第44話 ロシアの特色ある民主主義
(結局のところ、投票する者は何も決定できない。投票を集計する者が全てを決定するのだ……)
皇帝ニコライ2世は「選挙権の拡大」を民主主義とすり替え、大衆動員を進める一方で「挙国一致戦時内閣」の協力を得て国家機構の中央集権化を推進し、戦争という大義名分のもと次々に「非常事大権」に基づく権威主義体制の構築を進めていった。
ロシア革命を経験しているスターリンは、従来の伝統的権威だけでは帝政が維持できないことにも気づいていた。
スターリンの考える新しい皇帝像は、どちらかといえばナポレオン3世のフランス第2帝政やドイツ帝国、そして大日本帝国のそれに近い。
つまるところ軍国主義とボナパルティズムの一体化であり、軍隊という権力と皇帝という権威で国をまとめ上げ、開発独裁的な手法を用いて「富国強兵」に邁進するのである。
特に戦争に勝利するため軍需産業には重点が置かれ、巨大財閥との協力や国策企業を通じて国家主導で強力な軍産複合体が作られた。
こうした「上からの統合」に加えて、大衆動員的な「下からの統合」についても皇帝ニコライ2世は着々と進めていた。
(ロシア革命で積極的に帝政を打倒しようとしたのは主に都市部のプロレタリアートと一部の高学歴エリートで、保守的な農民や貴族、軍部と大ブルジョワジーはそうではなかった)
皇帝ニコライ2世は選挙権の拡大を国民に約束し、「全ての国民が参加する」という大義名分のもとエリートたちから議会の実権を奪おうとしていた。
(チョビ髭の奴は、大衆心理をよく分かっていた。‟弱い指導者”を望む連中は基本的にエリート層で、むしろ大衆は‟強い指導者”を望むものだ)
「自立した個人」などというのは、一部のエリートにしか当てはまらない。大抵の民衆は「自立できない個人」であり、災害や恐慌に直面した時、国家の保護なしには生きてゆけないのだから。
―――自助より共助、共助より公助。団結は力なり!
―――秩序に勝る自由なし。競争より協調を!
―――皆で力を合わせて、国難を乗り越えよう!
皇帝ニコライ2世ことスターリンは、プロパガンダにも徹底的に力を注いだ。
戦争という非常事態を大義名分に、「自由主義」と「個人主義」を否定して「権威主義」と「集団主義」を説き、社会奉仕・自己犠牲・治安維持こそが勝利と繁栄を導くと大衆を扇動する。
ここで重要な役割を果たしたのが、ロシア正教会を統括する聖務会院の存在であった。ロシア正教会は皇室との関係が深く、西欧と違ってロシア皇帝は宗教指導者でもある。
ニコライ2世はロシア正教会の救貧活動を支援することで貧困層を取り込み、宗教右派は熱心な皇帝支持者からなる票田へと変貌していく。
こうしたプロパガンダが功を為し、皇帝支持を訴える右派ブロックへ入党する者は激増した。
これに慌てたのが、既存エリートたちである。彼らは右翼ブロックを「ポピュリズム」と批判するものの、かえって「それこそが民主主義の本質ではないか」「民意が自由よりも安定を望むのならば、自由を制限することこそ民主主義」「民意を否定するな」と反論される始末。
「選挙で勝ったのだからといって、何をしてもいいわけではない」
知識人主体の民主主義社会運動であるナロードニキの有力者、ニコライ・ミハイロフスキーはこうした多数決=民主主義という風潮に苦言を呈するも、無学な大衆にはほとんど違いが理解されることはなかった。
これに対して反論したのが、大衆人気の高い下院議員のアレクサンドル・ケレンスキーであった。
「政策に不満があるのなら、次の選挙で合法的に勝てば良い。選挙権という権利には、選挙結果に責任を持つという義務が伴う」
かつては反帝政の急先鋒であったケレンスキーだが、第一次世界大戦を通じて愛国主義に目覚め、ラスプーチンの追放や選挙権の拡大を実行した皇帝ニコライ2世に傾倒するようになり、今や「大連立」政権の中でめきめきと頭角を現し始めている。
ケレンスキーは民主主義者であったが、自由民主主義者ではなかった。彼が帝政に不満を抱いたのはあくまで政治の主導権を皇室を始めとする既得権益エリートが握っていたからである。
大衆が政治に参加して大衆主導の下で帝政支持や中央集権化体制を志向するのであれば、結果的に権威主義体制になろうとも「手続きに民意が反映されている」から問題ではない。
「我々はロシア人による、ロシア人の為の政治を実現させねばならない!」
加えて愛国主義に目覚めたケレンスキーは戦争を通じて「国民国家」建設の重要性を痛感しており、コサックや貴族に農民といった封建的な身分を一元的で同質性の高い国民……一枚岩のロシア人へと作り替える必要を感じてもいた。
