第五章「偽りのアリス」1
新年度になり、凛翔学園へ入学してきた妹の千尋と帰り道を共にした。
思えば一緒に帰るのは一年年下の千尋が入学して以来初めてのことだった。
これも私がよく部活で遅くまで茜と雨音と残っていたからだが、今日、千尋が入部届を友達と一緒に出すため部室までやってきたのは本当に予想外の出来事だった。
母から頼まれたお使いでスーパーに寄って駐車場兼駐輪場にやってきた頃にはもう日が沈み始め、薄っすらと月が顔を覗かせていた。
上着を着ていても肌寒さを覚えながら自転車を降り、神社へと続く石段を千尋と一緒に登っていく。
100段近くある石段を登っていくのは足腰に負担がかかるもので、これをずっと幼い頃から上り下りを繰り返してきたこともあり、登下校にうんざりしながらも苦ではなくなった。
私がずっと黙っていたからだろう、千尋は時折顔色を窺うようにこちらを見てくる。入部を突然決めたことを後ろめたく思っているのだろう、気まずそうに後ろを歩いていた。
「姉さん、怒ってる?」
千尋の気を使った震えた声が聞えて、私は足を止めた。
少し大人に近づいて姉さんと私を呼ぶ千尋。
人気がなくなるのを窺っていたのだろう、千尋の意図は手に取るように分かった。
返事をしようと後ろを振り返りながら私は今、どんな表情をしているんだろうと考える。
ブルーのセーラー服を着た不安そうな表情を浮かべる千尋の姿が瞳に映った。
二十センチくらい私より身長の低い千尋。私よりもずっと可愛い制服姿が似合って見えた。
普段から巫女装束を着ていない時はほとんど着物で暮らす私に比べ、千尋は普通の女子高生が着るようなカジュアルな服装を着ている。
短いスカートや薄着で出歩いていることを注意することもあったが、それも高校生になった千尋を見ていると遠い過去に思えた。
これはきっと、私と千尋の決定的な違いだった。
だから、私は千尋が私の言いつけをどれだけ真剣に受け取って守ろうとするのかずっと推し量っているのかもしれない。
「事前に話してくれたらって思うけど、今更よね」
千尋に対しては姉妹だからか少し目をそらし、口調が尖ってしまう、そういう自分も私は好きではなかった。
「クラスメイトの可憐ちゃんがね、お姉ちゃんたちに助けられたって。
それで誘われたの。千尋が一緒だったら安心だって。
向こうが先に気付いていたとはいえ、お姉ちゃんのことを言うのはまずかったかな?」
大体の事情は察していたが、改めて説明をしてくれる千尋。
その必死さがまた、私の胸を締め付けた。
「自分で決めたのならいいよ。
ただ……心配しているのは、千尋まで危険なことに手を突っ込むことだけ。
それだけはお願い、周りに流されずに守ってちょうだい」
ゴーストと戦うのは姉妹で私一人で十分だと私は言いたかった。
新しく入ってきた三人のこの先は分からない、どんな運命を辿っていくのか想像できない。
私だってそうだった、人の生き死にが懸った重大なことに手を出している自覚はあっても、いつまでこんなことを続けるのかわからない。
まだ運がいいだけで、このまま無事でいられる保証はない。
だから怖いのだ、妹を巻き込んでしまうのは。まだ未熟な妹を守れないかもしれない、それがたまらなく私は怖いのだ。
「分かってる……千尋も冗談じゃないって分かってるよ。
お姉ちゃんのことは心配だよっ! でも……迷惑は掛けたくないから」
切実に、歯を食いしばって千尋は言葉を絞り出した。
夜な夜な外を出歩いて心配をかけているのは私だ。
それをちゃんと私は自覚しなければならなかった。
私は石段を下り、千尋のそばに身体を寄せてそっと抱き寄せた。
「ありがとう……心配してくれて……」
私が何年振りか分からない感謝を素直な気持ちで千尋に伝えると、千尋はたまらず身体を震わせ泣き始めた。
「分かってくれたよね……? 千尋がお姉ちゃんのことどれだけ心配してるか。
千尋には言えないことだって分かるよ。それでも、可憐ちゃんの怯えようを見れば嫌でも分かるよ……。お姉ちゃんがどれだけ危険な化け物と戦ってるのか……。
ねぇ? お姉ちゃんも本当は怖いんだよね?
千尋には見せないだけで、逃げ出したいって思うこともあるんだよね?
一つも弱音を吐いたことないから、全然、お姉ちゃんの気持ち、千尋には分かんないよ」
千尋は真っすぐで、驚くくらい素直なのだ。
私は確かに自分を客観的に見ることもあるから、どこか恐怖という感情を横に置いてしまう。
でも、怖いという感覚がないわけではない、戦闘中は気を張っているから耐えられるに過ぎない。
「それは、当たり前だよ。
だからね、誰にも私と同じ思いをしてほしくないのよ。
不器用だったかしらね。
勝手に大丈夫なフリをして、でも、そうしないと頑張れないから。
守りたいって思っても全力を出せないから。
ただ、それだけよ、千尋……」
ギュッと千尋を抱きしめる。
私の分も千尋は一生懸命に泣きじゃくって私の身体を掴んで離さなかった。
涙の出ない私は千尋の頭を撫でながら、天を仰いだ。
綺麗に夜空を漂う、満月が私たちを静かに見守るように見つめていた。
多くの出会いを含んだ春の季節。
何かが確実に変わろうとしていた。




