クール系女子、服を買う
「う~ん……やっぱりポロシャツの方がいいかな……」
しばらくあちこちの店を見回って、私は倉瀬君に買う服をポロシャツに決めた。
理由は特に大したことではなく、単純に普通のTシャツより襟があった方がオシャレな気がしただけだ。
「うわぁ、ポロシャツだけでも色々あるなぁ」
店の雰囲気や服の値段から1つの店を選んだのだが、そこは品揃えも豊富で、私は選択肢の多さに若干面食らってしまった。
(うぅ~~ん……どういったのがいいんだろう?)
いかんせん自分で服を買った経験がないので、どういった基準で選べばいいのか分からない。
唯一の例外は新体操で着るレオタードだが……あれはどれも派手なデザインばかりだから参考にはならないだろう。
(……というか、そのせいかさっきから派手なデザインの服にばかり目が行ってしまうんだけど……)
ふと気付くと、やたらと原色を使用したシャツやプリント過多なシャツを見てしまっていて、何とも言えない気分になる。
……いや、私自身これを見るまではそのことに気付くことすらなかったんだけど……。
「……うん、流石にこれはナイ」
半ば無意識に手に取り、持ち上げたポロシャツのデザインを見て、思わずそう漏らしてしまう。
そのシャツは、背中に巨大なドクロマークが書いてあり、極めつけはそのドクロの口元におどろおどろしい字体で“KILL!!”と大書されていた。
……半ば無意識とはいえ、こんなシャツを選んだ自分のセンスを疑う。これでは倉瀬君のシャツに文句を付ける権利なんてない。
あの温厚な倉瀬君でも、流石にこれを持って行ったら顔が引き攣るんじゃないだろうか。それはそれでちょっと見てみたい気もするけど、楽しさよりも居た堪れなさが先に来そうだからやめておく。
「あの、何かお困りでしょうか?」
何もなかったことにして、そっとシャツを棚に戻していると、横から若い男性店員に声を掛けられた。
「いえ、大丈夫です」
視線をチラリと声の方に向け、すぐに正面に戻す。
そして、素っ気なさを取り繕うこともなくきっぱりと断った。
……そう、きっぱり断った。にも拘らず、
「あっ、そちらの商品はこの前出たばかりの新色で、今若い人に人気なんですよぉ」
この店員、なぜか追いてくる。
というか商品の説明なんて聞いてないし。本気でこの服を選んだわけじゃないし。
「自分で選んでいるので邪魔しないでください」という無言のアピールをするために、手近にあったのを適当に持ち上げただけだし。
この時点で、私の中の不快感はかなりのレベルに達していた。
私はあまり感情が表に出ないタイプだが、今は眉間にしわが寄っているのが自分でもはっきりと分かる。
きっぱりと断ったのに、それを無視して近付いてくる店員には不快感しか覚えなかった。
(いいって言ってるのに……近付いてこないでよ)
とはいえ、これがただ単純にお節介なだけの店員なら、私もここまでの不快感は抱かなかっただろう。
私が不快に感じた原因の大部分は、チラリと見た店員の眼だ。
かつて週に1回以上のペースで男子に交際を申し込まれていた頃に幾度となく見た、下心を奥に宿した眼。
その眼を見た瞬間に、私はこの店員が気持ち悪くて仕方なくなった。
前を向いていてもはっきりと感じる横からの視線。私の全身を不躾に這い回る視線に、まるでムカデが肌の上を這っているかのような生理的嫌悪感を覚える。
本能的な拒否反応に近い、背筋がざわつくような嫌悪感。これが店内ではなく町中だったら、私は周囲の目も気にせずに足早にこの場から立ち去っていただろう。
「プレゼントですか?」
「ええ、彼氏に」
「……そうですか」
「はい、なので自分で選びたいんです。お手伝いは結構ですよ」
「……分かりました。それではごゆっくり」
そう言って、店員は先程までとは打って変わってあっさりと引いた。
というか、彼氏と言った瞬間に明らかに声のトーンが下がっていた。
まさかとは思うが、仕事中にお客さんにナンパでもするつもりだったのだろうか? あの店員は。
「はあ……」
鬱陶しい店員がいなくなって清々すると同時に、倉瀬君をダシに使ったことに少し罪悪感を覚える。
そしてすぐに、「何を今更」と自嘲した。
元々男除けとして利用するために付き合い始めたようなものだ。半年もその状態を維持しておいて、何を今更……。
「……駄目だ」
また自己嫌悪の渦に陥るところだった。
私は気分を切り替えるように頭を左右に振ると、改めて服選びに取り掛かった。
