物だ。
蓋を開け、ちびちびと喉を潤す。まだ中身はあるが──勇士の分も含めて──貴重な水分だ。あまり無駄にはできない。
ほどほどで蓋を閉めた勇士は、木筒を仕舞い直し、背中を擦りながら腰を下ろした。
呼吸はいくらか落ち着いたが、心臓は小うるさく脈を打ち続けている。もう少し走れなくもないが、体力も心許ない。ここで無理に逃走するより、魔物やクラスメイト達と遭遇した場合に備えて、体力を温存すべきだ。
改めて一息ついて、勇士はパンパンになった両足を伸ばした。
こんな長距離を走ったのなんて、中学のマラソン大会以来だ。いや、もっと長く走ったかもしれない。密林を歩き回ってある程度筋肉も付いたおかげか、不思議と当時よりも辛くない。図らずも異世界生活は、勇士に基礎体力以上の成果をもたらしていた。が、素直に喜べるものでもない。
「お腹……空いたな」
時間にしてみれば、もう深夜なのだろうが、肉体を酷使したせいもあってか、胃が食を求めて情けなく鳴る。
欲求には逆らえない。どのみち、明日も歩くか走るかするのだ。少しでもエネルギーを蓄えた方が良い。
そう考え、緩慢に懐から小袋――木の蔓などで編んだ物を取り出し、紐を解いた。
中には木の実や小振りな果実、丸めた干し肉などが入っていた。その内の果実を手に取り、口内に放り込む。
途端に広がる酸味に口を窄める。舌で果実を転がしては、酸味を誤魔化して甘さが出るのを待つ。
「桜花さん……」
飴のように果実を舐めながら、勇士は朧気に桜花の名を呟いた。
あの後、彼女は一体どうなったのだろう。ちゃんと逃げきれているだろうか。捕まって折檻されていないか。不安に満ちた疑問が押し寄せては、悔恨の念に縛われる。
勇士にはどうする事も──桜花を止める事すらできなかった。あの場ではああするしかなく、桜花に言われた通り、逃げ延びるしか方法がなかった。
それでも。
それでも、どうにかしたかった。クラスメイト達を理路整然と説き伏せたり、桜花の手を引いて何処かへと逃げたりしたかった。そのどちらも一切合切できなかった無力な自分が、非常に歯痒い。
もっと力があれば良かったのに。最近何かと話題なネット小説みたいに、神様か何かにチートな力を付与されていれば、現状も違っていたはずだろうに。
そんなものは責任から目を逸らしているだけの現実逃避だと自戒しながらも、力を求めずにいられない。
──ぼくに力があれば。今からでもいい。もっと強い力があれば、今度こそ……!
片腕を伸ばし、その手で掴めなかった桜花を想起し、幻影を握りしめる。
桜花は恩人だ。それ以上に、大切な友人だ。向こうはどう思っているかは知らないが、関係ない。勇士が一方的に抱いている友情だとしても、桜花が桜花のままでいてくれればいい。気になるなら、今度顔を合わせた時に、桜花に直接訊ねればいいのだ。
だから──
──絶対にまた会おう、桜花さん。
再会を願い、勇士はそっと祈りを捧ぐように瞳を閉じる。
空腹が少し満ち、疲労が溜まっていたせいか、いつ頃からか睡魔に捕らわれた勇士は、そのままぐっすりと眠りに付いた。
ガサガサと草原を掻き分ける音がする。虫か獣か、はたまた──
暫し夢心地にいた勇士は、何らかの蠢く気配に自然と目を覚ました。辺りはまだ暗闇に閉ざされたままで、朝日は昇っていないと見える。
ふと下を見ると、太ももに広げた小袋の上で食料が散らばっていた。どうやら、袋を開けた上体で寝落ちしてしまったらしい。
袋の口を閉め、懐に仕舞う最中、妙な音を耳が拾った。
──近くに何かいる!?
