エピローグ~次世代を受け継ぐ者~(完)2
こうして日常生活に戻っても、凛音は自分が失ってしまった記憶について、興味がないわけではなかった。
そこで、体調の良い時に限り黒江から舞原市で暮らしていた頃の話を聞くようになった。
舞原市の復興に向けて水面下で行動する黒江は多忙であったが、時折本家に戻って来ては凛音の無事を確かめ、懐かしい話しに花を咲かせた。
「今日はどんな話をしてくれるの?」
以前よりも少し幼さの戻った凛音は興味津々な様子で聞く。多くの別れを経験したあの厄災の日々を忘れてしまった凛音は年相応の無邪気な少女そのものだった。
黒江は何を話そうかと思考を巡らせ、大切な教え子の話しをすることにした。
「そうね、今日は私が担任をしていたクラスの生徒、片桐茜について話そうかしら」
食事が終わった後も、黒江の前には日本酒の入ったおちょこが置かれている。寒い冬にはちょうどいい熱燗を口にして黒江の頬は心地いい気持ちになり紅潮している。
若妻のような凛音に笑顔でお酒を注がれると、黒江は気分が良くなって何杯でも喉を潤すことが出来た。
「片桐……茜さん?」
これまで聞いてきたことと違い、引っ掛かるものがあったのか、凛音が名前を復唱した。
黒江はちくりと胸が痛んだが酔った勢いに任せて言葉を続けた。
「そうよ、今時珍しいくらい正義感に溢れてて自分で作った衣装で化け物たちと戦っていたの。自分の事を魔法戦士って呼んでいて魔法少女が大好きみたいでね、仲間の分の衣装まで作って……明るくて前向きな子だったわ。
スポーツ万能で、よく男子の部活にも顔を出して活躍していたの。
人見知りせず誰に対しても分け隔てなく接していたから、彼氏がいてもおかしくなかったけど、そういえばずっといなかったわね」
「そうなんだ……そんなにスポーツ万能で活躍してるなら、男子にモテそうなのに」
今まで以上に興味を示して凛音が話しに乗っかって来る。
ただ気分よく思い出話をしようとしただけの黒江は心がざわついた。
「実際モテていたと思うけど、本人にその気がなかったから。
魔法使い同士で仲良くしていたから、それで十分充実していたのでしょうね。正義の味方で忙しいって感じかしら」
社会調査研究部……二年生になりさらに大きくなった輪は茜の日常を充実させたものに変えていった、異様にも非日常な体験に満ちていたが。
「平和を守る為に仲間と一緒に頑張ってる、”茜先輩”は格好いいね。
部活動もやりがいがあって良かったんだ」
凛音が赤ワインと見た目が酷似しているぶどうジュースを飲みながらしみじみと言った。
娘のちょっとした仕草に色気を感じてしまい、黒江は動揺しかけながら会話を続けた。
「うふふふっ……そうね、仲間と一緒にいる時が一番生き生きとしていたから。その子も厄災の最中で両親を失ってから、舞原市の家に泊めていたのよ。寂しいだろうって思って。凛音とも仲が良かったのよ」
過酷な日々の中にあった、かけがえのない思い出。
同じベッドで過ごした時間、生き残るために言葉を重ねた日々。
黒江の頭の中で、様々な表情を見せた懐かしい茜の姿が駆け巡った。
「そう……なんだ……。約束……約束をした気がする。
”紅い衣装を着た”、片桐茜さんと……」
驚いたことに、凛音は少し話しただけで茜の事を思い出し始めた。
考えもなしに、再び記憶を思い出してしまったら身体に響くかもしれないと黒江は焦った。
「無理に思い出さなくてもいいのよ。
約束のことは今でも覚えているわ」
一気に酔いが醒めて真っすぐ凛音を見つめ、言い聞かせるように言葉を掛ける黒江。
凛音は既に記憶を掘り起こそうと意識を向こう側に向けていた。
「ううん、自分で思い出したいの……大切なことだと思うから
一緒に朝日を……そうだ、一緒に朝日を見ようって話してたんだ。
お日様が全然見えなくて、薄暗い雲がずっと街を覆っていたから。
でも、それ以上は思い出せない……」
”一緒に朝日を見たい”と茜から告げられた黒江にとっても強く記憶に残っている約束。それを凛音は自分の意思で思い出した。
それは……小さな奇跡と言えるものだった。
「十分よ、茜も天国で喜んでくれているはずよ。
凛音がこうして大切なことを思い出して、元気に生きていてくれているんだから」
「そうかな……そうだといいな。茜……先輩は優しい人だったから」
凛音は少し下を向いて優しく微笑むと、瞳を潤ませた。
ぼやけたままの思い出でも、凛音は切なさを覚え、曖昧なまま別れの感覚を思い出して胸が苦しくなった。
黒江の中で死に別れた時に見た、茜の姿が蘇る。
最後まで戦い抜いた勇敢な魔法戦士。
一生、忘れることのない大切な記憶。
茜もきっと同じように天国から自分達の事を見てくれている。
厄災の終わりに見た朝日は、本当に美しいものだったから。
黒江は懐かしさに思いを馳せながら、別れの哀しみを紛らわそうと日本酒を飲み干して、さらに脱力してほろ酔い気分になった。
(茜の魂は羽佐奈さんに預かってもらった。
きっとそれが本人も喜ぶと思って。
凛音には言えないけど、いいわよね。
茜はまだ、この世界を守る力になりたいだろうから)
あの日と同じ、凍えそうなほどに寒い日に、黒江は凛音に介抱されなければならないほど酔いつぶれながら思った。




