第九章「ゴーストサイドセンセーション」7
「まさか……監禁場所が学園の敷地内というのは考えもしませんでした」
昨日からの疲れで疲労困憊となっている雨音が小声で言った。
もしも、リリスと遭遇し戦闘になれば危ない状況だった。
「そうね、本当にここに茜がいるなら、私たちの行動範囲の裏を掻いた犯行と言えるわね」
「でも、今思えば裏を掻いてくる方があの悪霊のリリスらしいとも思えますね」
麻里江は私の予想に反して冷静で目は鋭く真剣そのもので戦闘準備に入っていた。
戦いとなれば迷いなく容赦はしない、最善の行動を持って必ず茜を救い出そうという意志の強さが滲み出ていた。
「教会という場所だから疑わなかったけど、ここはやっぱり変ね」
「先生もそう思いますか?」
麻里江と私の意見は一致した。そう、ファイアウォールが掛けられているように気配が遮断されているのだ。
人の気配もなく防音室の中のように静かな空間。
それだけでなく、本来近くにいれば感じ取れるはずの可憐の魔力の波形すら、中に侵入しただけで感じられない、異常というほかなかった。
「もし、戦闘が始まったら先生は可憐を呼びに行ってください。
先生を守りながら戦えるほど、リリスは簡単な相手ではありません」
気付けば麻里江が先導して教会の地下へと下っていた。
確かに麻里江の言葉通り私は戦力にはなれない。実家でも長女を務める頼りがいのある彼女の言葉を信じるべきだろう。
リリスが今までのゴーストとは全く異なった性質を持ち合せている以上、麻里江の危機管理は正常なものと認めるのが妥当だった。
魔力の波形を隠す意味でも、防音を重視するうえでも都合が良かったのか、階段を降り終わって考えれば考えるほど、茜を隠すのに都合がいいと見えてくる。
地下に入ると寒気が襲ってくる。
ここまで来て引き返すわけにはいかず、息を殺しながら慎重に奥へと進んでいった。
そして、私は牢屋の中に入れられた茜の姿をついに発見した。
「雨音……麻里江……先生……」
牢の中に閉じ込められている茜が私たちの姿を見つけ、小さく呟く。
痛々しさを通り越して、悲惨な惨たらしさを感じさせられる茜の姿。
雨音があまりに残酷な光景を目の当たりにし言葉を失う中、麻里江は弓を引いて火力を下げたレイジングアローを放って牢屋の扉を迷いなく怒りを押し殺すように破壊した。
魔力を帯びた力で扉が光の中へと消え去っていき、ついに目の前に茜の姿を迎えると雨音は走り出して茜にたまらず抱き着いた。
「ごめん茜!! 辛かったよね……苦しかったよね……遅くなってごめん。もう大丈夫だから、本当に大丈夫だからっ!!」
まだ怯えた表情を浮かべる悲痛な茜へ、必死に声を張り上げて泣きながら言葉を贈る雨音。それは生きている茜を体感し、安心したい自分のためにも言い放った言葉だったのだろう。
茜は弱々しく抱き締め返す気力もなかったが、徐々に瞳は潤み人の姿を取り戻し始めた。
「あたし……死ぬのは怖くないってずっと思ってた。今でもそれは変わらない。
こういう拷問をして喜ぶ人間の気持ちなんて分かりたくないし、考えたくないって思ってた。
でも、考えてこなかったことで、想像してこなかったことでこんなにも痛いことがあるんだってよく分かったよ。
魔法少女の最期なんて描いて死が待っている作品も見てきたけど、これは、そういうのとは全然違うベクトルの苦しさだよ」
死ぬこと以上に残酷なことがあるとすれば、その領域に踏み込むこと事態が苦痛の伴うものだ。茜が想像以上に深い傷跡を負った。それが私達にはよくわかった。
理性を失いかけるほどの仕打ちを受け続けた茜。その身体も、衣装も、牢屋の中の様子も、目を伏せたくなるほどに醜く信じたくない惨状だった。
憎むことも、悲しむことも簡単に出来てしまう、そんな残酷さが広がる光景、生気を失い話す茜の言葉は他には聞かせられない、茜の始めて放った弱音だった。
雨音は持ってきたリュックサックの中から応急手当のための救急箱とタオルと着替えを取り出し、傷ついた茜の応急処置を始めた。
辺りに散らばるドロドロに汚れ脱ぎ棄てられた下着や濡れた地面、鼻を狂わせるほどの臭気まで無視して、懸命に雨音はボロボロになり、原形の分からないほどに変わり果てた衣装を脱がしてタオルで丁寧に拭いていく。
ところどころ血が滲み、擦り傷だらけの身体に応急手当を施すと、持ってきた大きめの服を優しく着せた。
その間、ずっと茜は痛みを堪え、グッと歯を食いしばったまま、雨音の応急手当に感謝していた。
「ごめんね、まずはここを出ることを優先しよう。魔力の補充は家に帰ってから」
「うん、三人の顔を見たら生きてる実感が湧いてきた。大丈夫、まだ頑張れるよ」
徐々に生気を取り戻してきた茜が雨音と麻里江の肩に掴まり立ち上がる。
痛みを感じていられるから生きていることを実感できる。そんな言葉が私の頭に浮かんだ。
「本当に大丈夫? 茜?」
見ているだけでは良くない。何か声を掛けなければと思い、ありきたりな言葉が私の口から零れていた。
「体中が痛いよ、中も外も。でも、辛いのはあたしだけじゃないよね。
先生……助けに来てくれてありがとう」
茜は感謝を口にして、潤んだ瞳をしていた。
「立花さんもあなたを助けるのに協力してくれた静枝と水瀬さんも上で待ってるわ、行きましょう」
ここに長時間いれば具合が悪くなり、それが心底よく理解できた私は茜に向けて言った。
「上に可憐がいるの? ごめんなさい、こんな姿見せられない」
普段は見せない泣きそうな顔で茜は言った。
確かに今の茜の姿を見れば可憐は泣きじゃくってしまうだろう。
それも必要なことだと思う気持ちはあるが、茜は自分が傷ついている弱い姿を後輩の可憐にはどうしても晒したくないようだった。
当然ともいえる、先輩であることもそうだが、茜も女の子なのだ。今の姿を見られたくないと思うのは当然の感覚だった。
「分かったわ、私が先に行って立花さんと水瀬さんを連れて帰るから、その後で三人で……ね」
私は可憐たちを帰す役目を担当することに納得して三人にそう告げると階段へと一人向かう。その途中で雨音が私に言葉を残した。
「怪我はそれほど酷くないですが、魔力がほとんど残っていません。この先リリスと対決をしなければならない以上、茜の力は必要なはずです。今日は私は私がつきっきりで治療にあたることにします。ですので、先生、そちらはよろしくお願いします」
リリスはどこに消えてしまったのか。
何故、茜を殺さなかったのか。
リリスの次の目的は何なのか。
謎ばかりが残ったが、今は茜を治療するのが最優先であった。