鳴き声も何も発さないので、てっきり虫の類いかと思ったが、音のでかさからして違う。さりとて獣特有の臭い匂いもしない。人ならば、こんな暗い樹海の中をたいまつも無しに歩くはずがない。
すぐさま地に置いてあったたいまつを手にし、警戒体勢に入る。
油断していた。クラスメイト達から逃げきれたと踏んで緩んでいた。
何も敵は人間や獣類だけとは限らない。この世界に来てから、嫌でも学習していたはずではないか。
近くの雑草が一際激しく揺れる。のそりのそりと、たいまつの灯りに導かれるように、謎の影が姿を現す。
「──────っっ!!」
勇士は息を呑んだ。その異様な姿を目の当たりにして。
全身赤焦げた体皮。足は八本に分かれ、前脚にだけ巨大なハサミを生やしている。顔だけは蜘蛛みたいになっているが、全体的には蟹みたいな様相を呈していた。
クラブスパイダー。
レジェンス・クロニクルで、中級の敵としてする魔物の一種だ。
「ひっ…………」
顔を引きつらせ、勇士は後退る。真っ赤な二つの眼球が、ギョロギョロと獲物を見定めるようにこちらを捉える。
何故この魔物が此処に。ゲーム内では山中でしか出くわさなかったはずなのに。何故こんな森の中に生息しているのだ。
とにかく、まずい。ただでさえスライムやゴブリンフライといった低級ですら手こずるのに、クラブスパイダーとなんて勝負にすらならない。恰好の餌食となるだけだ。
決断は早かった。クラブスパイダーが品定めをしている内に、勇士は踵を返して一目散に駆け出した。
数秒経って、獲物に逃げられたと悟ったのか、クラブスパイダーも即座に脚を蠢かして追尾してきた。
ギチギチと歯を打ち鳴らしたような不気味な音が背後で響く。全長が子牛ほどあるせいで、前進する度に枝や草が次々に巨躯に衝突して辺りを散らしていく。まるで昔見たジブリ映画のワンシーンみたいだ。
クラブスパイダーは思っていたより速く、一定の距離を保ちながらも、しっかり勇士を尾けていた。たいまつを目印にしているのだろう。
たいまつを捨ててしまおうかという衝動に駆られたが、この暗闇の中では重要な生命線だ。捨てて一時は逃れられても、朝が来るまで途方に暮れる事となる。第一、助かる保証もない。
ひとすら走り、クラブスパイダーとの距離を取り続ける。諦めが悪く、奴さんは一向に退く気配はない。勇士を喰らうまで止まらないつもりか。
せっかく桜花に助けてもらったこの命、あんな化け物にむざむざ寄越してたまるか。生き延びなければ、彼女に申し訳が立たない。
地を蹴り、木々の合間を縫って、しゃにむに逃亡する。いつまでこうしていればいいか分からないが、相手も同じ生き物だ。永遠に鬼ごっこといくワケがない。いずれ好機が見えるはず。それまでは根比べだ。
一心に前だけを見据え、勇士は生存を信じて駆け抜ける。
途中、前方数メートルの地点で、黒い蠢く陰が見えた。何物か分からないまま、スピードを緩めずに目を凝らして陰を観察する。
と、その時。
キラリと光る、尖端なような物が見えた。
「──うわっ!?」
前方に気を取られ過ぎたのがまずかったのか、草のぬめりに足を滑らせた勇士は、バランスを崩して転倒した。
カランコロンと倒れた拍子でたいまつが転がり、奥の闇を照らす。
痛む体を起こし、たいまつを拾おうと立ち上がろうとして──
ギチギチっ────
「え……?」
耳にした事のある気味の悪い音。無秩序に並んだ牙から打ち鳴る、顎の不気味な旋律。
たまらぬ恐怖感に苛まれながら、勇士は音の正体へと目線をやる。
クラブスパイダーがいた。
それも、二匹も。
──挟み撃ちにされた!?
まさか仲間か。てっきり逃げる勇士を本能だけで追いかけていたとばかり考えていたが、始めからこうするつもりだったのか。よもや獲物を追い詰めるだけの知能があろうとは、想像だにしていなかった。
だがしかし、前方の二匹はまだ勇士を襲おうとする振りは見られない。どちらが先に喰らうか、決めかねているのだろうか。
何にしろ、勇士には好都合。今の内に抜け出して、
ザザザザっ──!
と。
草を勢いよく薙ぎ倒して、後方に迫っていたクラブスパイダーが、勇士目掛けて飛び付いた。
「うわああああああああああッ!?」
絶叫する勇士。巨大な影が勇士の全身を覆い、視界を昏く閉ざす。
万事休す。武器も持たない、攻撃魔法すらない勇士に、打つ手などあるわけがなかった。
このまま重力に乗っ取って、クラブスパイダーは勇士を押し潰し、屍肉を仲間と共に喰らい尽くすのだろう。どうしようもない絶望感に、涙すら浮かばない。
ギュッと瞼を閉じて、せめて激痛が一種に終わる事を願って身を捩る。
──ごめん、桜花さん……!