「う~ん……倉瀬君は青系統の服を着ているイメージがあるけど……たまには赤系統の服とかどうかな? あっ、この服の色はいい感じ」
過去は変えられない。
でも、今を変えることは出来る。
だから、今はこのデートに集中しよう。
これまでの、私と倉瀬君の歪な関係を変えるために。
* * * * * * *
それから私は売り場をぐるぐると回り、臙脂色のポロシャツを買うことにした。
そして、いざレジに向かおうとしたところで……はたと大変まずいことに気付いた。
「私、倉瀬君の服のサイズ知らない……」
これは困った。
こちらから提案しておいて、果たしてこれはいかがなものか。
(えぇ~っと……たしか身長は174ちょっとって言ってたような……。いや、でも身長だけ分かっても正確なサイズは分からないし……店員さんに訊けば……いや、それでも正確なところは分からないか。かと言って本人に訊くっていうのも……)
うんうんと頭を捻っても、妙案は浮かばない。
こうなったら実際に買うのは後回しにしておいて、倉瀬君を呼んで先に見てもらおうか? デザインだけ見てもらって、サイズは本人に選んでもらうってことで……。
(それしかない、かなぁ……なんか締まらないけど)
1人で唸っていると、背後から聞き覚えのある声が掛けられた。
「ヘイ、どうしたんだいメアリー? 俺でよかったら相談に乗るぜぇ?」
「まあボブ、本当に? 助かるわ…………とか言わないからね? なんで当然のような顔でここにいるの、佐奈」
「お前ら早く結婚しろよ」
「はい?」
振り返ると、そこには何やら妙に生暖かいジト目をした佐奈がいた。
なんでそんな目? というか結婚しろってなんのこと?
佐奈の意味不明な態度と発言に首を傾げていると、ふと佐奈の後ろにいる少女が目に入った。
私や佐奈と同い年位に見える可愛らしい少女だが、私には見覚えが無かった。
すると、その視線に気付いたのか、佐奈が背後の彼女に目を遣りながら「ああ」と声を上げた。
「この子はあたしの親友の渡井愛佳ね。そんで、こちらは最近知り合ったチワワさん」
「はじめまして……えっ、チワワさん?」
「はじめまして。一応言っておきますけど、偽名ですから。断じてキラキラネームではないのでそこのところよろしく」
「は、はあ……」
そもそもなんで偽名?
「わざわざ名乗るほどの名前でもないので」
「え?」
「こらこら、地の文を読むな」
「??」
2人の会話がよく分からずに困惑していると、佐奈が軽く咳払いしてから口を開いた。
「まあそれはそれとして……その服ならLサイズだと思うよ。倉瀬君あれで結構肩幅あるし」
「え、あ、そう……」
「……なんか不満そうね?」
「ううん、別に?」
私が知らない倉瀬君の服のサイズを、佐奈が知ってたからってそれが何か? 別に気にしてなんかいませんけども?
「いやいや、目が怒ってるから。クールキャラはどうした」
「オコッテナイヨ」
「なして片言?」
「別にっ!」
そう言い捨てると、私はLサイズの服を引っ掴んでさっさとレジに向かった。
「完全にヤキモチじゃん……どう考えても普通に好きでしょ。なんで自覚無いのよ」
背後で佐奈が何か言ってるのは聞こえたが……足早にレジに向かう私には、何を言っているのかまでは聞き取れなかった。
* * * * * * *
会計を終え、左手にビニール袋を提げて店の外に出ると、佐奈とチワワさんが大学生くらいに見える男3人組と話をしていた。
その3人組の内の1人が、おもむろに私の方を向いた。
その瞬間、ぞわっと胸の奥から不快感が湧き上がった。
(ああ……またナンパか)
急速に頭の中が冷えていく。
私の方を指差しながら何やらまくし立てている3人組の軽薄そうな感じが、どうしようもなく嫌だ。
正直これ以上近付きたくもないが、その相手をしている2人のことを考えるとそうもいかないだろう。
「はあ……」
溜息を吐きつつ、2人の元に向かおうとしたところで──不意に、チワワさんが男3人をどこかに連れて行ってしまった。その場には佐奈だけが、1人ポツンと取り残される。
予想外の事態に少し足を止めてしまったが、チワワさんと3人組が曲がり角の向こうに消えた辺りでようやく動き出し、佐奈の元に向かった。
「佐奈!」
「ん? どしたん」
「いや、どうしたって……あっ、さっきの3人組はチワワさんの知り合いだったの?」
佐奈の何気ない態度に、てっきりナンパではなかったのかと思ったのだが……。
「いや、初対面。さっきの店の中にいたみたいで、一緒にカラオケでも行かないかって」
