第十三章「異変の始まり」1
―――厄災一日目、片桐家にて。
学園に通う早朝、茜は愛犬のブラウンが咆える遠吠えで目を覚ました。
「ううぅうぅ……ブラウン、どうしちゃったの」
枕元に置いている母から譲り受けためざましくんの目覚まし時計を眠気眼で確認すると五時半を指していた。
茜がブラウンの様子を確認しようとすぐそばにある窓を開くと季節外れの冷たい風が部屋に入り込んできた。
二階の窓から覗き込むように身体を伸ばすとブラウンが落ち着きなく犬小屋から出て舌を出していた。
「昨日も珍しく咆えてたけど、地震の予兆じゃないよね……」
前日に続く異常に陰を落とす茜。
冷たい風を浴び、すっかり目が覚めてしまった茜はTシャツと短パンの寝間着姿からランニング用に上下ジャージ姿に着替えた。
暑さに耐えられずTシャツ姿で走ることもあるが、出来るだけ汗を掻いて下着が透けてしまうのは避けたい。今日は肌寒さもありジャージでも耐えられるはずと茜は思った。
着替えを済ませ、リビングに付いた茜はテレビを付け、台所に向かうとトーストパンと牛乳の準備をした。
準備をしながらテレビから音声が聞えてくる。
連日続くサイバーテロや世界的に広がる通信障害のニュースばかりが報道されていた。
コンピュータのことは詳しくないのでよく分からないが、戦争が落ち着いても世界はまた違う問題にぶち当たっている。そんなことを茜は思った。
食事中は環境音のようにニュースは聞き流し、十分ほどで軽い朝食を終えると茜は玄関を出てブラウンの様子を確認しに向かった。
茜の姿を見つけた途端、ブラウンは安心した様子で咆えるのをやめた。
「どうしたブラウン……心配事でもあったの?」
茜が駆け寄って優しく体毛に覆われた背中や首を撫でるとブラウンは途端に甘えるように体の力を抜いて大人しくなった。
「そっか……大丈夫だよ、あたしがそばにいるから」
愛おしく頬擦りをしてくる愛犬にすっかり癒された茜は、少しいつもより早い時間だったがリードを手に持ち散歩を開始した。
*
「異常気象……かしらね。連絡は繋がらないし、調子が狂うわね」
朝、まだ目が覚めたばかりの私は九月下旬にも関わらず肌寒さを覚えた。
激しい寒暖差に布団が恋しくなる、何とも目覚めの悪い朝だった。
身体が丈夫なおかげでそこまで体調には響くことはない程度であったが、同居する娘の凛音の方は急な寒さの影響が深刻な様子で、普段は私よりも早く起きて朝食の準備をしているのに、起きたのは私がコーヒーを飲みながらテレビを見ている時間になってからであった。
テレビでは主にGAFAやSNSプラットフォームを狙ったサイバー攻撃のニュースが大々的に報道されていた。
各社の損害は数十億から数百億とも言われているが、復旧しては再び大規模な障害を起こし、サービスが停止されている事態を見ると、前例を見ない未曽有の損害を招くと考えられる。
より深刻なのは問題がこれに限らず、大規模な通信ネットワーク障害が引き起こされていることだ。
問題がインターネットのプラットフォームサービスに限らず、通信会社にも巻き起こっていること、これがさらに混乱に拍車をかけていると言える。
通信が繋がりにくい、途切れる程度だったネットワーク障害は徐々に深刻さを増し、昨日はついに携帯でもパソコンでも夫との連絡が取れなくなった。
今朝には復旧していたが生体ネットワークを開発している夫であれば、この異常事態の原因が憶測ではなく、ある程度判明していることを期待していた。だが、これまで聞いた話ではプログラムで自動生成されたコンピューターウィルスによってサイバー攻撃を行う、サイバーテロだという可能性だった。
コンピューターウィルスによる犯行であれば繁殖力が前例を見ないものであることから、相当な設備と実力を持ったハッカーによる犯行だろうと言っていた。
しかし、これまでの歴史において人類は大規模通信障害を何度も経験しており、その度に大きな損害と社会問題を抱えてきたことから、対策は多く展開されてきた。
地震などによるインフラの被害でないにもかかわらず、ここまで危機的な事態になっているのは憂鬱になる。ここは我慢のしどころなのかもしれない。
「あの人は対応に追われていてなかなか苦労してるって言ってたから……本当に通信が回復するのをここは堪えて待つしかないわね」
夫と急に連絡できなくなると不安になる。普段は思いもしないのに声が聞きたいと、今すぐでも会いに行きたいという衝動に駆られる。
そんな身勝手なこと、出来ないと分かっているのに、急に結婚前のように夫のことが恋しくなっている自分がいた。
今回の一連のネットワーク障害が明らかにユーザー側の問題ではない現状では、サーバー側が狙われている予測はほぼ確実なものだ。
なぜサイバー攻撃が続いているのかはいまだ不明で、原因となるものも分からない。
一ユーザーに過ぎない私としては、状況が改善されるのを待つことしか出来ないのが現実だ。
生体ネットワークの方もこちら側からデータを送り続けるだけの状況で、向こうに無事データが送信できているかも確認できていない。
ストレスばかりが溜まっていくこの現実に嫌気が差しながら、私は車のエンジンを掛け、いつもの白のYシャツに黒のタイトスカートを履いた姿で学園へと向かった。




