第十四章「滅びゆく世界の檻で」2
可憐はゾンビのように再び男性医師が急に起き上がらないことを確かめると栄治のいる病室へと急いだ。
(どういう経緯であの人が正気を失って怪物のようになってしまったのかは分からないけど、今は栄治の無事を確認しないと…!)
栄治の安否は可憐自身の戦意にも関わることだった。
そのため、可憐は原因を突き止める前に栄治の無事を一早く確かめたかった。
バタバタと走って病室に入る可憐、そのままベッドを囲うカーテンを開くと前回会った時と変わらない元気な姿で白いベッドに座る栄治がいた。
「……よかった、無事だったんだね」
先ほどまでの恐怖の現場から離れたことと、栄治の無事を確認できたこと、二つを同時に実感した可憐は息を切らしていたが、安堵して大きく息を吐いた。
「可憐……何か病院がずっと騒がしいけど何かあったのか?」
「うん……変質者が入って来て騒ぎになってたみたい。さっき解決したみたいだけど」
どう説明するのが良いか、迷った挙句可憐は栄治を安心させ、病室から出ないようにしてもらうために半分嘘を付くことにした。
この時、可憐は既に栄治の無事を確認した後で病院の様子を見回り、原因となる主犯格を捜索することを決めていた。
(ここからじゃ距離が離れすぎてテレパシー能力も使えない……。通信機器が使えない現状では茜先輩達にすぐに救援を頼むことも出来ない。私が何とか病院にいる人たちを助けないと……)
魔法使いとして茜達と行動を共にしてきた可憐にはすっかり責任感が芽生えていた。
この階に来た時から感じるピリピリとした禍々しい殺気のようなものはまだ消えていない。
さっきのような異常者がまだこの病院を徘徊して誰かを襲っている可能性は十分にあると可憐は考えていた。
「本当か……明日には退院できるっていうのに、ついてないぜ……。
ケータイの電波は通じないし、テレビもつかねぇ……。
退屈にもほどがあるっての」
愚痴を吐けるだけの気力も体力もあるなら栄治は大丈夫だと可憐は思った。
「私も同じ、だからずっと今日一日心配してたんだ。
よかった……本当に、よかった」
可憐は瞳を輝かせ、愛する栄治の身体に我慢しきれず抱きついた。
スッと包み込まれていく身体、穏やかな気持ちにさせてくれる温かくて大きな身体。可憐は瞳を潤ませながら自分がここまで来るのにどれだけ不安と恐怖に苛まれていたのかを再認識した。
「泣くことねぇだろ……だって、いつでも会えるんだからよ」
運動部の栄治らしい平然とした言葉。
これから戦わなければならない可憐にとって、栄治の言葉は確かな勇気を与えてくれた。
「うん、でもね、本当に嬉しいの。栄治がいなかったら、私はもっと弱虫で、強くなれないままだったから」
当たり前のように頬擦りをしながらそのままキスを交わす。
付き合って仲良くなるまでが早かった二人には自然なスキンシップだった。
「そうか、ありがとな。俺も可憐がいるからリハビリ頑張って、またサッカーをプレイしたいって本気で思えるよ」
「うん……うんっ!」
栄治の言葉に感極まって声が震える可憐。
身体で触れ合う時間に合わせて満たされていく幸福感。
自分が生きている意味を見い出した可憐は身体を離し、栄治の瞳を真っすぐに見つめた。
その時、サイレンのような警報音が病院中に響き渡った。
非常用ベルを誰かが鳴らしたのだと可憐は直感した。
怪物のように豹変した人がまた誰かを襲っているのだ。
「よかった……栄治がずっとそばにいてくれるってだけで私は頑張れるよ。
うん……大丈夫、私は行ってくるよ。だから、慌てないでここで待っていて」
可憐は栄治との先の先の未来までを空想し、覚悟を決めた。
自分がこの困難に立ち向かい、勝ち取ってこそ訪れる幸せな未来なのだと。
「おい、可憐……」
離れていく可憐へ手を伸ばしてもう一度その身体の感触を求めようとする栄治にそっと優しく可憐は首を振った。
「大丈夫だから、ちょっと売店に買い物に行ってくるだけ。すぐに帰ってくるよ。そうしたら、もっとキスしよう」
簡単な優しい嘘ではあったが、すぐにでもキスをしたい衝動があるのは本当だった。
何度も身体を合わせ、その度に愛欲を刻み込まれた蜜月の日々、可憐は本当に彼の子どもが欲しいとさえ思った。
そうした想いが可憐を今、熾烈な戦場に向かわせるほど奮い立たせていた。
「それじゃあね」手を振りながら笑顔を浮かべそう言い残すと、可憐は病室を出て下の階に確かな気配を感じ取った。
(栄治……私は魔法使いだから、行くよ。信じていて、ずっと愛しているから)
自分はまだ世の中のことを何も知らない初心で幼い子どもなのかもしれない。
そう可憐は思ったが、大切な人を守りたいと思う気持ちは尊いものに違いはなく、本物であると信じたかった。
迷いを捨て、恐怖心と向き合う意志を強く持った可憐は階段へと急いだ。