「やっぱりナンパじゃん! じゃあどうしてチワワさんが?」
「ん? あのままじゃあ男嫌いなあんたの機嫌を損ねそうだったからさ。悪いけど彼女に引き受けてもらったのよ」
「引き受けてもらったって……」
確かに、私は未だに倉瀬君以外の男に関しては軽い男性不信だ。
特に下心を持って言い寄って来る男相手には、反射的に拒否反応が出てしまう。
それ以外の男性全般にまで拒否反応が出る訳ではないが……まあその一事を取っても、男嫌いと言ってもいいかもしれない。
だから、あのままだと私の機嫌が底無しに急降下したのは事実だろうが……いや、今はそんなことよりチワワさんのことだ。
「……大丈夫なの?」
「んん~? まあ大丈夫じゃない?」
「いや、そんな適当な……」
「まあ命までは取らんでしょ」
「いやいや、それは大前提だから」
「分からないよ? もしかしたらヤッちゃうかもしれない」
「だったら尚更助けに行かないとダメでしょ!」
「いやぁ~助けに行くって言っても、所詮他人だし? 巻き添え食いたくないし」
「な……」
佐奈らしくもない薄情なセリフに言葉を失う。
しかし、続く言葉で頭に上りかけた血が急激に下がった。
「まっ、3人程度なら手加減を間違うこともないでしょ」
「うん?」
「ん?」
佐奈と顔を見合わせ、何か決定的なすれ違いが生じているのを感じた。
「……どっちの心配をしてるの?」
「え? さっきの男達の方だけど?」
「……なんで?」
「だって彼女滅茶苦茶強いし。あの男達があんまりしつこいようなら、物理的に黙らして戻って来るでしょ」
「いや、それにしたって……」
さっきの3人組、結構体格よかったし……見に行った方がいいのではないだろうか?
こんな人通りの多いところで万が一もないと思うが、念のために。
そう思って4人が消えた方に足を踏み出したところで、後ろから肩を掴まれた。
振り返ると、何やらバチコンッ☆ と音がしそうなくらい見事なウィンクをした佐奈が、実にうざったらしい笑顔を浮かべていた。
「ところで愛佳、今日のパンツは何色?」
「ふっ!」
「おっぶ!?」
突然のセクハラに咄嗟の腹パンで返すと、佐奈はみぞおちを押さえてその場に蹲ってしまった。
「お、ぐ、かは……」
「……一体なに? いきなり」
「んぶ……い、いや、ちょっと答え合わせを、ね……」
「答え合わせ?」
謎の発言にその真意を尋ねようとすると、佐奈がゆっくりと体を起こした。
「ふふ……相変わらずの威力ね。危うく今朝食べた豚骨ラーメンの味を思い出し掛けたわ」
「朝から豚骨ラーメンて……佐奈の食生活が少し心配になったよ」
「まあそれはともかく……で、何色?」
「……」
「待て待て! 無言で拳を固めるな! これ以上はラーメン出ちゃうから!!」
「……はぁ」
私が溜息と共に握り拳を解くと、佐奈が露骨にほっとした顔をした──のも束の間、ニッとわざとらしい笑みを作る。
「ちなみにあたしの予想は水色に白のレース」
「!?」
「おっ、その反応は図星──」
「ふんっ!」
「貫手ぇ!?」
真っ直ぐに揃えた指先をみぞおちに突き込むと、佐奈は再び体をくの字に折って蹲った。
「~~~~っ!!」
「で、なんでそんなこと知ってるの?」
もはや声もなく悶絶する佐奈にそう問い掛けると、佐奈は顔を傾けて横目でこちらを見上げてきた。
「お、おぅ……どうしたんだい愛佳? まるでゴキブリを見る目だよ?」
「いや、そんな目してないから」
「じゃあ何を見る目?」
「消しゴムのカス、刺し損なったホッチキスの芯、雑誌の伸び切った輪ゴム、靴底にへばりついたガム」
「ゴミならゴミってはっきり言って!? しかもどれも微妙に処理に困るやつ!!」
「……生ごみかな」
「真顔で処理方法検討すんな! まだ使えるから!!」
「リサイクルショップで引き取ってもらえないかな?」
「意地でも捨てたいか! というか買い取りではなく引き取り!?」
激しくツッコミながら、佐奈がゆっくりと起き上がった。
そして腹部を擦りながら、思い付いたように言う。
「念のため言っとくけど、あたし中古じゃないからね? 紛うことなき新品だから。あんたと一緒で──」
「佐奈、踏んでる」
「え? 何を──」
「はっ!」
「えぶっ!!?」
なんだかとんでもなく下品なことを言われた気がしたので、とりあえず下を向いた瞬間に首の後ろを右腕で押さえ、腹部に膝を入れておいた。
「お、おぅ……チャーシューが出てまう……」
「まだ余裕ありそうだね」
というかチャーシュー? もっと他に出やすいものがあると思うけど?
