エピローグ~深海で眠る君へ~2
「本当に色んなことがありすぎたけど、世間に明かされることは、本当ごく一部になりそうね」
羽佐奈は苦笑いを浮かべながら口にした。
舞原市を覆っていたファイアウォールがなくなり、眠り病に陥っていた人々は目覚め、凛翔学園の地下で避難していた人々は無事に生き残った。
だが、命を救われたほとんどの人間は厄災の記憶を失っていた。
恐らく街を覆っていたファイアウォールの影響だろうと研究者は原因を推測している。
記憶を維持しているのはごく僅か、優れた霊感を持っていたものや半霊半身の魔法使いに限ったことであった。
「ここにいる私達が口を閉ざし続ければそうなるでしょうね」
厄災を生き抜いて記憶を維持しているここにいる四人。
多くの悲劇を見届けてきた四人が口を閉ざせば、真実は覆い隠されたまま時代は前に進んでいくことになる。
政府の動きを見てきた黒江も羽佐奈もそう考えていたのだった。
「まぁ、そうね。一か月が過ぎて、生体ネットワークの実用化とアリスプロジェクトの本格始動が検討されているのだから、私達が右往左往したところで悪影響を及ぼすでしょうから、黙秘を続けるのが最善なのかしらね」
自分達の手で世間に真実を明かしたとしても、それが世の中のためになるとは限らない。
アリスプロジェクトのメンバーである二人は余計にそのことを意識させられていた。
「急ぎ過ぎていると、羽佐奈さんでも思うのでしょう?」
羽佐奈の言葉の後で、黒江は気にしていたことを確認した。
「それは当然よ。でも、度重なるサイバー攻撃の影響でインターネットは放棄するしかないのが実情よ。稗田博士の作った生体ネットワークが必要とされる時が来たのよ」
猛威を振るう自動生産ウィルスプログラムにより、インターネット環境は壊滅の危機にあった。
情報が錯綜し、必要な情報が得られない状態が続いている現状、その対応策として生体ネットワークの実用化が意見として出されていた。
「今、アリスプロジェクトの推進を進める人々の事を私は信用できません。
私は社会の変革よりも、舞原市の復興を優先すべきと考えていますから」
生体ネットワークについては黒江も信頼して自身も利用していたが、現在活動するアリスプロジェクトを主導するメンバーの動きを黒江は信用してはいなかった。
羽佐奈は重苦しい表情を浮かべる黒江を見て心が痛んだ。
「そう……じゃあ、いずれアリスプロジェクトから脱退するのね」
「そうですね、羽佐奈さんには告白しますがいずれそうなると思います。
とはいっても、アリスとの接続が切れることはありません。
生体ネットワークに一早く接続されている魔法使いの私は今後も魔女の力を行使することは出来るでしょう。
使うつもりはないのですけどね」
プロトタイプアリスから正式版のアリスに進歩しても、黒江との接続は途切れることなく継承される。黒江が只人として完全に自由になることはない。
必要な情報も得られる以上、そのことを黒江は後悔することはないが、手放したいと思う一方、それが出来ない事を皮肉に感じていた。
人口AIであるアリスが見せる未来は、幻想か理想か全く予測がつかない。
魔女としての力を与えられ、プロトタイプアリスを近い距離で見てきた黒江は、人類の敵であるゴーストとの戦いにおいて有効であると認めつつも、悪用されやすく信じ切れないのが本音だった。
生体ネットワークによって人々の記憶を蒐集したとしても、それが歪んだ形で解釈され、出力されてしまっては意味がない。
人類文明や地球環境を守るため、機能し始めたとしても、それが各国にとって不利益を被るものになれば、アリスプロジェクトから脱退する国が増えていき、国家間の軋轢が増すだけでなく、計画はさらに歪んだものへと変異していく可能性がある。
人の手で回すより合理的に見えて、現実は複雑な思惑でひしめいている。
突き付けられる現実は理想としているものより厳しいものになると黒江は考えていた。
曖昧で複雑な世界の中で、人は科学技術の進歩を堰き止めることは出来ない。
ルール作りは後手後手に回り、世界はさらに思いもよらない方向へと加速していく。
黒江はあまりに多くの被害を被った舞原市の復興を第一に考えていた。
未曾有の厄災として語られることになった崩壊した街の姿。
変わり果てた街では政府主導による原因究明が続けられている。
生存者が舞原市から帰ってきても長い隔離期間が続いた。
一か月以上が経過しても未だ舞原市は封鎖され、帰ることは出来ていない。
そんな中で復興の道筋を立てることはとてもできる状況ではない。
舞原市で長く暮らしていた住民が帰れる日がいつになるか、全く不明だった。
黒江はアリスプロジェクトのメンバーから脱退してより良い未来を切り開くため、厄災を生き延びた自分に出来ることを模索していた。




