Tips5「伝説の対決」
「やっと出番が回って来た……本当に待たされるのはご免なのよね」
ついに出番だと告げられた私は金属バットを軽々と持ち上げ、肩に抱えながら部長の浦沢に向かって言った。
「すまないな、なかなかここぞというタイミングが見つからなくて。だが他の部活との競争が激しい片桐茜をわざわざ呼んだんだ。思い切りやってくれ、奴はお前を半年間待っていたんだ。油断するなよ」
「あたしに何言ってるのよ」
様々な部活から頻繁に声が掛かり、その度にその場限りの出場をしては期待される活躍を果たして颯爽と去っていく。それが普段は社会調査研究部の一員として活動する片桐茜、あたしの生き方だ。
ネクストバッターサークルで浦沢とひそひそ話を終えたあたしは金属バット片手にバッターボックスに立ち、バットを真っすぐ正面に向けた。
前方にあたしへ鋭い視線を送るピッチャーの姿を捉える。
あたしは試合の結果になどに興味はない。ただ、目の前に立つ顔見知りのピッチャーと刹那の遊戯に身を投じたいだけだ。
勝つか負けるかの真っ向勝負。
あたしの手で試合を決める、そのためにあたしはこのバッターボックスに立っているのだ。
「練習試合とはいえ、手加減はしない。お前には借りがあるからな」
彼はあたしが女であることを未だ知らない。本当はこの部活に所属していないことも。だが、彼は過去の因縁を忘れていない。
代打の切り札として試合を振り出しに戻した、半年前のあたしが放った一打を。
第一球、初球から内角を抉るようなクロスファイア。
ストライクからボールになる角度のある豪速球があたしの胸元を通り過ぎて行った。
判定はストライク、彼は気合十分な様子で初球を見逃したあたしに僅かに笑みを浮かべていた。
これは練習試合に過ぎない。
あたしは今回も気まぐれで参加しているだけだ。
女子が大会などには参加できないのは周知のことで、あたしはこうした練習試合にしか顔を出さないようにしている。
とはいえ。あたしは試合に出る以上、どんなスポーツであっても本気で相手とやりあいたい。実力をぶつけ合いその瞬間を楽しみたい。
相手が強ければ強いほどより熱く燃える。それは相手が女子であろうが男子であろうが関係ない。最も重要なことは自分も相手も本気で対戦しているという燃え上がる闘志をぶつけ合うことにある。
だからあえてこの一戦においては、他校のエースピッチャー相手に屈服させるほどの衝撃を与えることを目的としている。
しかし、あたしはまだ目の前のピッチャーの名前すら憶えていないのだが、それはお互い様だ。顔を覚えてさえいればこの因縁の対決を繰り広げられるには十分だ。
試合は4対3、一点ビハインドの9回の裏、1アウト満塁。小細工のいらない真っ向勝負。
勝手に因縁を感じている相手ピッチャーはまさか女を相手にしているとは思っていない。
大人の監督もベンチにいるのだ、そんなことを想像する奴の方が馬鹿だ。
だが、あたしと監督はマブダチだ。よく一緒に女子とはほぼ行くことのない二郎系ラーメンに行くほどの仲だ。
第二球、球種を悟られないほどに綺麗なフォームで投げた第二球はキャッチャーがギリギリ身体で抑えてボールをミットに掴むほどに”落ちるボール”だった。
思い切ったフォークボールに今度はあたしが歓喜の想いを込めて鋭い視線を彼に送った。
だが、彼はあたしがバットを振らなかったことで結果ボールの判定となり、厳しい表情を浮かべていた。
ランナーがすべて埋まった状況での思い切ったフォークボール。
キャッチャーが低く落ちていくボールを押さえられなければ簡単に三塁ランナーはホームに突っ込み、試合は振出しに戻る。
結果が伴えば彼の一球は勇気あるものとして称えられるが、逆に点を失えば袋叩きに合う。危険な賭けに身を投じるその行動にあたしは痺れざるおえなかった。
三球目、今度は高めのストレートでボール球だった。
球速は今日の試合で最も早く感じるものだった。
彼のこれまでの最速は145kだと聞いている。
高校生でそれだけ投げられればエースピッチャーになれるのは十分納得だ。
うちのエースピッチャーはギリギリ140kを投げる程度の体たらくだから、実力差がよく分かるというものだ。
第四球、次はど真ん中のストレート。
あたしは迷わずタイミングを合わせにいき、バットを振りに行くが想像以上に球は速く、バットは芯には当たらず、大飛球となってボールは遥か後方に消えて行った。
明らかに前回対戦した半年前から速度が上がっている、それも1、2キロでは済まないレベルだ。
今日の試合、あたしがベンチにいるのを見て、ここまで手を緩めて体力を温存していたのだ。
わざわざあたしの勝負に全力を投球するために……。
あたしは彼の熱い想いを受け取り、気合を入れてバットを握った。
次で決める……。
ファールボールとなり2ストライクのカウントになった時点で、もう躊躇いはなかった。
第五球目、彼はさらにあたしの予想の上をいった。
あれだけの成長した姿を見せた後で、彼が選んだ球種は高速スライダーだった。
右打席に立つバッターが最も苦手にするであろう、外角にストライクからボールへと変わる鋭いスライダーが絶妙なコントロールで突き刺さる。
あたしはそれに対して、懸命に腕を伸ばして掬い上げるように外野へと飛ばして見せた。
外角の早いスライダーにギリギリの対応をしたのだ。
それでジャストミートではなかったがセンターとレフトの間に伸びていく飛球。
相手ピッチャーは驚きながらボールの行方を見守る。
あたしはボールを見ながらゆっくりと一塁ベースへと小走りしていく。
高く上がっただけのような姿勢の崩れたまま打った打球。
風などなく、そんな力を借りる必要などなく打球は伸びていく。
センターがなんとかボールに追いつき、ホームベースの方へ振り返り、急いでボールを投げる。
だが、冷静にタッチアップを始めた三塁ランナーがホームベースに帰ってきて、得点は同点になった。
あたしはそれに満足げな表情を浮かべ、相手ピッチャーの顔を窺った。
相手ピッチャーはあたしの表情を見て、してやれられたという具合に悔しがっていた。
あたしは犠牲フライでベンチに引き下がることとなり、引き分けのように見える結果だが、互いの表情を見れば現実がよく分かる。
あたしに課せられた任務は同点にすること、代打として告げられた役目は十分に果たしたというわけだ。
派手な活躍ではないが自分の仕事を無事にやり終えたあたしはそのままベンチのチームメンバーとハイタッチを交わし、上機嫌でグラウンドを後にした。
「まったく、今日の試合も面白かったわね。
ふふふふっ……あの男子の顔ったら本当に可愛いんだから」
またこれからあたしは社会調査研究部の部活に戻る。
名も知らない相手ピッチャーにさらなる因縁を与えることになった試合はその後、あたしの同点打で心を乱されたせいか、そのまま連続四球で幕を閉じたという……。
何とも衝撃的に虚しい終わりを迎えたことで、新たな伝説が生まれ、あたしはまた彼に深い傷をつけてしまうと共にさらに顔を覚えられてしまうのだった。