そんなことを考えていると、背後から肩を叩かれた。
振り返ると、いつの間に戻って来たのか、そこには何やら真剣な顔をしたチワワさんがいた。
「渡井さん、あなたいい腕をしてますね。護身術に興味ありません?」
「え? ない、けど……いや、それより。大丈夫だったの?」
そう問い掛けると、チワワさんは少し首を傾げてから、さっきのことだと思い至ったようで、「ああ」と声を上げた。
「大丈夫です。かなりしつこかったですけど、ちょっと抉ったら大人しくなりましたし」
「え……? …………あっ、殴った、ね」
「いや、抉ったんですけど」
「……」
「……」
「……殴ったんだよね?」
「いや、抉りました」
「……そっかぁ」
真顔で言うチワワさんに、私はそれ以上の追求をやめた。
「どこを?」という疑問が喉の奥から出かかったけど、何とか飲み込んだ。
そうしている間に、チワワさんは佐奈に近寄ると、片手でグイッと引き起こした。
「ほら、あんまり邪魔してもなんですし、そろそろ帰りますよ」
「うぶ……ちょっと待って。今チャーシューを胃に戻してるから」
「殴られるって分かってて、なんで下ネタを言うかな……」
「体張ってでも出番を取りに行こうっていう芸人魂が、ね……」
「下ネタ連発のリアクション芸人って、すごいヨゴレね」
「ダーティー仲澤と呼んでくれてもええんやで?」
「あっそう、じゃあサブタイでのあなたの呼び方は“ヨゴレ系女子”で決定ね」
「それはやめて!?」
「それじゃあ渡井さん、また機会があれば」
「あ、うん」
「ああ、またね愛佳。って、本当にやめてよ!? ねぇってば!!」
忙しなく去って行く2人を見送ってから、私は時間を確認した。
時刻は10時27分。倉瀬君と約束した時間まであと少しだった。
「倉瀬君……どんな顔するかな?」
袋の中の自分が買った服を改めて覗き込み、想像を膨らませる。
倉瀬君は喜んでくれるだろうか? それとも戸惑った顔をするだろうか。
どちらでもいい。どちらの反応でも見てみたい。
少しの不安とそれ以上の期待を胸に、私は待ち合わせ場所へと歩き出した。
そして……すぐにその足取りが妙に弾んでいることに気付いて、なんだか無性に気恥ずかしくなった。
「んんっ」
私は誰に聞かせるでもなく咳払いをすると、近くのお店のガラスに映る自分の姿を確認しながら、前髪を手櫛で梳いて整えた。
「ん、これでよし」
そう呟くと、今度は少しゆっくりと待ち合わせ場所へと向かった。
……ガラスに映った自分の頬が少し赤くなっていたことには、気付かないフリをして。
【ただいまぁ~】【あっ、やっと帰って来た。もう時間だぞ】【え、マジで? やばいやばい。んんっ】
ピンポンパンポーン(⤴)
《 『断食系男子、悟りを開く』にお越しの皆様にお知らせします。予想通りというかなんというか、出演者が好き勝手動くせいで、物語の進行が予定よりも大幅に遅れています。つきましては、本編の話数を25話前後まで延長することに致しました。お越しの皆様には大変ご迷惑をお掛けすることを深くお詫び申し上げます。これからも『断食系男子、悟りを開く』をよろしくお願い申し上げます。まったく、般若心経は最高だぜ 》
ピンポンパンポーン(⤵)
【……出演者が勝手に動くって……お前が言うかよ。裏方のくせにやりたい放題やりやがって】【え? なんだって?】【抉りたい、この笑顔】




