第四章「花ざかりに祝福を」6
入部届を受け取って職員室に戻り、職員会議なども続き、本格的に忙しくなってきた事務処理をしていると、下校時刻になっても部室の鍵が返却されてこないことに気が付いた。
「あの子たち……盛り上がりすぎて、まだ部室で騒いでるんじゃないかしら……」
仕方なく椅子から立ち上がる、職員室は一階にあるが部室は一番上の四階にある。私は気が滅入りながら再び階段を上って部室を目指した。
階段一段一段上がりながら、踊り場にある窓から外の景色を眺めた。
校舎から見える眼前に広がる夕焼けに染まる空。その下で片づけをして引き揚げ始める運動場を使用する運動部の生徒たち。人気がなく、吹奏楽部の演奏する音色も聞こえなくなってすっかり静かだった。
オレンジの空に感傷を覚えながら、風を受けることなく四階まで上がると、既に私は息切れしそうになっていた。
「あの子たちの若さには勝てないわね……」
四階に辿り着いた達成感よりも、足が悲鳴を上げている自分の不甲斐なさに心が沈んだ。
凛音が高校生になり、私は自分がそれだけ歳を取ったのだと実感せずにはいられなかった。
十代の頃は早く大人になりたいと思うくらいに時間がゆっくり感じられたのに、二十代になって子どもの成長を見届けながら時が流れ、気付けば三十代になった。
それからは夫の研究にも積極的に参加することになり、時の流れはさらに早くなった。
まだ、置き忘れている青春があるような気持ちを、今になって少女たちと過ごしながら私は感じ始めていた。
部室の前までようやく到着すると聞き慣れた声が扉越しに聞こえてきた。
「ちょっとこうすれば、可愛くなると思う、ほら?」
「ホントだ! これなら喜んでもらえる」
「うんうん、いいサプライズだと思うよ、みんなに名札を作ってあげるの」
凛音の声だと気づき、話の内容は確かめず胸騒ぎを覚え私はすぐさま扉を開いた。
「あ、お母さん……」
扉の開閉音に気付き、私を見つめたままばつが悪そうな表情を浮かべた凛音の姿が映った。その手には名札があり、机の上に置かれた分と合わせて人数分あるようだった。
「凛音、こんなところで何をしてるのよ」
心配のあまり声色に棘が入ってしまっていた。
凛音の隣には茜がいて、他の部員はもう帰った後の様子だった。
「ごめんなさい、すぐに帰って夕食の支度をするつもりだったんだけど……気になって、部室を覗いたらこの前家の前で見た先輩が一人で……」
「言い訳を聞きたいわけじゃないのよ……」
本気で怒っているわけではないが、でも感情が沸き立って言葉が止まらなかった。
「ごめんなさい!! 先生、つい……先生の娘さんがいい子でもっと話したくなってきて、遅くまでここで話してしまいました」
今度は茜が私に謝る。親馬鹿だと思われたくはない。だけど、一人娘である凛音が大事であることは隠しようがなかった。
「もういいわ……ただ、私は凛音を巻き込まないでほしいだけ。
本当のことを言えば、あなたの正義感は眩しすぎて、見ていて危なっかしいのよ。
あなたが街を救うために戦えば戦うほど、その模範的な振る舞いを周囲に見せれば見せるほど、それだけ周りを巻き込む結果になる。
そのことを真剣に私は危惧しているのよ」
茜が立派なことをしていることは、一緒に戦わなくても見ているだけで十分よく分かっている。
だけど、だからこそ周囲への影響は少なくないと私はずっと感じていた。
茜はきっと……その身を犠牲にしても、誰かを助けようとする。
そんな予感が、不安として私の胸に憑りつき、ずっと締め付けて離れずに蔓延っていた。
「お母さん!! 私は……」
「分かってるわ、信じていても怖いのよ」
凛音を魔法使いにした日から……そう続けて言ってしまいそうになるのをグッと私はギリギリのところで堪えた。これだけは、ずっと茜たちには秘密として隠し続けなければならないことだった。
「先生、安心してください。社会調査研究部の壁新聞に描く絵を、少し手伝ってもらっていただけなんです。娘さんは絵を描くのが上手なようでしたので」
