第十一章後編「夏色ホームパーティー」4
「先生、こんなところにいたんですね」
二階のベランダで一人、喫煙をしていると茜が顔を出した。
「どうしたの? みんなと一緒にいなくていいのかしら?」
「ちょっと先生の声が聞きたくなりました」
「そう……物珍しいことをいうのね」
私は夕陽に照らされる茜の姿を眩しく感じて、思わず照れ隠しで視線をそらして、短くなったタバコを携帯灰皿に突っ込んだ。
「先生、あたしはずっと為すべきことを成していれば、自分の心も救われると思って生きてきました」
大人の真似をして、背伸びしたくなる年頃の子によくあることだ。
自分の中の正義を世間的な要望に合わせて為すべきことを成そうとする。
そうして人に感謝される経験を重ねれば、自身の自己肯定感に繋がり、自分の心を救うことにもなるだろう。
「あたしはこのままの自分でいいのでしょうか?」
茜が私の方を見る。私に助言なり勇気の出る言葉を求めていることはよく分かった。
「そうね、どこまで行っても救われる人と救われない人はいるわ。
平均以上の暮らしをしていても、不安に襲われる人はいる、嫉妬の炎に焼かれながらね。
それは悲しいことだけど、世界を見渡せば突然戦端が開かれて多くの人が命を落とすことだってある。
ロシアとウクライナの戦争にしたって中東戦争にしたってそうよ。
戦火が広がり、そこに住んでいるというだけで巻き込まれて家族や友人を失っていく。
そんな理不尽に慣れてしまっている人もいるけど、それはとても不幸なことよ。
日本だってかつてはそうだった。でも、先代はそれを忘れようとするため、経済を発展させ、荒廃した街を復興させることで乗り越えようとした。
一部の国民や政治家は忘れない意志を示すことで戦争を繰り返さない思想を育てたけど、その名残りが私たちが神社に参拝することを欠かさないことにあるんじゃないかしら。A級戦犯が眠っているにしても、靖国神社に参拝することを大切にするのはそういうことでしょう?
だから、戦争のない平和な世界にいられる人は本当はそれだけで恵まれていて、自分の内側にある悩みなんて本質的に鑑みれば小さいもののはずなのよ。
そういう当たり前で大切なことを伝えるのは難しいことだけどね」
「あたし達、今の時代を生きる人間に出来ることは、戦争を繰り返さないため、苦しい思いをさせないように、人々を守っていくことだけ……」
「十分すぎることだわ。要は戦争する方がマシな現実にさえならなければ、極端な侵略を人は起こさなくても済むのよ。
負の感情を育てないように、そのために目を光らせる仕組みが本当は必要なのよ」
まさに先生と生徒の関係を如実に表すように、二人は少しずつ日が沈んでいく時の中、かけがえのないひと時を過ごした。