「全てのロシア人の共通利益の為に!」
ケレンスキーの思想・主張はこの言葉に集約されており、均質な国民を前提とした一枚岩主義という点ではさほどスターリンと違いがあるわけではなかった。
「社会の問題に対して、均質な国民であるロシア人の利益は最終的に1つに集約できるものであります! そして普通選挙を通じて選ばれた議会は一枚岩である国民全体の公共利益を代表し、それを効率的に推し進めることこそが、民主主義的でありながら集権的な‟ロシアの特色ある民主主義”なのです!」
早い話が、多様性の否定であった。
ケレンスキーは民意を重んじる立場であったが、戦時ということもあって「民意は1つに集約されるべき」だと考えており、「多様な民意を認めるべき」という多元主義には否定的である。
これは「民意を重んじる」という意味では同じ民主主義でも、多様な民族・宗教・思想を持つ団体や勢力が存在し、「民意とは多元的なものである」と考えて「総論賛成、各論反対」のまま、住み分けと共存を図るアメリカのような分権型システムと大きく異なる点であった。
平時であればまだ「多様性」を盾に多元主義にも理解を示す者は少なくなかっただろうが、戦時にあって多様性と意見の不一致は無秩序と結びつけられ、一枚岩主義は安定と秩序へと結びつけられていく。
そして第一次世界大戦という経験を通じて「中央同盟」という共通の敵を得た‟ロシア人”は歴史の中で初めて一つに団結し、国民間の同質性を高めていこうという国民国家建設の機運の高まりとともに、強くて効率的なリーダーシップを求めていくようになる。
そればかりではない。
民衆に誰を指導者にするか任せるということは、民衆の教育水準やリテラシーがダイレクトに反映されることをも意味する。
分かりやすい目先の利益、分かりやすいスローガン、かっこいい候補者、立派な肩書……そうしたものに左右される程度には、当時のロシアの所謂「民度」は大して高くも無かった。
「――金だ!金ならいくらでもある!私が議員になった暁には、当選させてくれた地区住民全員にボーナスを支給しよう!」
「――この儂こそが、真のロシア皇室の血を継ぐ者である!既存の腐りきった官僚どもを一掃してくれよう! 清き一票を!」
「――祖国は危機にあり! ユダヤの売国奴どもを血祭りにあげ、我々はこの戦争に勝利して憎きドイツから多額の賠償金を巻き上げる!我ら愛国騎士団のもとへ集うのだ!」
「――我らはこれまで貴族と資本家に搾取されてきた! 資本主義の犬どもを一掃し、今こそ長時間労働に転売や便乗値上げを厳しく取り締まり、最低賃金を倍にして豊かな社会を作るのだ! 万国の労働者よ、団結せよ!」
案の定、ロシア初の普通選挙では、バラまき候補、偽皇族、ユダヤ陰謀論者、左派ポピュリストとロクでも無い泡まつ候補者のオンパレードである。
「……これなら、帝政のままでも良かったんじゃないか?」
「そもそも儂は文字が読めないんじゃが」
「投票用紙の一番大きい丸が『大連立』の推薦候補だよ」
「やっぱり、なるべく今までの帝政に近い『大連立』推薦候補に投票しようかな……」
混乱の中、人は迷うと大抵は既存の権威なり伝統なりという、安全策を選択肢として選びがちでもある。
***
――かくして、ロシア初の国民総選挙は皇帝ニコライ2世の予想通り、皇帝支持・既存路線の継続を訴えた『大連立』候補が圧倒的多数で当選し、議会は与党たる『大連立』が完全に支配することとなった。
この結果を受けた『立憲民主党』や『十月党』たちは、ますます『大連立』への依存を強めていった。
地方議会の選挙でも相乗りが相次ぎ、多くの政党が官選候補を共通候補者として支持する「オール与党」状態が相次ぐ。
こうなってしまっては、もはや選挙とは形ばかりであった。官選候補に対する対抗馬がいないため、国民には選挙権があるといっても、事実上『大連立』推薦の単一の候補者を信任するか不信任かの選択肢しか与えられていない。いわゆる信任投票である。
もちろん中には気骨のある無所属議員が立候補することもあったが、そうした候補者を当選させた都市や地方には助成金の削減といった冷遇に加え、与党政治家や与党に対する政策批判を個人や集団への名誉毀損、内乱・騒乱罪にすり変えての刑事罰など、次々に合法的に処分していった。
そしてトドメはゲリマンダーと利権談合であり、公共事業や補助金といった利権を通じて労働組合・農業組合を買収していく集票工作を行った。
