第十二章「それぞれの願い」2
三人で暮らす立派な一軒家の玄関を私はくぐり、リビングまで案内される。
お尻が沈み優しく包み込んでくれるような上等なソファーに座り、二人と向かい合って座ると、外を歩いてきた私には嬉しい冷たいコーヒーが出てきた。芳醇なコクと香りが漂うブルーマウンテンだった。
「コーヒー好きは夫の趣味が移ったようなものです。どうぞ召し上がってください」
「ありがとうございます。こんな立派なおもてなしを……」
男臭い空間だった研究所時代では考えられないほどに優雅な歓迎を受け、柄にもなく嬉しくなりながらコップに手を伸ばす。暑い季節に染み渡る美味しさだった。
「夫はちょっと歳が上になりますけど、私とは歳が近いですから、色々とお話しを聞かせてくださいませ」
そう気さくに話しかけてくれる茜の母親。それから最初こそ遠慮がちだったものの、真っすぐに生きている茜の話しをしながら、段々と打ち解け合って、話しは自然と弾んでいった。
音楽プロデューサーをしている片桐哲弥さんと声優をしている片桐美紀さん。共働き夫婦の二人は私に親近感を抱き、素直に好感を持っているのがよく分かるほど共通点が多かった。
美紀さんは私と歳が一つ違うだけで若くして結婚し、茜を産み育ててきた。
哲弥さんも音楽プロデューサーという立派な立場であるだけあって年上で、私の夫とも共通している。
凛音と同じで茜も一人娘ということも含め、共通点は多かった。
話しは続いていき、夜な夜な外を出歩いてしている魔法戦士の活動の話題に入っていった。
「変わった子でしょう……昔からなんです。困っている人がいたら放っておけない性格で。私が出演する作品を見ていたからというのもあるかもしれませんが、幼い頃からアニメや漫画が好きで、特に魔法少女がとても好きでした。
私の代表作でもあったんです。幼い頃に言っていました、お母さんが魔法少女になれたのなら、茜はもっとすごい、本物の魔法少女になるって。
その時の会話は冗談に過ぎないことでしたが、今の状況から考えると感慨深いものです」
声優という命を登場人物に吹き込む仕事をしている美紀さんらしい言葉だと私は感じた。
「お二人は本当に信じていらっしゃるのですか?」
ずっと疑問に思っていたことだ。二人は見たこともないゴーストの存在を信じているのか。
「あの子が真剣になっているのを見れば嫌でも信じたくもなります。
いえ、そうではないですね。
否定することの方が親失格だと思うんです。
だって、あの子に夢を見せてしまったのは私自身なのですから」
夢……シンプルなようでいて、今の現実から鑑みると重く受け止めてしまうものだった。
「私は茜さんほどの正義感はありません。ですが、その折れない心の強さは見習うところがあると思っています。大人になった今となって見失ってはいけない大切なことを教えられているような……そんな心地です。
クラス担任や部活の顧問をしていることで茜さんと関わる機会は多いので気になることは多くありましたが、茜さんのルーツはお二人の聡明さにあったのですね」
人を誉め慣れていない私は慎重に言葉を選別しながら二人に答えた。
「先生がそばにいてくれるだけで私共も安心できます。
芯が強くて、迷いのない子ほど、無茶をしてしまうのは心得ています。
あの子に何かあるとすれば、それは私共の責任でもあります」
両親のこの先のことまで見据えて私を気遣ってくれている言葉に胸が苦しくなった。
私や茜のために本質的な願望を封じて、寄り添ってくれているのだ。
自然と唇が渇いてしまう自分を感じた。
「私の娘、凛音と同じく茜さんのことを精一杯見守ってまいります」
これからも危険が伴うゴースト退治をする茜を認めてくれる二人のため、私は自分にできる限りの誠意を込めて言った。
私が真剣な表情を浮かべていたからか、その緊張を和らげようと美紀さんは穏やかな表情を浮かべた口を開いた。
「一度だけ思い悩んでいるあの子に言った言葉があります。
最初から悪人だった人はいないって。
悪い人に見えるとすれば、そこには悪に染まるだけの理由や事情があって、本質的にはその人も歪んだ環境の中で生まれた不幸な人の一人なんだって。
人は生まれてからずっと選択することの出来ないことで溢れている。
それは、自身の才能や親を含めた家庭環境、生まれた土地や生まれた年代に至るまで、選ぶことの出来ない運命で溢れている。
だから、恵まれない人生に苦しんでいる人はたくさんいるのよって」
そこまで娘のために言ってあげられる美紀さんは、心にゆとりのある優しい人なのだろうと改めて私は思った。
「たくさんのお話しを聞かせて頂きありがとうございます。
私も改めて娘の事や茜さんのことを考える良い機会になりました」
この街にやって来て、多くの出会いを経て季節は流れていく。
私は……この先も茜たちを見守っていく気持ちを新たにした。
茜をずっと見てきて思っていた通りの心優しい両親と穏やかな時を過ごした私は、二人に感謝を伝え、茜が家に帰ってくる前に片桐家を後にした。




