最終章「Morning glow」9
茜が首に掛けているネックレスを丁寧に取り外すと、それを凛音は淡々と首に掛け立ち上がり、顔を上げてすぐそばに対峙する巨人の姿を見据えた。
「凛音、一体何をしようとしているの?」
黒江は突然現れた凛音に焦った表情を浮かべ、何か決意を固めたような凛々しさを見せるその立ち姿に問い掛けた。
だが、凛音は母親の方に振り返ることなく、思い出を語るように話し始めた。
「最初から分かってたんだ。他人事じゃないって。
お母さん……この街に来て色んな出会いがあったよね。
私は見ないフリをしてた。本当は誰かを助けることが出来る力が備わっていたのに、気付かないフリをしてた」
「違うわよ。お母さんが止めていたのよ。
凛音を魔法使いにしたのは戦うためなんかじゃないから。
危険なことのために使って欲しくなかった」
「分かってる、お母さんの気持ちも。
でもさ、気付いたんだ。
人のためにしている事だって、自分のためにしている事なんだって。
だから、躊躇っちゃいけなかった。気づかないフリをしたらいけなかったの。
お母さんごめんなさい。こんなことのために育てたんじゃないって怒るかもしれないけど。
一緒に茜先輩と朝日を見るために、この命を使うね。
私だって自分に何が出来るのかなんて分からない。
でも、諦めなければ未来があるんじゃないかって思えるんだ」
凛音は一歩二歩と立ち上がった巨人に近づいていくと首から掛けた二つの宝石を握り、心を静め安定させた身体の内側に流れる魔力に可能性を託し、祈りを捧げた。
茜の玉砕覚悟の攻撃を受けた巨人は片腕が上がらず腹部が損壊するほどの傷を負いながらも立ち上がったが、幸いまだ動き出す様子はない。
巨人に密着する黒い影も動きを止め、小柄な少女が抵抗をしてくるとは思っていない様子だった。
「やめなさい……力を開放したら無事では済まないわよ。
力を制御できるよう訓練も何もしていないんだから。
自分の身を壊すだけよ、こっちに帰ってきなさい!!
早く、一緒に凛翔学園まで逃げるのよ!!」
離れていく凛音を呼び止めようと必死に声を張り上げる黒江。
茜の死に顔を見て、一緒に言葉を交わすことが二度と出来ないと分かってしまった凛音は、自覚症状のないまま自暴自棄になってしまったのかもしれないと黒江は思った。
覚悟が決まった凛音は振り返ることなく、残された希望にすがり宝石の力を開放させた。
「茜先輩……見ていてください。私が先輩に見せてあげますから。先輩が見たかった景色を……」
ふわりと浮き上がっていく小柄な凛音の身体。長い黒髪が左右に広がっていく。
そして、心優しい凛音の願いに応え、二つの宝石は輝きを放ち始めた。
コートを脱ぎ、白いワンピース姿になった凛音の胸元には、茜が付けていた緑色のグリーントルマリンと凛音が普段から付けている、瞳と同じ色をしたパープルカラーのアメジストが、同時に光り輝いている。
マギカドライブの発動には膨大な魔力が一度に必要となり、本来、人の肉体に抱えきれる魔力保有量が限られるからこそ、それを補うためにあらかじめ宝石に込めた魔力を活用することが考案された。
凛音は今、この状況を打開する奇跡を果たす力を求めて、二つの宝石を駆使して魔力を補おうとする。
だが、これは禁忌とされてしかるべき危険な行為である。
人間の限界を超えた魔力行使は人体にも大きな負荷を与える。
だからこそ、黒江は必死に凛音を止めようとしている。
大きな魔力の波動を目の前の凛音から感じ取った巨人は大きく口を開き対抗しようと魔術砲撃を再び構える。
しかし、それよりも早く凛音は祈りを形に変えた。
「マギカドライブ発動!! この願いに応えて!!」
魔力によって浮遊した凛音の身体が眩い光に包まれていく。
ずっと守られる側だった凛音の人々を救い出したいという切なる願いが光を大きくさせていく。
信じられない事態にどうすることも出来ず、固唾を飲んで見守る黒江。
絶望の中で人々が切実に願った希望を一人の少女が体現しようとしている。
やがて、光が解けていく……。
凛音のいた上空には白い姿をした八咫烏が神聖な姿を晒していた。