ここに至っては政党政治は名ばかりとなり、現実を見せつけられたミリュコーフら進歩派の政治家たちも「体制と敵対するのではなく、体制と協力して内側から改革すべき」と妥協に動いた。
こうして『大連立』は常態化し、「大ロシア翼賛会」なる唯一の院内会派の成立と共に、議会からは自由な議論や批判が失われ、内閣や国務大臣の決定を形式的に承認するだけの「翼賛議会」へと変質する。
名目上は多党制であるが、常態化した大連立によって、いまや「立憲民主党」や「十月党」は別の政党というより、1つの政党内の派閥というのが実態であった。
ある意味ではレーニン時代の「民主集中制」の原則である、「批判の自由と行動の統一」に回帰しているとみなせるのかもしれない。
つまり閣議や党内委員会での批判は自由だが、議論を政府の外へ持ち出すことは認められず、また最終的な内閣の決定に反する行動を行ってはならないというもの。
かつてスターリンは「党内における分派形成の禁止」を布告することで、レーニン時代の「民主集中制」を完全に一枚岩の組織構造へと変質させたが、今回は事情が違った。
なぜなら「共産党員の一人」に過ぎなかった書記長スターリンと、「神の代理人」たる皇帝ニコライ2世では、権力が同じであっても権威が圧倒的に違う。
むしろ唯一絶対の皇帝としての立場であれば、その権威を用いて派閥の調停をすることにより、己の権力と権威を高めることが見込める。
(というか身も蓋も無い話をしてしまえば、分派形成の禁止はあまり意味が無かったな……)
思い返せば、表立った派閥の集会といったものはなかったものの、実際にはベリヤ派とフルシチョフ派のような派閥がスターリン政権末期には実態として存在した。
スターリン自身、そうした側近同士の争いを利用して権力を維持していたのだから、「分派形成の禁止」に関しては手の平を返すことにした。
「批判は自由だが、行動は統一すべきであろう。民主主義的中央集権主義こそ、ロシアが今まさに必要としているものなのだから」
こうしてロシア帝国は事実上の「一国一党」体制を樹立し、総力戦に向けて国力を総動員していくことになる。
権力分立や三権分立は実質的に否定され、むしろ「縦割り打破」をスローガンに、権力集中によって政府を効率化していく流れが加速していく。
中央政府の権力集中だけにとどまらず、地方においても既存の労働組合や伝統的な農村共同体が解体される一方、ロシア国民は国家主導の御用的労働組合や集団農場へと再編され、ピラミッド状の超中央集権体制が確立する。
与党の大集会は全国各地で開かれ、数十万もの人々が参加しては街道を埋め尽くし、大衆の力を見せつけることで反対派を威嚇する。右派の民兵がパレードに参加し、緑の制服は群衆の中でもすぐ見分けることが出来る。
集会で語られるテーマは様々だが、主に勝利と栄光の回復、帝国の完全なる改革、そして生ける巨人ニコライ2世であった。
これを支援するのがロシア全土にネットワークを張り巡らせた正教会と、テクノクラシーとして厳しい公務員試験を突破したエリート官僚、そして肥大化した軍を支える軍産複合体だ。
もちろん、実働部隊たる軍隊と秘密警察もしっかりと皇帝が手綱を握っており、この党・軍・秘密警察という三種の神器に支えられ、ロシア帝国は全く無駄のない合理的かつ効率的な戦争マシーンへと生まれ変わろうとしていた。
長々と書いたけど、早い話が「銀英伝」の銀河帝国をラインハルトが再編し、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが終生執政官だった銀河連邦末期時代に先祖返りさせて名ばかり民主主義を復活させたとイメージしていただければ。
というか銀河帝国でラインハルトが選挙やれば、普通に圧倒的支持で民主的かつ合法的な独裁政権が誕生しそう。
ケレンスキーに関しては政権掌握後に割とワンマンで国を動かそうとしていたので、反帝政であっても反権威主義者ではないと解釈しました。
あと作者の個人的な解釈ですが、エリートより民意を重視するというのが民主制で、利益の集約が一元的か多元的かで民主主義の中でも自由民主主義とポピュリズムが区別されるのかなと。
人口が少ない国なら①と②はほぼ同一だけど、億単位の国民を抱える国だと色々な民意が出てきて、無理矢理まとめようとすると①に、なんとか調整するのが②だけど調整がうまくいかないと「決められない政治」化するイメージ。
民主制
①利益の一元化・民意重視:ポピュリズム
②利益の多元化・民意重視:自由民主主義
寡頭制
③利益の一元化・エリート重視:独裁・貴族政治
④利益の多元化・エリート重視:テクノクラシー




