エピローグ~深海で眠る君へ~4
イチャイチャしているとあっという間に時間が過ぎてしまい、思い出したようにあたしは二人を連れてまだ大勢の卒業生とその保護者が集う校庭に出た。
桜吹雪が舞う、桜の木が並ぶ校庭に出るとそこには内藤医院の院長、内藤房江さんがオレンジのマリーゴールドの入った豪華な花束を手に顔を出していた。
「アンナマリー……」
優しい表情でその視線はマリーちゃんを向いていた。
あたしはとても胸が高鳴りながら、マリーちゃんの背中を押した。
これは……マリーちゃんを祝福してくれているのだからと。
「じいさん……来てたのか」
「そりゃ……娘の晴れ舞台じゃからな。卒業おめでとう、受け取ってくれるか?」
珍しくスーツ姿をしてきた院長が花束を差し出す。
その姿にゆっくりと感情を滲ませるマリーちゃん。
それは心を取り戻して、身体も心も大人へと成長した確かな女性の姿だった。
「もちろんだよ、じいさん。いっぱい苦労を掛けたな。
今日まで育ててくれてありがとう」
花束を受け取るマリーちゃん。卒業式の雰囲気にも影響されたのか、その瞳からは涙が零れていた。
色んな事が頭の中を駆け巡っているのかもしれない。
だけど、その涙が温かく、制服姿のマリーちゃんは清々しいくらいに晴れやかな表情をしていた。
「ううううっぅうぅ……マリーちゃん!! 最高だよっ!!」
ついもらい泣きしてしまうあたし。院長に引き取られた時は廃人同然だったマリーちゃんが恩義を感じて感謝の言葉を伝えている。
こんな日が来ると、こんな涙や笑顔を見せてくれるようになると、誰が思っただろう。
あたしもたまらなく嬉しい気持ちになった。きっとあたしよりもずっと苦労をして長い間寄り添ってきた院長はもっと嬉しいだろう。
壊れていた心も修復して、知ることのなかった愛情をたくさん受け取って、大切なものを全部取り戻すことが出来た。
それも全て、院長がマリーちゃんを引き取ってくれたおかげだ。
「守代先生も沢城君もありがとう。この娘がこんなにも感情豊かに成長したのは二人のおかげだよ。心から感謝申し上げます」
「はいっ!! マリーちゃんは本当に優しくいい子です。あたしに負けないくらいに!!
いっぱいあたしと先生に幸せを分けてくれました。
だから、ずっとあたしの親友なんです!!」
あたしは弾ける笑顔で前のめりになって、泣きながら言い放った。
後悔も恥じらいもない、ただ、そう真っすぐに伝えたかったんだ。
先生はあたしに呆れながら、内藤院長に向き直って恐縮そうに頭を下げていた。
そして、あたし達は三人揃って永遠の絆を誓い合うため、桜の木の下で卒業写真を撮った。
満面の笑みを浮かべるあたしと何とか作り笑いを浮かべて撮影に応じる守代先生。マリーちゃんはカメラのレンズを覗き、シャッターを切ってくれる院長の姿に恥じらいを見せながら、優しく微笑んで見せた。
暖かい空気を運びながら風がそよぐ。
幻が儚さを告げるように溶けていく。
これはあたしの夢、三人一緒に卒業式を迎えたかったという願望。
全てが白く染まって消えていく。
桜の花びらも、マリーゴールドの花のように綺麗なマリーちゃんの姿も。
好きという気持ちを許してくれて、たくさん、あたしにかけがえのない愛を教えてくれた守代先生も。
この世界から……この視界から消えていく。
「なぁ、俺の願いを、まだ覚えているか?」
愛おしい気持ちを思い出してすぐ先生の声が聞えた。もうすぐ夢が醒める。それなのに、あたしは”もちろん覚えている”と声を出そうとするが声を上げることが出来ない。
「奈月。たくさんの幸せを分けてくれてありがとよ。
先生がいなくて寂しいだろうが、しっかりやれよ」
人恋しいのになかなか正直に自分の気持ちを言えないマリーちゃんの声。いつもそうだ、マリーちゃんは真っすぐで嘘も冗談も言えない優しい人。
だから、これもマリーちゃんの本音であたしへの想いなんだ。
「―――じゃあな、沙耶の事を頼んだぞ、奈月」
あぁ……夢が醒めていく。
いつまでもこの微睡の中にいたいのに。
先生の声が遠ざかっていく。
生き残ったあたしに託された想い。
叶えなければならない、先生の願い。
それを胸にあたしは短い眠りから目覚めた。
*
胸が苦しくなるほどの、二人の愛情を感じながら、目を覚ましたあたしは最初に稗田先生の声を聞いた。
「沢城さん、目を覚ましてくれたかしら? 到着したわよ」
助手席の扉が開かれ、稗田先生があたしを見ていた。
波の音が聞こえる。見たことのある駐車場にいるのをこの目で確認したあたしは本当に目的地まで辿り着いたことを知った。
「すみません……つい眠ってしまったみたいです」
あたしは素直にそう言った。
「そう、無理しなくていいのよ。今日は様子を見に行くだけにしても」
瞳から零れた涙が頬を伝っているのを見てしまったせいか、稗田先生があたしの気持ちを汲み取って言った。でも、あたしの決意はもう決まっていた。
「大丈夫です、やり遂げて見せます。先生が残してくれたたった一つの願いですから。早く、目覚めさせてあげたいんです。先生が愛する沙耶さんを」
あたしは迷いを振り払い稗田先生に向けて言った。
これでいい……先生の想いに全力で応える。
あるはずだった卒業式を迎えることが出来なくても。
それが、あたしに出来る精一杯の恩返しのはずだ。
だから、あたしはこの命に代えても、沙耶さんだけは救い出そうと胸に誓った。




