エピローグ~深海で眠る君へ~1
都心を離れ、海岸線を走らせると心地いい潮風が車内まで入り込み始めた。
ショートヘアーの髪が風で揺れても、レディーススーツ姿に身を包んだ三浦友梨は黒江の愛車の運転席でハンドルを握り、真っすぐ前を見つめたまま、表情一つ変えずに運転を続ける。
後部座席に座る沢城奈月と稗田黒江は美しい景色の眺める余裕もなく、硬い表情のまま虚ろ眼で座っていた。
伸びていた黒髪をバッサリと切ってショートヘアーになった奈月。
奈月は黒のショートパンツと薄ピンク色をしたTシャツの上にレディース物の白いドクターコートを羽織っている。
一風変わった服装に見えるがスタイルの良い奈月は自然と着こなしていて、黒江から譲り受けたネックレスも変わらず首に掛けていた。
懐かしさすら感じる緑色のワンピースを着た助手席に座る赤津羽佐奈はBGMを掛けて明るい雰囲気に変えたかったが、威圧感のある友梨の瞳に負けて大人しくしていた。
厄災で負った怪我は無事に完治している羽佐奈は探偵事務所に戻ってからは仕事を再開して、変わらない明るさを取り戻していた。
四人でのドライブ旅は一生に一度あるかどうかと思うほど、非常に珍しい。
目的を同じくしていなければこのドライブは実現することはなかっただろう。
目指す場所は海岸近くにある静かな病院。
そこには命を落とした守代連の婚約者、清水沙耶が眠り続けている。
この旅の目的はただ一つ、清水沙耶を目覚めさせることだった。
まもなく正午になるが、11月になっても地球温暖化の影響で暑さは残っている。窓を開けて潮風が入って来ても寒いと感じることはなかった。
「軟禁生活が一か月も続くと身体が鈍るわね。それで、娘さんの体調はどうなの? 稗田家本家に戻ってるんでしょう?」
羽佐奈は椅子にもたれながら後部座席に座る黒江に視線を向ける。
顔を上げた黒江の緑色の瞳と黄色い瞳の羽佐奈の視線が重なる。
稗田家本家に帰れない一か月間の日々を思い出していた黒江は軽く息を吸い込み口を開いた。
「元気にしているわよ。まぁ、記憶は中学生時代に戻ってしまったけど」
溜息を付きながら、心労を抱えている黒江は答えた。
「そう……残念だけど元気にしてるなら良かったわ。記憶を失っているままなら、これ以上詮索されないで済むといいわね」
「それはそうだけど、感情論だけではどうにもならない事だってあるわ。
魔法使いになるってそういうことよ。覚醒してしまった以上、大きいものに巻かれるしかない。一生、アリスに見張られているんだから」
「日常を取り戻せたとしても、そうかもしれないわね。
いずれにしても、私達は娘さんのおかげで生き残った。
あれほどの力を行使出来たことは今でも信じられない気持ちだけど、感謝しなければならないわね。こうして日の当たる場所に出られたことを」
力無く口にした黒江の愚痴を聞いた羽佐奈はその言葉に納得した。
厄災の終わり、凛音は黒江に止められていた魔術を行使した。
この以上、悲劇を続けさせないための、最後の手段だった。
願望機、地獄の壺より産み出た破壊神。
それは一般人に過ぎなかった前田郁恵を魔法使いとして利用してきた末路だった。
巨大なゴーストとなって街を焼き払い、茜と雨音まで犠牲になった末に、凛音は禁断の魔術を行使する決意を固めてしまった。
それは自暴自棄な行為であるとも言えるのが、結果的に厄災を終わらせ、多くの人命を救うことになった。
彼女が魔術を行使しなければ、もっと多くの人命が失われ、悲惨な結末を辿っていたことだろう。
凛音の身体に宿している半身の霊体、八咫烏は神獣の類である。
その魔術行使は極めて異端なもので、簡単に言えば願いを叶える力、願望機に近い。
叶えたい願いの大きさに比例して魔力を消費する等価交換が原則で、願いが達成困難なものであるほど、多くの魔力を必要とする。
凛音の厄災を終わらせるという強い願いは、ファイアウォールを発現させている巨人の魔力を吸い取り、前田郁恵の魂を開放するというものだった。
そのためには膨大な魔力量が必要となり、二つの宝石を用いたマギカドライブを発動した上に、凛音自身の魔力も消費して使い果たすことになった。
巨人は魔力を失い、その姿を維持できなくなり緑色の巨塔へと変わり、活動を停止させた。前田郁恵の魂もまた、浄化され天に昇って行った。
これだけの大魔術を発現させた負荷は当然のように凛音自身の身体に圧し掛かり、三日間眠り続けただけでは済まず、後遺症として記憶の一部を失うことになった。
舞原市に引っ越し凛翔学園で過ごした日々の記憶も厄災中に過ごした日々の記憶も一緒に失ってしまった凛音。
悲しき末路であるが、生き残ることが出来たという事だけでも感謝しなければならないのが現実だった。
記憶を失った凛音は今、稗田家本家で静かに暮らしている。
病院生活からは解放されたが、それでも刺激を与えず安静に過ごすことが勧められたからである。