死の間際、瞼の裏に映った桜花の姿に、勇士は心から詫びる。
背中を向けていた桜花の幻は、悠揚に首を横にし、視線をこちらに寄越してゆっくり唇を開いた。
『どうか、無事で……』
「あああああああああッッッ!!」
勇士はがむしゃらに両腕に伸ばして咆哮した。
死ぬわけにはいかない。どれだけ傷付こうが、どれだけ醜態を晒そうが、泥水を吸ってでも生きて桜花と会う。
そして、必ず一緒に元の世界へと帰り、当たり前だった日常を取り戻して笑い合うのだ。
それが勇士の――この苦境の中で抱けた、暗闇に差す一筋の光明だった。
が。
この時の勇士は、やはりとてつもなく焦っていた。
せめて一矢報おうと、勇士が使える二つだけの魔法の一つ──攻撃力を下げる呪文を唱えるつもりだった。
しかし滅多に使わない魔法(大して攻撃力が下がらないのだ)なだけに、呪文が頭から飛んでいた。
代わりに口から衝いて出たのは、今日まで回復術士になってから、馴染み深い魔法となっている呪文だった。
「きゅ──キュアっ!!」
勇士の両手から翠の燐光が溢れ、淡い輝きを放つ。
クラブスパイダーが頭上から猛然と落下する。あと数秒と持たずに、魔物に潰されて圧死するかと思われた──途端。
眼前のクラブスパイダーが、四方八方に弾け飛んだ。
「………………はへ?」
ぽかんと間抜けに口を開く勇士。
体液が流れていないのか、鮮血も無く粉々になったクラブスパイダー──だった物体の残骸は、そこら中に地へと散らばり、すぐに砂と化した。
全く状況が汲み取れず、今しがたおきた現象に、勇士はただ放心とするばかりだった。
そんな馬鹿な。だって今のは回復魔法──怪我を治すだけの術。決して攻撃魔法ではなかったはずである(そもそも、勇士は攻撃魔法を持ち合わせていない)。
だのに先ほど襲いかかってきたクラブスパイダーは、見るも無残に砕け散って消滅した。
これは、一体どういう──
「…………は!」
考え込んでいる暇は無かった。そうこうしている内に、残りの二匹が強襲を仕掛けてきたのだ。
確信があるワケではない。単なる偶然かもしれない。
しかしながら、生き残るにはこれしかなかった。奇跡を信じるしか他なかった。
轟然と迫る二匹のクラブスパイダーに、勇士はもう一度腕を突き出して、呪文を唱えた。
「キュアぁぁぁぁぁ!!」
二匹共、横に並んだ状態で、同時に巨大なハサミを勇士の頭上目掛けて振り下ろした。
直後。
パァンパァン!
と。
またしても、二匹のクラブスパイダーが、音を立ててバラバラに砕けた。
「うわわっ!」
触れそうになった魔物の残骸を、慌てて尻を地に擦りながら後退する。
始めに襲ってきたクラブスパイダー同様、躯を断裂されて地面へと転がった後、砂塵となって消え去った。
「はあ……。はあ……」
息を荒くしながら、勇士は疲れ果てたように、大の字で倒れ込んだ。
仰向けになりながら、何となしに手のひらを翳して、ぼんやり眺める。
砂や土に塗れ、薄汚れた両手。所々枝で引っ掻いたような切り傷が点在している。どれだけ壮絶な時を過ごしていたか、これだけでも如実に物語っていた。
単なる奇跡などではない。一度二度だけなら偶然で済まされるが、三度も続けば、それは必然だ。
間違いない。勇士の治癒には、クラブスパイダーを一撃で屠る力が備わっている──!
正直、未だに信じられない。勇士がレジェンス・クロニクルをプレイしていた時も、解説欄にそのような記述はされていなかったはずだ。第一こんな攻略法、個人のブログやネット掲示板等で晒されていてもおかしくはない。
これは勇士だけの特性なのか。はたまた、クラブスパイダーのみに有効する魔法だったのか。
疑問は尽きない。確証を得るには、他の魔物にも使用してみなければ。
だが今は、この安息とした一時にいつまでも浸っていたかった。
やがて、夜が明けた。木漏れ日が地に降り注ぎ、零れた淡い陽光が顔に触れて眩しい。
こうして勇士は、激動の一日をどうにか無事に生き残ったのだった。