この話しを止めて、落ち着いてもらおうと努める、茜からの言葉だった。
私はついムキになってしまっていたのを反省して、肩の力を抜いた。
運動部の手伝いをしているだけあって、体育会系の明るさとはっきりとした生真面目さがひしひしと伝わってくる茜の姿を見て、私はもう何も余計なことは言わないことにした。
「もう、部室を閉めますね」
窓の外の夕日が部室に差し込む中、茜が部室を閉めようと荷物を抱えた。
私はそんな茜の瞳が緋色に輝いているのを見逃さなかった。
魔法使いの使命に燃えている、茜は私の言葉に刺激されたのだろう。
一層、決意を固めたようなそんな強い目をしていた。
「お母さん、帰ろう?」
私の腕を掴む無邪気さの残る凛音に従い、私は一緒に部室を出た。
部室の鍵を閉め、私に鍵を返すと、帰り際に振り返った茜は表情を少し緩めて口を開いた。
「先生、あたしはこれからもゴーストと戦っていきます。
でも、絶対に負けません、死ぬつもりもありません。
だって、痛いのは嫌だし、死ぬのは怖いですから」
信用していいのかは分からないが、茜は最後には乾いた笑みを浮かべながらそう言い残して階段へと向かって走って行った。
今の表情は自分を懸命に作っているように見えた。私を安心させるためだったのかもしれない、わざわざ自分の決意を口にしたのは。
「きっと、何を言っても投げ出さないと思うよ。茜先輩はそういう人だよ」
茜の言葉もそうだが、その後に言った凛音の言葉も、互いに違った意思の強い頑固さがあり、印象的な言葉として私の胸に残った。
「それじゃあ、帰るわよ」
上着代わりにジャージを着て、制服のプリーツスカートを履いた茜が通り過ぎていくのを見送ると、私は隣の凛音に向かって言った。
一日の終わりを静かに実感して、職員室に立ち寄ってから駐車場へと向かう。そのまま凛音を助手席に乗せ、相応の疲労感を覚えながら車を走らせた。
ハンドルを操作し、自分の手足のように車を運転する。
凛音を車に乗せるのにも、段々と抵抗がなくなっている自分がいた。
「お母さん、茜先輩はいい子だね」
暗い表情はせず、しみじみと凛音は言った。
社会調査研究部は街を歩いて気付いたことや変わったこと、新しいお店などを壁新聞にして情報提供している。
記事は普段から三人の手で書かれていて、イラストなども自分たちの手で描き込み、学生らしく親しみやすい内容になっている。
字を書くのは神社で巫女もしている麻里江が上手で、絵は実家が文房具店の雨音が多少は出来るようだ。茜はパソコンを使って記事を書くこともしているが、街を練り歩いて調査するのが自分は性に合って好きだと聞いている。前向きで街の住民一人一人を大事にする茜らしい発想だ。
凛音はまだここに引っ越してきて日が浅い、茜から聞く話は新鮮で刺激的なものだったに違いない。
絵を描くことがそこそこできることで、手伝いたいと思ったのは想像できることかもしれない。
しかし……茜たちと関わる以上、いつ何時、危険なことに巻き込まれることになるか分からない。そのことを考えると気持ちは複雑だった。
「だから、本当は戦わせたくないのよ」
三人の中でも特に茜のことを思い、私は凛音に言った。これは心の底からの本心だった。
本当は担当するクラスの生徒がゴーストと日夜戦っているだなんて考えたくもないことだった。
「お母さんの言いたいことも分かるよ。でも、大切だからみんなで協力し合えば乗り越えられることも、きっとあるんじゃないかな」
遠慮がちに口出しをした凛音。ゴーストが今を生きる人々にとって脅威である現状を見れば誰かがやらなければならない、それもまた一つの事実だ。
協力し合えることで乗り越えられる、理想を言えば凛音の言う通りそうなればいいと思う。
だが、都合のいいことばかりではない。
危険と隣り合わせの戦いを教師の私がこうして関わることの罪をどう考えればいいのか……まだ、今の私には結論を出すには重すぎることだった。