夢か現か、あやかしの類か、それは体長10m以上はある三本足の鳥で頭部のトサカからは炎が髪のように靡いている。
「何が起きているの……《《あれが》》、《《凛音だっていうの》》……」
凛音の姿は消え、そこには神聖な八咫烏の姿のみが映し出されている。
もはや現実の光景とは思えない神話の世界の情景が目の前を覆っていた。
八咫烏はバサッと翼を大きく広げ甲高い鳴き声を上げると、小型の太陽のような光の玉を生み出し、巨人を苦しめ始めた。
目の前の巨人を認識して、悪しきオーラを吸い取っていく光の玉。
闇の力で生まれた巨人の身体が小刻みに震える。
それは明らかに光を嫌って苦しんでるようだった。
冷たい冬の空に温もりを与えるように、暖かく眩しい陽の光が照り付け、さらにその熱は強くなっていく。
それは、舞原市を覆っていたファイアウォールを解かしていき、本来の空の姿を浮き上がらせていく。
神の御業か、人の身体から姿の変え、降臨した神の使い八咫烏は神聖な力で世界を元の姿へと移し替えて行った。
厄災の長く続いた地獄の時が終わっていく。
街を覆っていた霧が晴れていく中で、この異変を終わらせまいと黒い影に包まれた上位種のゴーストが巨人を覆っていた瘴気を集め、無数の触手を伸ばしながら空を舞う八咫烏に向かって襲い掛かる。
回避することの出来ないほどに高速で迫っていく不意を撃つ触手の群れ。
それを、一瞬横切った光の刃が一閃にして見事に断ち切った。
無数の触手を失うと、巨人を守っていた黒い影は静止し、活動を停止させると壮絶な断末魔を上げて蒸発していく。
黒い影の中に潜んでいた上位種のゴーストもまた、歪んだ正体を晒し、天へと召されていく。
途中で友梨の手の借りて上空から風を切り颯爽と降り立つ羽佐奈。
爽やかで優美なその姿で着地を果たした羽佐奈は窮地を救った光の剣を仕舞い、頭上の景色を見上げた。
「―――夜が明けるわね」
流れ星のような光りが上空を走り、雪の止んだ夜空にゆっくりと太陽が昇っていく。
(―――目を覚まして、こんなこと、あなたも望んでいなかったはずです。
さぁ、目覚めの時です。帰るべきところへ還りましょう)
巨人の中で眠る魔法使いの少女、前田郁恵へ八咫烏は凛音の声に混じって語り掛ける。
ゆっくりと瞳を開けた郁恵は目の前が暖かな光に包まれていることに気付いた。
身体が軽い、薄い意識の中で郁恵は天へと昇ることを受け入れ、再び瞳を閉じると、ふわりとした優しい浮遊感を感じながら意識を閉じた。
呪いは解かれ、巨人の身体は溶けるように崩れていくと、緑色の巨塔だけがその姿を残して、前田郁恵の肉体もその巨塔の中で永遠の眠りに落ちて行った。
こうして、長い戦いの終わりの果てにやってきたのは夜明けだった。
光の球体に変わった八咫烏は地面に降り、それはすぐに傷一つない凛音の姿へと変わった。
魔力を使い果たした凛音は瞳を閉じて気絶している。
「終わったの……全部」
無事に地上へと降下した羽佐奈と友梨、そして凛音の姿を確認すると、黒江は身体から力を抜いて呟いた。
「やっと帰れるわね、稗田先生」
清々しい表情をして、魔力を帯びた瞳を光らせる羽佐奈。
その横では変わらない無愛想な表情を浮かべる友梨が、移り変わっていく空の景色を見上げていた。
「そう……ね、見えるかしら茜。これが、あなたの見たかった朝日よ」
頼れる救世主、羽佐奈の一言に脱力してホッと胸を撫で下ろす。
自然な温かさを持った眩しい朝日を浴びて、声に優しさの戻った黒江。
確かな冬の終わりと厄災の終わりを感じ、同じ空を見上げた黒江の瞳からは一筋の涙が零れた。
すっかり忘れてしまっていた眩しさ。
茜と約束した朝日に包まれ、黒江はその美しさに身体を震わせた。
雪の降る冷たい気候は終わりを告げ、暖かい温もりを感じる陽の光が荒廃した舞原市の街並みに降り注ぐ。
ゴースト達の禍々しい気配も、この眩しい陽の光の下では消失している。
かけがえのない多くの犠牲を伴いながら、ついに訪れた夜明けの光。
それは、一度は切り離された世界と再び繋がった確かな証拠だった。




