クール系女子、情熱系女子になる
「待っ、て……」
教室を出て行く倉瀬君の背に掛けた声は、あまりに小さく。中途半端に伸ばした手は、虚しく空を彷徨った。
違う、違うの。
なんで? だって、倉瀬君は平気な顔してたから。だから、そんな、泣かせるつもりなんて。泣かせたくなんて、なかったのに!
「違うの……」
千々に乱れた断片的な思考が、頭の中を埋め尽くす。
届かないと知りつつ絞り出した言葉は、あまりにも未練がましくて。
私は唇を噛んで深く俯くと、ストンと椅子に腰を下ろした。
凄まじい自責と罪悪感が胸を締め付ける。倉瀬君が笑顔のまま涙を流す姿が、瞼に焼き付いて酷く私を苛む。
「ぅ、く……」
唇を噛み締め、両目を手で強く押さえて込み上げてくるものを堪える。
ダメだ。泣くな。私に泣く資格なんてない。
「ごめん、ごめんなさい……」
あんな顔を、させたくなかった。
ううん、本当は私だって別れたくなんてなかった。
でも、ダメだった。好きになってしまったから。
彼のことを本気で好きになってしまったからこそ、あのまま一緒にはいられなかった。
倉瀬君は何も悪くない。悪いのは私だ。
思ってしまったのだ。今日の練習中に。いや、もしかしたら昨日の段階で頭のどこかにあったのかもしれない。
もし、今度の全国大会で負ければ、倉瀬君ともう1年一緒にいられるんじゃないか。
そんな、最低な考えが。
一度浮かんだその考えは、頭の中に居座って離れなくなってしまった。こんな状態では、勝てる試合も勝てない。
そして、もし本当に負けた時。倉瀬君の慰めに、「来年また頑張ろう」という励ましの言葉に……安堵や、喜びを感じてしまったら。
その瞬間、競技者としての渡井愛佳は完全に死ぬ。あとに残るのは、恋に狂った馬鹿で愚かな女だけだ。
もしそうなったら、私は一生自分を許せない。
競技者としての誇りを捨て、倉瀬君の優しさを利用してまで、彼の隣に居続けることなど出来ない。
仮に恥を捨ててそうしたところで、私が本当に欲しいものは手に入らない。ただ一方的に奉仕されるだけの関係は、対等じゃない。そんなものを恋人とは言わない。
「ごめん、ごめん……っ!」
こんな私でごめん。私の弱さが、あなたを傷付けた。
ああ、もういっそのこと、全て打ち明けてしまおうか。
今から後を追いかけ、その背にすがって全てを吐き出せば、この胸の痛みは治まるだろうか。
そんな考えが頭に浮かび、すぐに自分で打ち消す。
言えるはずがない。
倉瀬君は、競技者としての渡井愛佳に恋をしたと言ったのだ。競技者渡井愛佳が、全国大会優勝という夢を果たすところを見たいと。そう言ったのだ。
そんな彼に、今の私を見せることなんて出来ない。こんな浅ましくみっともない自分を見せて、失望されるのが怖い。倉瀬君に失望されたという思いを抱えたまま、競技者として腐っていくのが恐ろしい。
倉瀬君に見放され、競技者としても死んでしまえば、私には何も残らない。
今まで積み上げてきた努力が、今まで支えてきてくれた人達の思いが、全て無駄になってしまう。
倉瀬君の思いも、献身も、全て無駄に……無駄に、したくなければ……
「勝つしか、ない」
そうだ。それしかない。
倉瀬君に頼らず、自分の手で。この手で夢を掴むしかない。
それが、最低な私が倉瀬君の思いに報いる唯一の方法だ。
そうして初めて、私は倉瀬君と対等な存在になれる。胸を張って彼に好きだと言えるようになれる。
「勝つ。絶対に、勝つ」
両手で顔を覆ったまま、何度も繰り返し自分に言い聞かせる。
勝つ。必ず勝つ。
そこで初めてスタートラインに立てる。
告白も、謝罪も、全てはそれからだ。
待っててなんて言わない。言う資格がない。
振り返らなくていい。こんな身勝手で最低な女、気に掛けなくていい。
今度は、私が追い掛ける。




